透明コンプレックス
うつりと
川原楓
区立若枝小学校に入学した楓は、校庭で心電図検査の順番待ちしていた。
「心臓は、胸の真ん中より少し左側にあります。手を当ててみましょう。ドックンドックンと音が聴こえた人は手を挙げてください。」
(あたし全然聴こえない。耳ならピアノでばっちり鍛えてるから自信あるんだけどな‥‥)
楓は腑に落ちないまま、周囲に合わせて右手を挙げた。
「川原さーん」
楓の順番だ。手足に電極、胸部にパッドを貼られていく。最初のジェルが一瞬ひんやりしたくらいで痛くはなかった。ベッドは2台あったが、楓だけ後ろの生徒にどんどん飛ばされていく。楓は再び腑に落ちず、なんだか嫌な予感がした。
(心臓の検査って初めてだけど、もしかしてどこか悪いのかな?)
実は、楓は通常の方法で波形が出力されず、電極パッドを左右逆に付け替えていたため倍以上の時間を要していた。
「楓ちゃん、ちょっといい?」
担任の畑山先生は黒板前の椅子に楓を座らせ、右胸のあたりに手を当てそっと耳を近づけた。再三の「腑に落ちない」である。「二度あることは三度ある」とはよく言うが、ここまで来ると何かが起きる前兆に違いない。
その夜、畑山先生から自宅へ電話が入り、校医の循環器内科で再検査を勧められた。再検査の結果も「右胸心。機能的な異常なし」だった。
(なんで私だけ心臓が右にあるの? 変人扱いされそうで嫌だな。)
右胸心とは医学用語で心臓が右側にあることを示す。他に先天性奇形を伴わなければ、機能的には問題はない。心臓だけが左右逆になっているものや、心臓だけでなく全部の内臓が左右逆になっている全内臓逆位などがある。
楓の場合、現時点では他の臓器の位置まではわからない。専門医に説明を受けた際、楓は衝撃を受けたものの怯まず質問をした。右に心臓があると心臓に欠陥が生じやすいとか、心臓が悪いと運動ができなくなるとか、耳に残るのは悪い話ばかりだ。小柄で俊敏な動きが持ち味の楓は、心臓病ではありませんように、と祈るような気持ちで話を聞いていた。
右胸心で血液型AB。偶然にもこの二つの要素が楓のカラダの中で揃ってしまった。紛れもなく少数派(マイノリティ)である。幼少時から照れ屋で人見知りだと母親から言われていた楓は、大人たちが心臓や血液型の話で談笑しているのを聞くのが苦痛だった。「穴があったら入りたい」心境に初めて遭遇した。
中学二年の一月下旬、突然で人生初の腹痛が楓を襲った。近所のクリニックを受診したところ、「お腹の風邪」と診断され、当初はチクチクした痛みだったので耐えていた。痛みは強くなるばかりで、ついに背中を丸めないと歩けなくなった。結局、39度の高熱が出て眠れなくなった。二週間ほど病院にも行かず、学校も休まなかったことが災いした。
「白血球が18,000…! 心臓が右? 内臓逆位だったら盲腸は左だな。盲腸だって手遅れになると死んでしまうんだよ。緊急手術してくれる腕のいい先生を紹介するから。入院の準備してすぐ行って。」
再び受診した楓はそれを聞き、気が動転する暇もなく電車に飛び乗った。三駅先の消化器科専門病院へ、藁をもつかむ思いで向かった。
その夜、楓は緊急手術を受けた。麻酔が効いてきて、メスが入る感覚までの記憶はあった。
手術は二時間近くに及んだ。眼前がぼやけた白から眩しい白に変わった。左下腹部に十センチ超の手術痕が見えた。半年前に盲腸の手術を受けた妹・菜々の傷はもっと小さかったはずだ。
「虫垂炎の手術だと十五分くらいで終わるの。楓ちゃんの場合、他の臓器も全部逆で、腹膜炎といって炎症も進んでいたから時間がかかったの。よくがんばったわ。」
手術前に内臓逆位を知らされていた楓は、ここでは意外と冷静だった。
「取った盲腸を見せてもらえますか?」
「盲腸は破裂して溶けて背中側までまわっていたよ。一日遅れていたら死んでいたね。」
楓は目を閉じ、執刀医である院長の言葉を噛みしめた。手遅れ寸前の状態から救われた奇跡と、恐怖を感じることなく手術を受けられた幸運を。
「傷口は左側だけど、反対側にはドレーンという短いゴムの管が三本入っている。そこから膿を外に出していく治療をするよ。」
自分の身体が自分じゃないようだ。下腹部が鉛の塊のように重く、突っ張る感じで違和感しかない。でも今の説明で合点がいった。手術前より手術後のほうが痛みが強いことに落胆した。
楓は「出産の痛みは人生最大の痛み」と母から聞いたことがあった。母には悪いが、こっちのほうがはるかに激痛だといえる。処置時の痛み刺激は強烈で、ベッドから跳ね上がるほどであった。この痛みに耐えられるのなら、もう何も怖くないと思った。
手術後三日目まで、楓は個室で静かに過ごした。容体が安定し空き部屋が出たため、四日目には303号室に移動した。三十代のKさん、四十代のMさん、五十代のSさん、そして楓。女性だけの4人部屋だ。テレビが設置されており、ベッド毎にカーテンで仕切ることもできるが、この部屋ではカーテンを閉めているのをあまり見たことがない。文字通りオープンな雰囲気で、初入院の楓もすぐに打ち解けた。
胃切除後のSさんは、折れそうなくらい華奢だった。楓が加入して五日目の夜、Sさんは3時間おきに内服しなくてはならないと聞いていた。その日は、全員がSさんと一緒に起きて服薬するのを見守り励ました。
栗色のパーマヘアが印象的なMさんのベッドサイドには、分厚いホラー漫画雑誌が積まれている。よく見ると楳図かずおの作品である。破壊力抜群の笑い声に負け、ついに全員で恐る恐る回し読みすることになった。消灯時間後の怪談話は秀逸だった。
Kさんは、盲腸手術の翌日に許可なくトコトコ歩いてしまう無茶でファンキーな人である。小麦色の肌に、黄色のプリント柄のパジャマがよく似合う。ある日の午後、出前ラーメンをこっそり食べているところを、たまたま楓が見てしまった。ラーメンといえば消化の悪い献立の代名詞である。しかもここは消化器科病棟だ。どこでどう注文したのか、ここまで来ると漫画の世界だなと楓は思った。
「Kさん、そのラーメンどこで? 消化とか大丈夫なんですか?」
「ウチこの近所だからダンナに頼んでね。バレないよ、大丈夫。ここのラーメンと餃子おいしいんよ。来々軒ってとこ。よかったら言って。頼んであげるよー。」
こんな自由すぎる人、見たことない。毎回こんな調子で度肝を抜かれてしまうため、楓はお腹の傷のことも一瞬忘れてしまい、後悔ばかりしている。
院長の回診時、楓は処置を受けていた。毎回、「痛いーっ!」と廊下に響き渡るほどのうめき声を挙げてしまうのに、不思議と誰からも文句を言われなかった。それどころかSさんに、「楓ちゃんはアイドルの藤野つぐみに雰囲気似てるよね。」と言われて以来、「つぐみちゃん」と呼ばれるようになった。楓はなんだかくすぐったかった。
退院日の朝。ふと窓に目を移すと、桜の花びらがひらひらと舞っていた。鴇色(ときいろ)のたおやかな色彩は、楓の憧れであった。待ちに待った退院。それなのに後ろ髪を引かれるのはなぜだろう。303号室のメンバーは最高だった。修学旅行みたいに楽しかったな。四十五日間が走馬灯のように駆け巡る。
「つぐみちゃん、退院おめでとう。あんなに痛がってたのに、よくがんばったね!」
最後までアイドルか。ま、慣れたけど。みんな今日までありがとう。一生忘れない。
エントランスの扉が開いた瞬間、かすかな風の香りがした。楓は胸いっぱいに吸い込んだ。
弱冠十四歳で人生のターニングポイントが訪れた楓。両親は手術直後に、院長から再手術の可能性が高いと知らされ覚悟していたという。再手術をせずに治癒した楓は、周囲から奇跡的な回復と言われた。その背景には、休日出勤をして楓の回診に来てくれた院長の姿があった。
「楓くんはそんなに勉強が好きなのかい?」
日曜の朝、ベッドのオーバーテーブルに教科書を広げる楓に、院長が声を掛けた。眼鏡の奥の優しい眼差しがなかったら、楓は回診拒否をしていたかもしれない。婦長さん、主任さん、看護婦さんたちはどんな時も心の支えであり続けた。何より、楓の病院嫌いを払拭してくれたことは大きかった。
毎日見舞いに来てくれた家族には感謝しかないが、水糊のようなお粥しか食べられない楓の目の前で、マクドナルドやケンタッキーを食べるのだけはやめてほしかった。食い意地が張っていた楓は悔しくて、「退院したら食べたいものリスト」を書き留めていた。
「楓ちゃん、そこまで食べ物のこと考えられるってすごいね。細かすぎて笑えるんだけど。」
二歳下の菜々にメモを見られた。菜々は楓のことを「お姉ちゃん」とは呼ばない。四歳下の弟・純生も「楓」「菜々ちゃん」となぜか楓だけ呼び捨てにする。おかしな姉弟である。
三月中旬に見舞いに訪れた体育教師の担任・赤井先生。元ラガーマンでジャージの印象しかなかった楓は、ジャケット姿で苺の箱を抱えているのを見ただけで吹き出してしまった。熱血漢の先生は、9教科の県一斉テストを学校で受験できない楓を慮り、別会場で車椅子で受験できないか掛け合ってくれたのだった。奇しくも楓の受験は認められなかった。準備を万全にしてきただけに、楓は無念でならなかった。楓は真っ赤な苺を眺めながら、こぼれる涙を抑えきれない。どのくらい泣いただろうか。そのうち涙を流している自分がちっぽけに思えてきた。
楓は呟いた。人はひとりでは生きられない、生かされている。当たり前だと思っていた健康が当たり前ではなかった。
思い返せば、目先の楽しいことばかりに目を向けていた。七転八倒してしまうほどの痛みを我慢してまで、バスケ部の同級生・森崎くんにチョコとイニシャル入り巾着を手作りしていたなんて。バレンタインデーに入院した楓の自虐ネタになっている。
好奇心旺盛な楓は、二十代から三十代にかけて、業界や職種を問わず仕事に取り組んだ。人材派遣や契約社員という雇用形態が重用される時期と重なり、楓も即戦力として派遣や契約社員として数十社で働いた。
三十七歳の九月、楓は高熱を出し会社を休んだ。当時流行していたインフルエンザかと思われたが蜂窩織炎だった。蜂窩織炎とは皮膚の傷から細菌が侵入し炎症を引き起こす病気で、楓は靴擦れが原因だった。抗菌薬の点滴治療を受けるため入院する必要があった。
その頃、楓は契約社員としてメーカーのコールセンターでスーパーバイザー職に就いていた。運営・採用・育成・稼働管理などに従事し、やりがいを感じていた。ただ男女間で待遇に格差があり、三十五歳以上の女性は待遇面で頭打ちになるなど不条理さを感じていた。このまま今の仕事を続けていくべきか悩んでいた楓は、入院中に今後の生き方や働き方について真剣に考えた。抗生剤の持続点滴と、赤く腫れた右脚を挙上し、クーリングする治療が九日間続いた。発熱していて普段より思考が鈍る感じはあるものの、個性あふれるタフな看護師たちとの会話を通じ、気持ちが整理されていく。
無理なくできる範囲で稼げる仕事を続けていても、満たされることはないだろう。今後は長く腰を据えて働きたい。専門職だと看護師かな。学費の安い学校に受かればの話だけど…。楓は自分の思考回路に驚いた。憧れたこともなく、適性があるとも思えない看護師が選択肢として急浮上したからだ。
退院一週間後、楓は悩んだ挙句、笑われるのを覚悟で菜々に打ち明けた。
「楓ちゃんが看護師向いているとは思わないよ。私も実習で看護師という人種が肌に合わなくて教員に反発してた。でも解剖生理は好きだったからオペ看(手術室看護師)やってる。楓ちゃんは勉強好きだし、学校さえ受かれば資格は取れるよ。看護師って医療しか知らない世間知らずばかりだから、楓ちゃんみたく社会人経験ある人がいてくれたら患者さんにとってもいいしね。今は病院以外にも働く場所が広がってるから。受験するなら応援するね。」
手術室認定看護師の資格を持つ菜々は、この道一筋のエキスパートである。看護師は向いてないと言いつつも、資格取得をすすめるあたりがクールな菜々らしい。患者さん視点なのも然りである。説得力ある言葉に導かれ、楓は可能性を試してみたいと思い始めた。
チーターのように瞬発力が武器の楓は、早速リサーチを始めた。社会人入試枠があり、学費が安価な通学圏内の学校で日程が間に合うのは2校だけだった。かなりの難関だと思われたが、両方とも落ちたら潔く諦めようと決めていた。元出版社勤務の両親をもつ楓には文章力しか勝算はなかった。どんなテーマが出されても、自分にしか書けないことを自分の言葉で表現しよう。「若干名」の社会人枠に滑り込むための短期決戦。楓の秘策は小論文に絞られた。
運命とは不思議なものである。不純な動機の楓が、医師会系看護専門学校の社会人枠に合格したのだ。覚悟はしていたものの、地獄の三年間が待っていた。実習は特に過酷で、睡眠時間2時間が続いたときは、意識と無意識の差が曖昧になり危険な状態だった。
それでも「崖っぷち看護学生」は無事卒業し、国試試験合格を手にした。
四十歳で再始動した楓は、早くも医療の、いや看護師の世界の荒波にもまれた。人の命と向き合う看護師たる者、気を落としている暇はない。楓は落ち込む度に、引き出しの中のポチ袋を取り出した。裏に直筆で「神木」と記されており、一筆箋が4枚入っている。
「(前略)変わらぬあなたの部分は、魅力であります。でも、もしかしたらあなたの成長に足を引っ張っているのかもしれません。あなたの心のどこかで変わらなくてもいいとしている頑固さがある気がします。でも…もしあなたが変わりたいと願っているのであれば、自分のワールドで収まっていてはダメだと思います。恋をするのも一つだと思います。とにかく人のワールドに触れたり、入ったりしていけたら改めて自分の変わらなければいけないところに気付くはずだし、変わらなくても良いあなたの魅力に気づくはずです。素敵なところ沢山ありますからね。ナースとしての数年後のあなたもそうですが、人としてもっと魅力的な川原さんになっている事を期待しています。」
神木とは、楓が看護学校時代の担任である。彼は楓の一歳年上で、営業職から看護師へ転身した経歴をもつ。外見は福山雅治風でソフトな雰囲気なのだが、尊敬するイチロー語録や写真を教材に盛り込むなどユニークで親身な指導には定評があった。楓の実習担当2回、卒業論文(看護観)担当でもあり、楓の性格や行動パターンを熟知していた。文中の指摘は楓の本質を痛いほど突いていた。手紙を読む度に看護学生時代の記憶が蘇り、涙腺が崩壊する。楓にとって神木は師匠であり、師匠の手紙は汗と涙の結晶であり、宝物なのだ。
変わりたい。看護師として、人として。
人は誰しもコンプレックスを抱えている。一見悩みなんてなさそうに見えても。自然界に光と影があるように、人の魅力は長所と短所あってこそなのだ。アンバランスだっていい。
コンプレックスをネガティブに捉えずに、ポジティブに変えていく。楓の原動力はそこにある。
楓は四十代のうちに「コンプレックス」を主題に半生記を書こうと思い立った。調べるためではなく、答え合わせするような感覚で辞書を引いた。
「強く色づけされた表象が複合した心理」というフレーズが目に留まる。そして閃いた。
強く色づけされたものを薄めるのは難しい。それならば最初から色をつけなければいい。色づけしていたのは他人ではなく、自分自身だったのだ。楓は、十四歳で突如現れたコンプレックスの謎が解けたような気がした。
透明コンプレックス うつりと @hottori
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