その人が、ルシア先生にささやく。

 わたしたちは、禁呪の霧に踏み込んでいった。


 「うぅ、気持ち悪いよ」


 ジーナがうめく。

 それは、霧ではあるのに、まるでなにか実体のある、生き物の舌のように、ぬるりと、わたしたちのからだに触り、なでまわしてくるのだった。

 幸い、ユウの力のおかげで、触れられても、それ以上のことはおきない。

 もし、ユウの力がなければ、おそらくわたしたちも禁呪にとらわれ、あのルシア先生の事告げ鳥や、森の樹のように、命を失い、石となって崩れてしまうにちがいなかった。

 そんなものにぺたぺた触れられているかと思うと、生きた心地はしない。


 霧は深く、まるで先が見えない。

 ユウが、ルシア先生のクリスを掲げた。

 クリスが、その深紅の輝きを増す。

 ユウが向きをかえると、それにつれて、クリスの輝きが増減するのがわかった。


 「これが、ぼくらを導いてくれる。行こう」


 ユウが言い、クリスを掲げ、そのもっとも輝きが増す方向に向けて歩き出す。


 「むっ!」


 ジーナ/イリニスティスが声をあげて、イリニスティスを霧に向けてふるった。


 「~~~!」


 声にならない叫びが聞こえ、なにか黒いものが、どさりと地面におちた。


 「なに? 今の?」

 「禁呪の、呪文そのものがかりそめの命を持ったものだ。この禁呪の中では、唯一それのみが動けるのだ。娘たち、油断するなよ」


 とわたしの口をかりて、ヴリトラ様が言った。


「うしろだ、ライラ、真後ろに杖を突き出せ!」


 ヴリトラ様の声が響き、わたしはとっさに、杖を両手で握ると、脇の下から後ろに突き出した。


 ぼすっ!


 「!…………!!」


 いやな手ごたえがあり、わたしの後ろでなにかが、無言のまま、ばたりと倒れた。


 「その調子だ、いいぞ、娘」

 「ライラ、あんた、これからもずっと、そのヴリトラ様の蜘蛛、首筋に貼りつけてたらいいんじゃないの? 便利じゃん」


 ジーナがその様子を見て、また無神経なことを言う。


 「冗談じゃないわよ、あんたがつければいいでしょう!」

 「あたしにはイリニスティスがいるからね/おうともよ!」

 「ちょっとジーナ、ちゃんとイリニスティス制御してるの? なんか声が混じってるよ」

 「なにいってるの/なにをいっておる/これで万全よ/まったく問題ない」

 「ほんとに、だいじょうぶなのかなあ……」

 「いやあ、ほんとうに面白いなあ、君のなかまは。でも、まあ、わたしも、どうせ貼りつくなら君の方がたのしいけどな」


 ヴリトラ様が口をはさんできた。


 「なんでですか?/君のあれこれ、ぐだぐだ考えるところが好きなんだよ/なんですかそれは!/ふふふふふ」

 「ライラ、あんたこそ声が混じってるわよ」

 「これはしかたないの!」


 とわたしたちが言いあっている間にも、ユウが、クリスを持ってない方の手で、霧から現れた黒い禁呪のグネグネをつかむと、握りつぶした。

 その手から、ぼたぼたと黒いどろどろが滴って消えた。

 どれほどそうやって進んだだろうか、クリスの輝きが、まぶしいほど明るく、深紅の光であたりを照らし、


 「ここだ」


 ユウが言った。

 今、わたしたちの目の前にあるもの、それは古びた樹の幹だった。

 丸みが見えないほどの太さのある、そして上も見えない、とんでもない大きさの巨木。

 その幹が目の前にあった。

 よく見ると、幹の表面が滲んだようにぶれている。

 禁呪と戦っているのだ。

 禁呪がその表面を削り取る。すると、すぐにその削り取られた部分が、再生される。

 そうやって、消滅と生成を繰り返すことで、この樹は禁呪に抵抗しているのだった。


 「この樹が護りの結界だ。この奥にルシアさんが……」

 「でも、どうやって行くの? 入り口なんかないよ」


 ジーナが言う。


 「穴をあけたら、そこから禁呪が流れ込んじゃうし……」

 「だいじょうぶだ」


 ユウが言う。


 「ぼくらが最初に会った時のこと、おぼえてるかな。

  あのときも、ライラが必死で張った結界があったけど」

 「ユウはいつの間にか、その中にいたわ」

 「これも結界だから。ぼくに通れない結界はこの世界にはない、さあ、その手を離さないで。ぼくを信じてついてきて」


 そういって、ユウは、その巨木の幹にためらいなく踏み込み、わたしたちも目をつぶってその後に――


 一瞬後、炸裂するまぶしい光!!


 「?!」


 ルシア先生の声が響きわたった。

 わたしたちは、次の瞬間、巨木の幹をとおりすぎて、その内部の空洞にいた。

 樹の幹の内部だというのに、その空間は広大で、そこには、大勢のエルフが身を寄せ合っていた。

 百人以上いるだろう。

 見た目が子どものエルフもわずかばかりいた。子どもといっても、見た目と年齢はそうとう違うはずだけど。

 広場の中央に、複雑な魔法陣が書かれ、魔法陣上のいくつかの焦点の位置と、魔法陣の周囲には、ローブをきた、いかにも魔力のありそうなエルフが配置され、必死で詠唱を続けていた。

 魔法陣は、うなりながら赤く点滅をしているが、その点滅は不安定で、魔力がつきかけているのではという不安がよぎる。

 力尽きて一人のエルフが倒れると、交替のものが、すかさずその位置に入っていた。

 魔法陣の中心で、奮闘しているのは、メイガス魔導師だった。

 力のかぎり詠唱をつづけているが、限界が近づいているのか、詠唱もともすれば途切れそうになる。


 「ユウさん……!」


 もう一度叫んで、ルシア先生がわたしたちのもとに。

 ルシア先生は、わたしたちがいちどもみたことのない、憔悴しきった顔で、美しい髪もほつれ、魔力を使い果たしたのだろう、足取りもおぼつかない。

 よろよろと近づいてくると、ユウの顔をみつめ、


 「ありがとう、ユウさん、あなたは、やっぱり、来てくださったのね……」


 そういって、ユウの胸にたおれこんだ。

 ユウは、そんなルシア先生をやさしく抱きとめると


 「ルシアさん、約束したでしょう、なにがあっても、ぼくがあなたを助けると……」


 そう、ささやいた。

 うん、まあ、これはしかたない。

 そうなるよね。

 うん。

 これは、やっぱり、しかたないと思うよ。


 「そうだな、娘、二人の邪魔をするのは無粋だぞ」


 ヴリトラ様がいい


 (そんなこと、しませんよ!)


 わたしは(内心で)答えたのだ。

 しばらく二人はそうしていた(しかたないけど)が、やがてルシア先生は身を起こし、わたしたちに


 「ライラ、ジーナ、ありがとう。あなたたちまでこんな危険なことに巻き込んで、ごめんなさい……」


 と、つらそうに言った。


 「当たり前じゃないですか! わたしたちは先生の弟子なんですから!」


 ジーナが、元気に答えた。


 「そうです、先生。わたしたちは『雷の女帝のしもべ』なんですから。師匠の危機に、駆けつけなくてどうするんですか」


 とわたしも言った。


 「ありがとう……」


 ルシア先生の目に涙が光った。


 「よし、それでは、まず、応急処置だな」


 ユウが言って、ルシア先生の手を取った。

 渦の調整だ。

 驚くことに、その一瞬で、ルシア先生の憔悴した顔が、和らぎ、輝きをまして、いつもの元気をとりもどしたようだった。


 「すごいわ! 魔力も回復したようね。ありがとう、ユウさん」


 そう言ってほほ笑むルシア先生は美しい。


 「次は、あの魔法陣だ」


 ユウは、魔法陣に近づいていく。

 魔法陣は、いよいよ魔力不足で、不安定になっている。

 結界の力が揺らぐと、禁呪の圧力で、空洞が軋む。

 額に汗を光らせ、髪を振り乱し、詠唱を続けるメイガス魔導師と、ユウの目が合う。

 ユウが呼びかけた。


 「メイガスさん、ぼくが今からその魔法陣に手をくわえます。

  そうしたら、もう、みなさんがそこに魔力を注ぎこむ必要がなくなりますから、もうすこしだけ頑張ってください」


 メイガス魔導師が、なんどもうなずき、その詠唱にも再度力がこもった。

 ユウが、手を差し伸べ、魔法陣にその力をそそぎこんでいく。

 その結果、何かが魔法陣の上で構造を変え、力強く呪力の駆動を開始して、


 「もう大丈夫です、みなさん、お疲れさまでした。魔法陣は、みなさんが魔力を使わなくても、稼働します。詠唱をやめても大丈夫ですよ」


 ユウがそういったとたんに、力尽きて、その場に倒れこむエルフが何人もいた。

 エルフたちは、詠唱をやめ、魔法陣から離れたが、ユウの力を注ぎこまれた魔法陣は、先ほどと変わらず、いや先ほど以上の力強さをもって、うなり、光り、稼働し続けている。


 「すまぬ……アンバランサー。しかし、いったい、なにをやったのだ?」


 メイガス魔導師が、疲れ切った様子で、近づいてきて、ユウに聞いた。


 「ぼくの力の一部を魔力に変換して、魔法陣に注ぎこんでいます。もともとぼくの力は魔力とは縁遠いものなので、効率はとても悪いけど、それを補って余りあるレベルで力を注ぎこんでいるから、十分、魔法陣は持つでしょう」

 「今もそれをやっているのか?」

 「はい、みなさんがここにいる限りは」

 「いったい、それにどれだけの力が必要か……信じられん。ここまで結界を維持するのに、百人のエルフが息も絶え絶えになるほどの努力が必要なのに……アンバランサーがそれほどのものとは……」


 メイガス魔導師は嘆息した。


 「アンバランサーは、やはり、この世界のものではない……その力は、この世界の外から……」


 「みなさん、そうとう消耗されてますね。まずは、すこしでも回復するようにしましょう」


 ユウはそういうと、エルフの一人一人にふれてまわった。


 「おお!」

 「なんだ、これは?」

 「魔力が、もどってくるわ」

 「疲れが消える……」


 ユウに触れられたエルフたちから、驚きの声が漏れる。


 「よし、と」


 百人以上いるエルフ全員の回復をおこなって、ユウはこともなげに言った。


 「ついでに、例の呪いも解いちゃったよ。ここにいる人たちに関していえば、あの呪いはもう存在しない」

 「アンバランサー……」


 メイガス魔導師は、声をつまらせた。


 「ありがとう……わたしたちは、君になんと言ったらいいのか……」

 「気にしないでください、それがルシアさんの望みですから」


 ユウはそういって、横にいるルシア先生を見た。

 ルシア先生は、それにこたえて微笑む。

 ……やっぱり、なんだかなあ。


 「だめだぞ、気持ちはわかるが、そっとしておいてやりなさい」


 ヴリトラ様の声が、すかさず響く。


 (わかってますって!)


 と、若干不本意ではあるけど、心の中で答える。


 「さて、それでは」


 とユウが、あらため聞いた。


 「ここで、いったい何があったのか、お聞かせねがえますか?」


 そうなのだ。

 今、この瞬間にも、この結界の外では、広がり続ける禁呪の霧が猛威をふるっており、それをなんとかしないことには、わたしたちの世界は救われないのだ。

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