第29話 森の管理小屋 [地下一階]

「新入生代表、木上きのえ桃花ももか

「はいっ」


 時は流れ、康平は娘が自分の通った中学校の入学式に出るのを感慨深げに見つめていた。

 何故だか新入生代表の挨拶をすることになってしまって、右手と右足が同時に出そうなくらいに緊張している娘にビデオカメラを向けながら、上手くいきますようにと必死で願う。

 自分が中学生だった頃にはもっと広かったように感じられる体育館が懐かしい。

 今もまだ、この体育館の七不思議は語り継がれているのだろうか。


 入学祝いに妻の作った豪華な夕食とケーキを食べ、満足して眠った娘の頭を優しく撫でる。

 それから出掛ける支度をして、台所で洗い物をしている妻に声をかけた。


「探検に行ってくる」

「はーい、気を付けてね」


 家を出て、もう目を瞑ってでも目的地に辿り着くのではないかと思うくらいに歩いた道を行く。

 途中、嫌な気持ちになる路地があったので曲がる予定ではなかった角で曲がり、少し遠回りをした。


 森の手前にある小さな小屋は、今にも緑に飲み込まれてしまいそうだ。

 壁面にツタが伸び、裏手の窓は茂みに隠れて外から確認できない。


 この小屋は元々、町内会長の持ち物だった。

 森を荒らされないよう管理するという名目で建てられたものだったが、いつしかホームレスが寝付くようになっていた。


 康平たちが中学三年の頃、そのホームレスが幽霊に殺されたという噂が立った。

 真偽を確かめたいと言い出した同級生を止めきれず、康平たちと他数人で小屋へと来たのだった。

 結局小屋には目に見えないものは何もおらず、しかし所々に血痕と思われるような赤黒いシミがあったりして、康平たちは肝を冷やした。


 実際、小屋の中で何かがあり、その結果ホームレスは死んだのだそうだ。

 茜は真実を知ったようだったが、康平たちには詳細を話さなかった。

 成人した後、父親から完全に自立した茜から、小屋を買い取ったと聞かされた時は驚いたものだ。


 多少のリフォームをした小屋が、茜の新たな家になった。


 裏手の森には様々なものがいるらしい。

 昔に探検した幽霊屋敷も、小屋から森へ入っていくと辿り着くことができる。

 茜は町の人々が不用意に森に立ち入らないよう、小屋に住むことを決めたのだと言っていた。

 それならばもっと住みやすくすればいいのにと思うが、できるだけ森と同化したいらしい。


 遠目から見れば廃屋にしか見えない小屋の玄関を、三回ノックした。


「はいはーい」


 待ってましたとばかりに扉が開き、茜が顔を出す。

 中学の頃よりも明るく血色のいい丸顔に、あの頃と変わらない黒髪のショートボブ。

 玄関先には和斗の靴があった。

 中に入ると、テレビを見ていた和斗が康平の方を振り向いて笑った。

 相変わらず目付きが悪いが、生意気な雰囲気は男らしさへと変化している。


 三人とも町から出ずに大人になった。

 高校ではクラスは同じにならなかったが、登下校は大体一緒だった。

 同級生にからかわれることがなかったわけではないが、それくらいで離れてしまうような関係ではなかった。

 茜は大学に行かずに仕事を始め、康平と和斗はそれぞれ違う大学へと通った。

 それでも連絡は取り合っていたし、時々康平の家に集合してはお菓子を作ったりもした。


 康平は大学時代に出会った女性と交際を始め、就職して二年ほどで結婚した。

 妻とは友人だった頃から和斗たちと一緒に遊びに行っていたこともあり、顔見知りだ。

 彼女には霊感は全くないが、怖い話は好きなので四人で百物語をしたこともある。


 和斗と茜は何人かと付き合ったりすることはあったものの、今は二人ともフリーらしい。

 康平からすれば和斗と茜が結婚すればいいんじゃないかと思うのだが、自分は結婚には向いていないという考えを二人とも持っているから、どうにももどかしい。

 別に結婚という二文字に縛られずとも、二人で暮らしたらいいのに。

 そう思える空気感が二人の間にはあるのだが、康平が口に出来るわけもなく。

 いつかを願うことしかできないのだった。


「ももかの入学おめでとう。今度お祝いさせてくれ」

「ありがとう。小学校の時もそうだったけど、中学も同じだとやっぱり少し変な感じがするね」

「変わってなかった?」

「校舎内までよく見たわけじゃないけど、体育館は変わってなかった。変なのはいなかったかな、たぶん」

「まだ七不思議残ってんのかな」

「落ち着いたら聞いてみるよ」


 三人揃ったところで、茜を先頭に小屋の地下へと向かう。

 リフォームする際、外装をほとんどいじらない代わりに、茜は地下室を作った。


 コンクリートの階段を降りていった先、ひんやりとした地下室は蛍光灯に照らされて明るい。

 地下室の壁にはいくつもの新聞記事、その中央に古びた地図が貼られている。

 子供の頃の自分の字が、いまだにこうして残っているのが見る度に少し恥ずかしい。

 テーブルの上にはそれよりも新しい地図が置いてあって、主に茜の字で書かれた付箋が貼ってある。


 茜は高校卒業と同時に何でも屋を始めていた。

 最初のうちは家事手伝いや買い物代行なんかがメインで、他には失せ物探しの評判が良かった。

 変なことが起こるのだというような相談にも乗っていて、いつの間にか心霊現象に関する依頼も増えたと笑っていた。


 茜は自分で用意した地図に、依頼のメモや、世間話のついでに手に入れた情報なんかを書き込んでいた。

 町を歩いていて見かけた幽霊のことも。

 そしてこの小屋のリフォームが終わった時、この地下室に康平たちを呼んで言ったのだ。


「探検隊の秘密基地は、やっぱり地下室だよね」


 和斗は爆笑し、家からあの地図を持ってきて正面の壁の一番真ん中に貼り付けた。

 テーブルの上の茜の地図に自分が嫌な感じがした場所を付箋に書き込んで貼り始めたのを見て、康平も慌ててそれに便乗した。


 大学生活もあったし、就職してからはさらに自由な時間は減ってしまった。

 けれど今でも、こうして度々集まっては新しい情報を地図に書き込むのだった。


 テーブルの上には、額縁に入った怜二の写真が置いてある。

 康平と和斗の持っていた写真の中で、一番写りがよかったものを引き伸ばしたのだ。


 その頃にはもう、怜二の死や、その後にあった様々なことを受け入れられるようになっていた。

 生まれ変わって怜二に会った時、笑われてしまうよなと言い合えるようになっていた。

 四人で並んで写真が撮れなかったことが、唯一の心残りだった。


 和斗は変わらず水神と契約していて、今でも数ヶ月に一回は夢で話すらしい。

 普通の生活しか送っていないと文句を行ってくるようだが、だからといって危険な場所に首を突っ込むようなことはしていなかった。


 茜に関しても同様に、自分の手には追えないと判断するとそれ以上は踏み込まない。

 怜二の言っていた神様とは誰も会えなかったし、もはや誰も自分たちを守ってはくれないだろうと理解していた。

 力のある人を見分けることはできたから、手に余る時は専門家を呼ぶようにしている。

 嫌な気持ちになるところには、誰も近寄らないようにしていた。


 怜二のくれた力を無駄にしないよう、康平たちは生きていた。

 何年も、何年も。

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