第34話 勇
どこかで忘れ物をしている気がする。例えば玄関の鍵を閉めた後、電車を降りた後、そういう感覚に襲われることがある。確認しても実際に何かを忘れているわけではない。持ち物は全部揃っている。でもそれは全て確認しないとわからないことで。それは何も具体的なことに限らず、ずっと忘れ物をしている感覚だけが抜けないまま大人になってしまった。らしい。
何をどこに置いてきたのだろう。
君は元気なときよりも病んでるときの方が面白いよ、とはまぁ随分な言いようだと思ったが、正直自分でも納得したしおそらくそれが正解なのだろう。無様に足掻く私は端から見れば滑稽で面白いのだ。エンターテイメントとして見れば、身近な人間が徐々に狂っていくのは相当愉快に見えるだろう。全部笑い飛ばして欲しかったところなのだから、むしろ感謝するべきなのは私の方だった。観測者がいなければ私のことなど誰も知らないまま静かに終わるところだったのだから、見届けてさえくれればそれ以上のことは望むまい。
私の欲しい言葉を何一つくれない人だった。私も優しい人間を取り繕う必要がなかったので、丁度よかった。私と同じわるい人でよかった。
髪が伸びてきた。お団子頭というのをかなり久しぶりに挑戦してみたらだいぶ頭が軽くなった気がする。早く全て切ってしまいたい。過去の自分との約束はかなり多く、然るべきときが来るまで髪を切らないというのはそのうちの一つだった。まぁいい。
よく考えれば過去の自分を裏切ったことなんて何度もあるし、これからも何度だってあるだろう。それでいい。それくらいの距離感でいい。
気づけば夜になっている。それで一週間が終わる。なんて無駄な毎日だろう。生産性の無い日々に吸い込まれて、一つ死に近くなる。
生きる意義だの、死なない理由だのはとうの昔に自分の中で一つ結論を出していて、それに苦悩することは今後ないことだろう。ただ、私は私を取り戻す必要はある。私は私を返してもらわなければならない。
私の中で、あの悪しき感情が芽生える前に。早く。
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