幼馴染の佐野は何も知らない

中田もな

栃木

 佐野はこの日、地元で有名なラーメンを食べに、実家から徒歩数分のラーメン屋に来ていた。黒い長財布だけを持って、部屋着のジャージにサンダルを履き、今風のきれいな自動ドアをくぐる。

 水曜日、それも昼間だからか、店内はかなり空いている。彼の会社は水曜と日曜が休日なので、ゆっくりと食事したい日は、決まって水曜に出掛けていた。

「醤油ラーメン一つ」

 店員は佐野の声を聞いて、一瞬驚いたような顔をする。この反応は女顔の割に声がやたらと低い彼にはよくあることで、彼も別に気にしてはいなかった。どちらかと言うと、黒い髪を伸ばしっぱなしで適当に結び、何年も着古したジャージを今なお着ていることを、彼は気にするべきだった。

 ラーメンが来るまでの間、彼はぼーっと窓の外を見つめた。今日の空はどっちつかずといった様子で、ひょっとすると雨が降るかもしれない。だだっ広い駐車場では、近くのパチンコ店の常連客が、何やら楽しそうに話をしていた。

「……パチンコ、打ちてぇな」

 大学生の頃までは、佐野は比較的真面目な性格だった。しかし社会人一年目のときにパチンコに出会い、そこから転がるようにハマってしまったのだ。幸い大損して借金地獄に陥ることはなかったが、それでも同僚たちに必死に説得されて、今はパチンコとは無縁の生活を送っている。

「ちっ……。大体、パチンコ屋が多すぎるんだよ」

 視界の端に入るド派手な店を見ていると、打てないストレスからか、どうにもイライラしてくる。佐野は無意味にテーブルを叩き、そして諦めたように頭を掻いた。やがて美味しそうな醤油ラーメンがやって来ると、彼はそれ以上に殺気立つことなく、黙々と箸を進めた。

 器いっぱいに乗ったチャーシューに、振り掛けられた白ネギ。コシの強い平麺が、アッサリとしたスープによく絡む。だが佐野の一番のお気に入りは、何と言ってもメンマだ。彼は味には疎い男だが、何故かメンマのこだわりだけは強かった。

「ごちそうさまでした」

 彼はあっという間にラーメンを食べ終えると、先ほどの店員に七百五十円を渡し、そのまま店を後にした。適当に駐車されている車の間を縫って、実家へと足を向ける。


「佐野!!」

 ――そのとき、前方に止められた真っ白の軽自動車から、随分前に聞いた声が聞こえた。佐野がすっと目線を上げると、車の主は人懐っこい笑みを浮かべて、こちらに向かって手を振っている。

「……桜井、何でここに」

「佐野の家に行ったらさー、誰もいなかったから。だから多分、ここにいるんじゃないかなーって」

 佐野は桜井の言葉を聞いて、素直に気持ちが悪いと思った。彼は高校まで一緒の学校に通った幼馴染だが、彼が愛知の大学に行くと言って北関東を離れてから、今の今まで一度も会ったことがない。そんな彼が、何の連絡もなしにいきなり実家にやって来て、さらには佐野の行きつけのラーメン屋にまで車を走らせてくるとは、どう頑張っても予測不可能なことだった。

「それにしてもさー、相変わらずファッションには無頓着なの? 社会人なんだから、もっと身だしなみには気を付けないと」

「……うるせーな。それより、何でここにいるんだよ」

 桜井は中性的な顔立ちで、高校の女装コンテストで優勝したこともある。ちなみに佐野も無理やり出場させられて、丈の短いスカートを履かされた。

「ちょっとさ、佐野に会いたくなっちゃって。ねぇ、今ヒマ? 一緒にドライブ行こうよ」

「はぁ? 今からって、急すぎるだろ」

 佐野がそう言って断ろうとすると、桜井は運転席から降りてきて、力尽くで彼を助手席に乗せた。思い返せば女装コンテストのときも、彼の凄まじい握力を前に屈服せざるを得なかった。

「いってぇな!! 何なんだよ、おまえ!!」

「ちゃんとシートベルトしてねー。それじゃあ、しゅっぱーつ!」

 桜井は軽い調子でハンドルを握ると、そのままエンジンを掛けて駐車場を飛び出した。佐野は結局、長財布に入った二万円だけを持って、彼のドライブに付き合わされることになった。

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