目線の先には/ショートショート集

山井さつき

第1話 コンタクト

 眼鏡をやめた。邪魔くさかったし、ただの気分転換。ちょうど出会いの季節だし、垢抜けて見えるでしょ?最近は色が付いていて、目が大きく見えるものまであるらしい。科学ってすごい。

 「まほ、コンタクトにしたんだ。イメチェン?似合ってるよ、かわいい。てかあいつの講義すぐ眠くなるよね」

 大学のサークル仲間の恵子が隣に座りながら、白毛だらけの社会学の教授を見て言った。

 「ありがとう。ちょっとまだ慣れないかな。入れるの痛いし」

 「すぐ慣れるよ。そこまで痛いものでもないし」

 「慣れるといいな。最初入れるの怖くて泣いちゃったもん」

 大げさだよ、と恵子が笑ったところで授業が始まった。多分もうわかってる。恐怖とか痛みで涙がこぼれたんじゃない。自分が変わってしまうのが嫌だった。あの人のために変えるのがとてつもなく嫌だった。


 「俺イヤホンないと生きていけないわ」

 私がどうして、って聞く前に彼はだって、と続けた。

 「周りの世界を遮断して1人の世界に没頭できるじゃん」

 そういえば私の前でイヤホンしたところ見たことないな。私との世界は心地のいいものだったのかな。遮断したくない、幸せな時間だったのかな。懐かしい会話を思い出して胸の周りが痛くなった。多分「こころ」という臓器があるならば、位置はここだろう。

 いつも通りつまらない授業を聞いて、いつも通りサークルで恵子たちがバカしてるところを見て過ごした。退屈はしていないけれど充実もしていない、この普遍的な時の流れが妙に心を落ち着かせた。またいつも通り恵子たちと別れて、いつも通りの帰りの各駅停車に乗った。ゆっくりと鉄の箱に揺られるのが好きだ。流れる景色と沈む夕日を眺めていると最寄駅のアナウンスが聞こえてきた。そして次の駅のも。


 「最寄駅近いの助かるわ。好きな時に宅飲みできるもんな」

 そうだね、と目を細めてほろ酔いの缶を傾けた。お酒は強くない。

 「もう顔赤いぞ。大丈夫か?」

 些細な気遣いと体を包み込むような暖かい優しさが、今は「こころ」をちくりと刺した。気付けば電車のドアは閉まっていて乗り過ごしていた。しょうがない、折り返そう。最寄の次の駅で降り、向かいのホームに移動した。本当に早計だったと思う。3分待って来た電車の中には好きだった寝癖のついた髪と、猫背気味の背中。まさか、そんな。多分違う。

 「こころ」が騒ぎ始めた。虫眼鏡を通した太陽光のような視線を、あの人を焦がそうとするくらい注いだ。


 あの人は何にも気付かず電車を降りて行った。このまま家に帰るんだろうな。耳にはイヤホンをしていた。私はもうあの人にとって遮断されるべき存在で、2人の世界はもうない。「こころ」で騒いで、絡まって解けなくなった喪失感がどこかに逃げていった。


 「恵子、今日うちで飲まない?酒たくさん買ってくるから。おつまみも」

 「いいけど、まほ酒弱いじゃん」

 「大丈夫。今日はなんかいけそう」

 少し間を置いて、

 「あ、吐いたらごめん」

 しょうがないなあとスマホの向こうで笑って、すぐ行くわと言ってくれる恵子が今日は特に頼もしい。今までの自分なんか捨ててやる。今に見てろよ。すぐに後悔させてやるから。

 もうとっくに散ったはずの桜の花びらが一つ風に乗ってきた。

 

 そう、今は、出会いと別れの季節。



                おしまい






   







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