5 王になる少年

 父が死んだ。

 エイリックが十五になったその年のことだった。まるで、彼が成年を迎えるのを待っていたかのように。


 この国の王は、加齢とともに心臓を弱らせていくのがもはや慣例となっている。肉体が壮健であっても、心臓だけがそれに比例しないのだ。

 その原因が、血筋によるものか心因性の負荷によるものなのかは誰にもわからなかった。どちらであったにせよ、避けられないのなら同じことだとエイリックは思っている。


 ここ数代、老人と呼べる年齢まで生きた王はいなかった。エイリックの父もその例に違わなかった。それだけのことだ。


 思い返してみれば、親としての父は、基本的に善良で控えめな人物だった。たとえそれが、王としての責務によって生み出した息子であっても、彼はけして無関心に放置したりはしなかった。


 父親としての彼の基本方針は、受容と甘やかし。飴と鞭にたとえるなら、父は飴しか持たない人だった。そんな息子への接し方を誰かに窘められるたび、彼は静かにこう反論するのだ。


「帳尻を合わせているだけだ」


 エイリックを見る父の目は優しく、けれどもそこには常に、遠慮や戸惑いのような、なにかが含まれていた。父と共にいるときには、いつでものそのなにかがあいだにあって、目には見えない透明な膜越しに接しているような、そんなもどかしさをエイリックに与えた。


 一方、エイリックを生み出すために王の側妃となった母は、血の通った人間よりも、本と知識を愛する人だった。

 貴族女性として、生涯を通して家と夫に従属するよりも、契約上の側妃として人生の前半を捧げるかわりに、後半の自由を選んだ女性だった。変わり者であったことは間違いなかったが、いったん約束したことには誠実な人だった。


 王妃が亡くなったあとも側妃であり続けた彼女は、契約通りエイリックが成人するまでのあいだ、王太子の母としての役目を果たした。


 父と同じく飴と鞭にたとえるなら、彼女の役割は鞭だった。彼女はエイリックに、王となるために必要な教養と価値観の基礎を身につけさせた。気の置けない友人たちとの出会いを与えてくれたのも彼女だった。


 エイリックが成年を迎え、契約を終えた彼女は、なんの未練もなく側妃の座を退いた。煩わされることを嫌って王都から離れたあとは、念願だった本と知識に没頭する日々を謳歌していた。


「あんたねぇ……あの人が早死にするのなんて予想できたことでしょうよ。なんでそう未練たらたらな顔してるわけ?」


 王の訃報を受けて王都に戻った母は、エイリックの顔を見て、その美しい眉を跳ね上げた。秀でた容色も毒を含んだ物言いをよしとする性格も、エイリックを構成する要素のほとんどは、この母親から譲り受けたものだった。


「うるさいな。部外者は黙っててくれる?」


 エイリックの言葉は、母親に返すにはあんまりなものだった。けれどそれを受け止めたかつての側妃は「あんたがそう言うなら、そうさせてもらうけど……」と言って、以降は押し黙った。


 その後、息子の言葉通りに部外者としての立場を貫いた彼女は、かつての夫の葬儀に可能なかぎり気配を殺して参列すると、新たな王の即位式を待たず王都を離れ、再び本と知識に没頭する静かな日々へと戻った。


「……せめて即位式までのあいだだけでも、残ってもらった方が心強かったんじゃねぇの?」


 エイリックに対してこういう口出しをする者は、ボードしかいない。


「国王の実母として、民に印象づけるかたちになっても? 葬儀はともかく即位式において王と同じ顔をした母親は目立つだろう。静かな生活を望むなら、忘却されることが一番だよ」


 ボードはなおも物言いたげな表情をしていた。


「大丈夫だよ。僕にはアルフレートがいてくれるからね」


 エイリックは、傍らに立つもう一人の友人を見やった。

 青みがかった灰色の髪をもつ少年は、優しげな顔にはにかんだような笑みを浮かべる。途端に悪態をつきだしたボードに声をあげて笑いながら、エイリックは心の中だけでもう一度、大丈夫だ、とつぶやいた。


 臣下たちの値踏みするような視線とささやき。


「やはり側妃に彼女を選んだのは正解だったようだ。見目よい王はよく映える。同じ絵画も、額装が違えばましに見えるというもの。民の不安をやわらげてこその王なのだから」


「見てくれよりも肝心の中身はどうなんだ? 愚鈍すぎるのも困りものだが、へんに小賢しい方がよっぽど危険だろう。この国には、変化も進歩も必要ない」


「十五になったばかりの王が、どの程度ものの道理をわきまえているものか……。せいぜい踊りの上手い王であれば、我らも苦労しないのだが」


 聞こえよがしに話す彼らの意図するところは、最後の国の王というものがどういう存在であるのか、知らしめるための洗礼なのだろう。そんなものは幼少期からの教育でとっくに叩き込まれているというのに、面倒見のいいことだ。


 父の代から玉座を囲んでいる重臣たちは、訳知り顔でエイリックの挙動に否定的な一言を付け加えたがる。まるでそれが一大事であり、指摘することが自分たちの意義であるとでも言いたげに。


 けれどそんな彼らも、知りはしないのだ。

 エイリックが十年後、この国の存亡と向き合わなくてはならないことを。その秘密を分かちあえる者もすでになく、重すぎる荷物を一人抱えながら玉座に就こうとしていることを。


 父が死に、国葬が終わった。

 エイリックが王になる日が迫っている。一度でもあの玉座に座ったら、そこから最後の国の王として、逃れられない生涯を歩むことになる。そういう心理的な呪縛が、幼いころからエイリックの心には根づいている。


 大丈夫だ、とエイリックはまた心中でつぶやく。

 幸福だった少年時代が終わり、王としてすべてを国に捧げる人生がはじまっても、傍らには変わらずボードとアルフレートがいる。


 だから大丈夫だ。

 自分はきっと、歩いていける。

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