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「いけなかったか?」

「っていうか、どうやって?」

「目当ての単語でプログラムとファイルの検索を試したら一発で見つかったぞ」

「信じられない。あの短い時間で? 二分かかってなかったよね?」

「最初から検索するワードはひとつに決めてあった。それでヒットしなければ諦めようと思っていたのだが、私は賭けに勝ったようだ」

 悪徳業者のように、にやりと笑う。思わず、称賛の口笛を吹きたくなった。月ヶ瀬さんは本当になんて女の子なんだ。

「とは言え、目当てのファイル名の付いたデータが見つかったと言うだけで、中身がハズレという事もあり得る。まあ、まずはデータの中身を確認してみようではないか」

 タブレットPCにUSBメモリを挿し込み、読み込まれたフォルダの中のファイルをダブルクリックすると、音楽再生ソフトが立ち上がった。

 どうやら、データの中身は音声のようだ。無編集らしく、微かな雑音の後、柔らかなアルペジオがゆったりと流れ始める。それから、透明感のあるハミングも。

「父さんの声だ」

 ビンゴ、と月ヶ瀬さんは小声で呟く。

 それはアコースティックギターでの弾き語りだった。

 耳元で囁くような甘い歌――


   †††


 私の話を聞いて。

 ただの空言を、それでも聞いてよ。

 何も意味なんか無いよ。

 ただ話したいだけなんだよ。

 つまらなくても、結果が無くても、何も生まなくても、聞いて。

 私の話を、ただ、あるがままに、歪めず、貶さず、蔑まず。

 何も訴えたいコトなんか無いよ。

 空っぽのつまらない箱を後生大事に抱えてるだけ。

 でも、その箱が私の大事なモノなんだ。

 気に入ってるんだよ。

 つまらないモノでも好きなんだ。

 だから、私のつまらない話を聞いて欲しい。


   †††


 懐かしくて、思わず涙が零れそうになる。

「この歌詞に何か意味があるのかな……?」

「いや、中身の無い歌詞なんてどうでもいい。注目すべきは、ファイル名だ」

 月ヶ瀬さんは身の蓋も無く言い切ってタブレットの端に開かれた音楽再生ソフトのウインドウをゆび指した。

 あ、と思わず声を上げる。表示されていたファイル名は――

《Tiger.mp3》

「いや……正直、驚いた。こうも上手くいくとはな。データを開いてみるまで確信は無かったが、さすがにこれはクリティカルだ。水森蛍は祐樹さんを Tiger と呼んでいる。『一角獣と虎の物語』になぞらえてだ。私が出しゃばって、チャチなやり方で鎌をかける必要など無かったかも知れないな」

 月ヶ瀬さんは勝ち誇ったように僕を見る。

「あの英文を見せた後で英語は苦手なフリをし、そのくせ英文で物語を読み、祐樹さんを Tiger と呼んでいる。君ならどう見る?」

「君の言う通りだと思うよ。確かに、あの英文を書いたのは蛍さんだ」

「認識が一致して良かったよ。さあ、これで、あの英文を書いた人物は確定だ」

 本当に月ヶ瀬さんの言う通りだ。

 蛍さんは怪しい。確実に何かを隠している。意図的に、慎重に……

「つまらない嘘をつくのは、もっと大きな嘘を隠す為さ」

 月ヶ瀬さんは上擦った調子で笑う。

「水森蛍は、おそらく、まだ嘘をついている――」


   †††


 夕食の後、念の為に朔良さんにも月ヶ瀬さんが気付いた事実を端的に伝えた。

「あの英文を書いたのは、蛍さんだったよ」

 朔良さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、飲みかけだったミネラルウォーターをどぼどぼと零した。慌ててバスルームにタオルを取りに行き、シャツの胸元をごしごし拭きながら戻って来る。

「なに、どういうこと?」

「説明は省くけど、蛍さんは英語が得意だって分かったんだよ。それに、これ――」

 蛍さんのPCから盗んできたデータを月ヶ瀬さんのタブレットPCで再生して聞かせると、ソファから軽く腰を浮かせ朔良さんは顔色を変えた。

「兄さんの声だ……なんでこんなもの?」

「父親が遺した貴重な歌声だ。普通なら、真っ先に、息子に聞かせてくれるのではないか? だが、水森蛍はこのデータがある事を隠していた。それに、英語が出来るくせに出来ないフリをした。この英文を書いたのが自分だと知られたら都合が悪かったからだ。なぜ知られてはいけないのだ? どういう事だと思うね?」

 ローテーブルの上のタブレットPCを中心に、僕たちと朔良さんは無言で視線を絡ませた。少しの沈黙の後、朔良さんはシャツの濡れた襟元を不快そうに掴んだ。

「まさか、兄さんと蛍さんが不倫してたってことか」

 こくん、と月ヶ瀬さんは頷く。

「私はそう思っている」

「僕も、そう思いたくないけど、そう思うしかないと思う」

 うう、と呻いて朔良さんはソファに背中を寄り掛からせた。ドサッ、と乱暴に。

「おまえたち、いったい何してるんだ?」

「私たちは、祐樹さんが殺された証拠を探しに来たのだ」

 月ヶ瀬さんの凛とした声が通り、朔良さんは忙しなく身を乗り出す。

「おいおい、ちょっと待て。まさか、居もしない犯人捜しをしてるのか? 兄さんは事故死だ。そうでなければ、どこかで生きてる。子供じみた真似はするな」

「本当に生きてると思う? 朔良さんはそう信じられるの?」

「それは……」

 口籠り、ガシガシと手で髪を掻き乱してから、朔良さんはもう一度ソファに寄り掛かった。動揺する朔良さんに月ヶ瀬さんが追い打ちをかける。

「最も可能性が高いのは――アリスさんは旅先で、祐樹さんと水森蛍が不倫関係にあると知ってしまい、カッとなって祐樹さんを殺害した。アリスさんは祐樹さんの遺体を持ち帰り、水森蛍は罪悪感に駆られて遺体の隠蔽に加担した、というケースだろう」

 分かり易く不機嫌になり、朔良さんは剣呑な表情を浮かべる。

「よせよ。子供がするような話じゃない」

「真実は、すべての人間に平等だ」

 月ヶ瀬さんを論破する事は出来ないと悟ったのか、朔良さんは苦りきった様子で低く呻いて、僕に視線を合わせた。さっきから忙しなくソファに身を預けたり、身を乗り出したりして落ち着かなかったが、珍しく姿勢を正して両手を膝に置いて、きっちりと僕に正対する。この叔父の真面目な顔を初めて見た。

「蒼依、もういい加減、両親の死に拘るのはやめたらどうだ? 綺麗な思い出話を聞くだけじゃ満足できないか?」

 僕は無言で反抗する。満足できるわけがない。

「そうか……だったら言ってやる。俺も兄さんが生きてるなんて思ってない。おまえの父親は海で溺れて死んだんだ。それで充分だろうが。人の不幸を穿り返すな!」

 朔良さんは祖母と同じ事を言った。人の不幸を穿り返すな、と。だけど、埋もれさせておいてはいけない不幸もある。真実を掘り出さなければ、父さんが可哀想だ。

「僕は納得出来るまで諦めない」

「おまえ、何言ってるのか分かってるのか? いつまで死んだ人間の事を引き摺ってるつもりだ。兄さんも、義姉さんも、もう二度と帰ってこない。この世のどこにもいないんだ。死んだんだよ、二人とも――」

 荒い息をつきながら朔良さんは項垂れる。

「もう嫌だよ。俺はいつまでも兄さんに囚われていたくない……」

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