第4話 春の些細な風




 車両はどこかへ向かって走っている。軽車両をベースにつくられ、空へ長ぼそくのびる車体は、やさしいカーブや、春の些細な風を受けて、ぐらぐらと揺らぐ。

 矢山は助手席へ移っていた。

 五郷と一条はキャンピングーの住居部分にいた。一条は土色の顏をし座席に腰をおろし、五郷は長椅子へ、寝仏のように横たわっていた。 

「説明中、よけぇな話ばっかしたから、総じてくだらねえ時間を過ごした感じがありますね」

 一条へ向けて五郷がいう。

「ボクにどう答えろと………」

 土色の顏に困惑が足される。

「あの、ごごーくん………だっけ? きみはよくこんな状況でそんなくつろいでられるね………」

「一条さん、こんな椅子はね、公園のベンチと同じでさぁ」

「きみは公園のベンチをなんだと思っているだい」

「人類最後の砦ではない」

「特技はいらない情報の生産なのかな」

「で、おい、矢山さん」

 寝転んだ態勢のまま、五郷は助手席の矢山へ声をかける。

「なんだい、ぼんくら高校生の五郷くん」

「俺、おっさんの娘、矢山かるめとは高校がちがうんだが、そこんとこの認識はあんだよな」

「当然だよ五郷くん、そんなこと御存じさあ。私たちはね、隅々まで調べ尽くした上で、こいつならなんとか、って判断した上で君接触してるんだから」

「けど、一条さんのバレンインデーの件はきちんと情報キャッチしとらんかったじゃねえか」五郷がくだを撒くような口調をでいう。「おっさんの娘が義理で一条さんに渡したチョコだったんだろ。塾のみんなと一緒に、義理で渡したチョコだってことだったじゃないか。ええ。義理だし、それにもしかしたら集団圧力に屈して、歯噛みしながら渡したチョコかもしれないんだぞ。わたし、ホントはこんな人に義理だとしても、チョコを渡したくない! けれどけれど、人間関係やらグループ内の雰囲気上、ガマンして参加したかもしれないじゃないか。それを、おっさん、勘違いしてたじゃないか。義理をだよ、ええ? 義理でやったものを本命だと思い込むって、そりゃあ、あんた、人としてきびしいものがあるぞ。だって、義理なんだぞ、それを、あたかも、その延長線上に全力キッス的な感情があるみたいにとらえて。恥ずかしくないのかね。義理だってわかんなかったのかね、ええ?」

 そこまで迫ったところで、一条が「なんか、もうやめてくれないか」とつぶやく

「いいえ、一条さん。ここはガツンとハンマーで眼球を叩くぐらいのキガイをもって言ってやらにゃあいかんですよ」

「翻訳すると殺意になってるよ、きっとそれ」

「だいじょうぶだいじょうぶ」

 と、矢山は軽薄そうな言い方で応じた。

「五郷くん、もうあらためていうけどね、君とかるめが違う高校なのでは承知で君に頼んだの」

「ならその採用の理由はなんだよ」

「こっちでコントロールしやすそう」

「正直に言ったことは評価する、そして人間としては最悪と評価をくだす。で、それはそれとして、なにか飲物とかないのか? たしか、冒頭、うちの玄関先で、おっさん、俺を喫茶店に連れてこうとしたじゃないか。あの時の気持ちのような、喫茶店クラスのおもてなしはないのか? 初心を失ったのか、このろくでなしが」

「ふは、そりゃあもう、五郷くん。まかせたまえ。いやあね、一条くんにも、これは伝えとくがね、この任務中、飲食費の一切はこちらで持つからね。そのへんの福利厚生はしっかりしてるから。なーに、もうひとたびレストランとか入ってみたまえ、いくらでもなんでも注文して食って飲んでくれてかまわないよ」

「ヨシ、なら食えるだけ食ってやる。こっちは胃がぶっ壊れるくらいなんとも思ってねえからな」

「決意の種類がノイローゼだ………」

 一条がひいた、その時だった。

 車が急停車し、その反動で、寝転がっていた五郷は椅子からきれいに滑り落ちた。その際、ごん、と音をたて額をテーブルに売った。

「やったぞ、木野目くん! 急ブレーキで狙い通り、あいつ椅子から落ちたぞ!」

 助手席で矢山はホームランを生産したように、きゃっきゃと喜ぶ。一条は、そちらにもひいた。

「いてて………なんだよいったい………」

 しかし、一条の予想に反して、五郷は激怒をしない。不安定な態勢をしていることは、自身でも認識していた様子があった。

「ふたりとも、準備はいいかい」

 助手席から振り返りながら言う矢山へ、五郷は倒れた状態からすかさず「よくねえよ」と言い返す。

「準備ってなんのですか」一条は抱いている嫌な予感を、めいっぱい表情に浮かべて示す。さたに「というか、ボク帰りたいです、根本的に断りたいんです。この状況」意向を明確に伝えてゆく。

「いやいや、はっはっは」矢山は笑った。誤魔化すためか、間を持たせるためか、いずれにしろ、ふたりの神経を逆なです。「今日のぶんだよ、今日のぶん」

「やれやれ」

 五郷は、うすくぼやきながら態勢を立て直し、中腰になる。

「で、なにをどうしろと」

 前向きとのいえる姿勢で問い返す。その隣で、一条はなぜ、この高校生は、この状況を平然とこなそうとしはじめているのか、理解不能な眼差しで見ていた。

「言ったろ。我が娘、かるめが明るい写真を撮れば、世界は良くなる。ということはだ、今日かるめが撮る写真を、なんとかして、明るい写真にするんだ、君たちが」

「ようは、矢山かるめにハッピー感や、ドリーム感のある写真撮らせればいいんだな。そんなの、かんたん過ぎるぜ」

「かんたんなのかな………?」一条が不安げに問い返す。

「いえ、調子にのって言ってみただけです。現実は、俺の頭のなかは真っ白ですわ、一条さん。とはいえ、わからないなら、わからないなりにやってみるしかないですよ。だいじょうぶ、破滅は俺の、得意技ですから」

 いよいよ途方に暮れたのか一条は「ボクは帰りたい」と願いだけを口にする。

「その願いは叶いませんぜ」五郷はその発言を拾ってゆき、たちを悪くさせてゆく。しなくていいキャッチだった。その上で「なぜなら煌きがないですからね」どうしようもない考察さえ加えてくる。

「でね」

 矢山が仕切り直すように声をかける。

「かるめだけどね、いまはパン屋にいるのよ」

 言って、フロントガラスの向こうを指差す。五郷と一条はつられてその指先を見ようと身体を運転席まで乗り出す。

 そんなふたりを木野目は怪訝そうに見る。

 矢山が指差す先、時折り車が行き交う通りを挟んだ向こうに、個人経営らしきパン屋があった。真新しい店構えで、ここ数年に出来たような印象を受ける。

「で、あいつな、パン買うと、かならず食べるまえにパンの写真を撮るんだ」

「ああ、殺す前にターゲットの写真を撮る殺し屋的な感じで、パンの写真撮ってるだな、あいつ」

「うむ、君の育ちはホントに興味ぶかいねえ。まあ深追いはやめておく。まあ、というわけで、かるめはあの店でパンを買ったから必ずパンの写真を撮るわけで、つまり、チャンスなわけだ」

「あの」一条がやる気があるとは思われたくないが、ただ、気になるらしく問いかける。「ちなみに………ここまでで、かるめさんがパンの写真を撮った日って、どんな人が《神殿》の当選者になってたんですか………?」

「おうおう、そうだねえ。国も名前も伏せるけど、下町のならず者とかに当たってたなあ。下っ端ギャングとか」

「いや、ちょっと待ってください、パンの写真でもそういう悪そうな人に当たるですか………?」

「んんー、なんでだろうねえ?」

 他人事のように答えて矢山はうなった。

「どうせバグってるだけだろ」五郷は根拠なく言い切った。「つか、俺、中学卒業してからあいつと会ってないぞ、顏とか変わってるのか?」

「美人になってるよ、五郷くん」

「そうか、なら好きになってもしかたない」

 何を目的に宣言したのかわからないことを言い放ち、五郷はやや無理な態勢で運転席に身を乗り出したまま店の様子をさらに凝視する。そばにいた矢山は「五郷くん、私というパパの前で、娘を好きになるかもせんは宣言、なかなかの攻撃力だぞ」と、小さな苦言を呈す。

 監視をはいめて数十秒、パンに変化はなかった。店のロゴが張り付いたウィンドウの向こうには、各種さまざまなパンが棚に並んでおり、数人に客の姿は確認できるが、顏まではわからない。

「おっさん、双眼鏡とか、望遠レンズとか、そういう卑劣な道具が持ってきてないのか」

「持って来てないよ、五郷くん。私にはそういうのを持ってくるような、君のように卑劣な発想は浮かばんよ」

「ここからじゃ、なんにも見えねな」五郷は目を細めて見るも、やはり、そんなことでは見えてくるはずもない。「ほんとににいま、あのパン屋のなかにいるのか? 矢山かるめは」

「いるよ、だって、日ごろからうちの娘があのパン屋に行ってるのは調べがついてる、こうしてGPSで調べれてるし。いま、あの店で点滅してるし」

「………ほんとに親子ですよね?」とたん、一条がひどく不安げな表情を浮かべた。「血縁の証拠とか、見せてもらっていいですか? 公的な書面で」

「え? おう、はい、これ」

 軽く応じて、矢山は印刷済みの写真の束を手渡す。束は三十枚ほどあった。一条が受け取り、五郷が顔を寄せて来たところでめくってゆくと、そこには赤子を抱く若き日の矢山の姿があり、めくってゆくたび、赤子は女の子へ成長してゆき、矢山は歳をとってゆく。

 最後にあった写真は中学校の入学式と思しきものだった。

「俺が行ってた中学の入学式だ。もはや懐かしい」

「データでは消えてしまうからね。それに写真にしておかなきゃ棺桶にも入れられない」

「なんだ、おっさん、死ぬのか」

「いやいや、まーだまだ、生きるよ」

 胸を張り伝えてくる。ふたりは特別に反応することもなく、写真を眺めていた。

「補足するとね、うちの娘はあの店でパンを買って、イートインで食べるのが通例なんだよ、ひとりでね」

「つまり目撃者の心配はなしか」

 と、五郷が言い放つ。すぐに一条が「情報が複雑すぎてコメントしずらいコメントだね」と、感想だけ添えた。

「わかったぜ、おっさん。いまから、俺たちふたりで、かるめ女子んとこへ行って、で、なんとかして、いい写真を撮らせればいんだろ」

「ああ、その通りだ五郷くん」

「ヨシ、じゃあ言って来る」宣言して、五郷は身を起し、車内から出ようと動く。その際「作戦はなにもないからな、覚悟しとけよ」とも告げる。

「ちょっと待って………ボクも一緒に行くの?」

 一条が問いかけてゆく。

「ええ、お願いします一条さん。なんっつても、作戦ないですから。人手はひとりでも多い方がいい」

「ボクはいま、やがて逮捕後の自分を想像してしまってるよ、五郷くん………」

 嫌そうな表情をしたが、五郷の不気味な雰囲気に屈して、一条もまた車を降りようと動く。

「頼むよ、世界の今日の御機嫌は、君たちふたりにかかっている、世界を良くしてくれ!」

 そんなふたりへ矢山がそう告げた。

 すると、ドアをあけ、すでに半身を外界へ送り込んでいた五郷は、ゆっくりと振り返った。

「うっせえな、おまえがあんな《神殿》つーのをつくったせいで世界を困らせてんだよ。なにが《神殿》だ調子のったネーミングしやがって、この失格生物が」

 そう言い放ち、店へと向かっていった。



 三分後、ふたりは車内へ戻ってくる。

 店から出て、通りを渡り、キャブコンへ向かって来る両者の姿、足取りは、まるでコソ泥だった。事務所荒らし、その犯行後の雰囲気がある。

 五郷が先に車内へ入り、一条も続き、ドアを閉めた。そして、ふたりは定位置におさまるかの如く、さきほどの順番で社内の小さな椅子に肩を並べて座った。

「おお、戻って来たか、ふたりとも! どうだった!?」

 せっつき、前のめりになって問いかける。

 すると、一条がいった。

「行ったら、もうパン食った後でした」



 その日、日本時間午後六時を過ぎ、いつものように《神殿》の当選者が選ばれた。

 当たったのは、小さな国の、食い逃げ常習犯の男だった。彼は一瞬にして、人生三十回ぶんの金額を手にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る