<幕間> ある日の四人(1) ルシア先生の悩み

 ルシア先生の朝は早い。

 夜明けとともに目を覚まし、白い貫頭衣姿で、孤児院の庭に出ると、サンコウジュの大木の横に座し、朝日をあびながら、静かに瞑想。

 深い呼吸を繰り返し、爽やかな朝の大気から、魔力のもととなるプラーナを取り込む。

 ルシア先生のまわりで、プラーナの輝きがちらちらと揺れる。

 やがて、ルシア先生は、その目を開き


 「よしっ」


 すくっと立ち上がる。

 今日も院長としての、忙しい一日が始まる。



 ちょっと手が空いた、あいまの時間に、ルシア先生は食堂の調理室に入っていく。


 「どうかな……」


 保存庫の奥から、わらに包まれたものを取り出す。


 「どれどれ、っと」


 真剣なまなざしだ。

 わらを広げてみる。

 薄茶色の豆に、灰色のカビが生えたものが現れた。

 腐敗して、ねばねばになっている。

 鼻をつく刺激的な臭い。


 「うわっ! また、腐っちゃった?」


 あわてて、わらでもとどおりに包んだ。


 「うーん……どうもうまくいかないな……ユウが言ったとおりにやってみてるんだけどなあ」


 首をひねる。

 ――納豆である。

 ユウが、納豆という、故郷のたべものの話をしたのだ。

 作り方も話してくれた。

 ゆでた豆を、煮沸したわらで包んで、放置しておくと、それだけできるのだと。

 さすがの博識なルシア先生も、納豆を食べたことはない。そもそも、見たこと、聞いたことさえない。

 しかし、ユウの話をきいて、作ってみようとおもったのだ。

 この世界を選び、故郷に帰らないことにしたユウのために、なにかできればと思って。

 それに、話をきくと、なんだか、かんたんにできそうだったし。

 王都からユウが帰還したときに、食卓に出して驚かそうと思い、作り始めたのだが……。

 サプライズなので、ユウに、あまり詳しくあれこれ聞くわけにもいかない。

 いろいろ試してはいるのだが、どうしても、豆は腐ってねばねばになってしまう。


 「なにがいけないのかなあ……このくさい臭い、どう考えても失敗だわ。これじゃとても、食べられやしないもの……」


 悩むルシア先生である。


 賢明なる読者諸氏は、すでに、お察しのことと思う。

 実は、うまくいっているのである。

 カビ(納豆菌)が生えて、腐って(発酵して)ねばねば、独特の臭気……それが納豆なのだが、現物を見たことがないために、成功していることに、まったく気づかないルシア先生であった。


 「ユウが帰ってくるまでに、うまくできるかしらね……」


 ため息をつきながら、ルシア先生は、孤児院の仕事にもどっていく。



 毎夜、ルシア先生は、王都のユウと連絡を取っている。

 二人は、念じるだけで会話ができるのだ。

 いわゆるテレパシーである。

 おずおずと、探りを入れてみる。


 「ねえ、ユウ……」

 「ん?」

 「ナットウって、前言ってたでしょ?」

 「うん。この世界に来てから、食べることができないけど、やっぱりご飯には納豆がいいよね」

 「美味しいのね」

 「うん、美味しいねえ。あの風味がね! で、納豆がどうしたの?」

 「ううん、なんでもないの。食べられるといいね」

 「そうだ! 帰ったら、ぼくが作ってあげるよ。簡単だから」

 「え、ええ、そうね。楽しみだわ……」


 (やっぱり、あれは違う。ユウは美味しいって言ってるし……うーんなにが悪いのかな。藁かな……温度かな……)


 ルシア先生の深い悩みは続くのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る