5 一緒にいたい
「それで結局、どう呼べばいいんだ?」
投げかけられた問いに、少女は最後の一口になったパンを咀嚼しながら首を傾げた。なんの話だ、と言わんばかりの態度に、レヴィンは苦笑する。
「さっき、おまえの名前を聞いただろう?」
空腹を告げる腹の音が響いたあと、レヴィンは笑うでも呆れるでもなく、窓を開けて外の明るさを確かめると「もう陽が昇ってたのか。気づかなくて悪かったな」と言って、速やかに二人分の朝食を用意してくれた。
少し残念そうに「もう少し食材を準備していればな……」とつぶやきながらも、干し肉と根菜が入ったスープを作り、備蓄しているというパンも、多少は柔らかくなるから、という理由でわざわざ温めてくれた。
そんなふうにまめまめしいわりにはテーブルもないこの小屋で、なにかの木箱を裏返したものを食卓代わりに、二人で囲んだ。昨日のスープは一口ずつ匙を運んでくれたレヴィンは、彼女の視線に気づくと「もう手は動くだろう?」と不思議そうに言った。
どうやら自分で食べなければいけないらしい、と悟り、レヴィンの行動を観察しながらも真似して食べていく。レヴィンがパンをちぎれば同じように、スープをすくえば同じように。途中でそれに気づいたらしいレヴィンは苦笑いしたが、そのまま彼女の自由にさせてくれていた。
やがて慣れていくうちに、自分の好きなように食べられるようになった。湯気立つスープの温かさとずっしりしたパンの重さが、空腹を満たしていく。
そうしておおかた食べ終えたところでの、レヴィンの問いである。
「ああ、」
そういえば、食事の前にそんな話をしていた、と彼女は思い出す。
「……なまえ」
自分にそんなものがあるだろうか、と思う。
「それは、だれがきめるんだ?」
「大抵は親族だろうな。あとは、神官に依頼する者も多い」
「しんかん?」
レヴィンはうなずくと、少し考える様子で顎に手を当て彼女を見た。
「おまえは、この国の神を知っているか?」
問われて、首を左右に振る。レヴィンは「そうか」と短く応じると、「なら、そこから話そう」と言う。
「国は、神と共に生まれて、神と共に滅びるものだ。一国に一柱。神の支えがあって国は存在できる。神に見放されたときが、その国の終わりだ。かつては多くの国があったというが、この国を残してすべて消滅した。だから、この国は最後の国と呼ばれ、この国の神は最後の神と呼ばれている」
「……さいごの、かみ……」
言葉の響きがなぜだか悲しく感じられて、思わず声に出していた。
「興味があるなら、それは別の機会にもう少し詳しく話そう」
彼女がそれにうなずくと、レヴィンは話を続けた。
「多くの国が滅び、この国だけが残ったが、それはこの国が特別だからではない。いつか最後の神に見放されたとき、この国にも例外なく滅びは訪れるだろう。この国の人間は、そんな“いつか”を恐れ、不安を抱えながら生きている。だから神官に――自分たちより神に近しいと思う存在に、名を与えられることを望む者は多い」
きっと、なにかにすがりたくて仕方がないんだろう、と抑えた声で言う。まるで自分はその輪に加わっていないかのような、そんな言い方だった。
「おまえのなまえは?」
親族と神官、どちらが決めたものなのか。ふと気になって彼女が問うと、レヴィンは困ったように小さく首を傾けた。
「……わからないな。聞いたことがなかった」
先ほどまでの淀みない話しぶりが嘘のように、ぽつりとつぶやいたその声は、妙に幼く頼りない。
不意に胸をつかまれるような息苦しさを感じた。この場をどうにかしたい。そう思ったときにはもう、唇が動いていた。
「――ユキ」
口をついたそれは、不思議としっくりきて、これ以外にはない、という気がした。気づいたレヴィンがこちらに視線を向ける。
「……それが、おまえの名前か?」
静かに尋ねられて、彼女はうなずく。
「冬に降る、雪と同じか?」
言われて、そうだ、と思い至る。冬の寒さで雨が凍って、白く姿を変えたもの。それが自分の名前なのだ。
もう一度うなずくと、確かめるように「ユキ」と短く動いたレヴィンの唇が、わずかに持ち上がった。
「よかった、ようやく呼べた」
淡く微笑んで、「名前がわからないのは不便だったからな」と安心したように言う。
「…………」
「……ユキ?」
知ったばかりの名前を呼んで、探るように彼女の顔をのぞきこんだレヴィンは、小さくため息をつくと「口、開いてるぞ」と指摘した。
自分がぽかん、と口を開けたまま固まっていたことに気づいたユキは、ゆるんだ口角をきゅっと引き締めた。どうしてか、頬が熱い。また熱が上がったのかとも思ったが、レヴィンが額に触れて「……さっきより少し下がってきたかな」と言ったから、熱のせいではないらしい。
「このまま良くなるといいな。俺は後片付けを済ませるから、少し待っていてくれ。体は冷やさないようにな」
重ねた食器を手にしたレヴィンが立ち上がって言う。うなずいて見送ったユキは、後片付けをするレヴィンの背中を見ながら、引き締めたはずの口角が再びゆるむのを感じた。
名前を知ったレヴィンの反応が、想像した以上に喜んでいたから、驚いて思わず見入ってしまったのだ。自分の行動でレヴィンが笑顔になったことが嬉しかった。それでどうして頬が熱くなるのかはわからなかったが、彼女が知らないだけで、そういうものなのかもしれない。
しばらくして、後片付けを終えて戻ったレヴィンは、敷布に座るユキの向かいに腰を下ろして言った。
「話したいことがあるんだが、大丈夫か?」
体調を気遣う様子を見せるレヴィンに、ユキはこくこくと首を小刻みに動かす。
「今後のことを、どうするか話しておきたかったんだ」
それはユキにとって、よくわからない不透明な言葉だった。
レヴィンは淡々と続ける。
「予定では、俺は明日、家に帰ることになっていた。帰宅が遅れれば心配をかけてしまう人もいるから、できれば予定通りに明日、家に帰りたいと思っている」
それはつまり、この小屋でレヴィンと過ごせるのは今日が最後ということだ。
「……もう、いっしょにいられない……?」
声に出した途端、胸が締めつけられるように苦しくなった。昨日、知ったばかりの“寂しい”で、心がいっぱいになる。
レヴィンは弾かれたように首を横に振って「いや」と短く答えた。
「もともと、おまえをこの森に置いていくつもりはなかった。養護院という、家族を失った子どもや老人が暮らす場所もあるんだが、集団生活と考えると厳しいような気がしていたし………………いや、すまない、ちょっと待ってくれ。言いたいことがまとまらない」
言葉を止めたレヴィンは、肩を落としてため息をついた。言葉を整理するように何呼吸かぶんの間を置いてから、もう一度、口を開く。
「……家に来ないか? 俺の家は、ここから半日ほど歩いた先のリトラという町にある。家には同居人が二人いるが、とても優しい人たちだから、きっとおまえのことも歓迎してくれると思う」
「いく」
ユキは即座にそう答えていた。
彼と離れることなど、少しも考えられなかった。
「おまえと、いっしょにいたい」
そう言葉すると、レヴィンは一瞬だけなにかに堪えるように表情を歪めたあと、「……うん」と不器用に応じた。
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