【出会いと覚醒】
集団自殺決行の日。
目が覚めると一筋の光が目に入ってきた。起きてカーテンを開けると外は晴天。なんだかものすごく気分が良かった。
とりあえず朝一で日課のマラソンに出る。いつも以上に気持ちが良く、ふと中学の頃の、あの心地よい爽快感が蘇った。
いつものように公園で懸垂をして帰ってきた後、体幹を鍛えてシャワーを浴び、溜まった洗濯物をコインランドリーで洗って乾燥機へ突っ込む。乾くのを待つ間、コンビニでおにぎりを買って乾燥機が回るのを眺めながら朝食を摂った。
洗濯が終わり部屋に戻って部屋を片づけることにした。死んだ後に警察やら両親やらが入ってくるだろうと考えたからだ。
俺の部屋には人に見つかってはいけないものが二つある。一つは、まぁ大体の男なら持っている性欲を満たすもの。そしてもう一つは軍事関係の本と、殺人や暗殺やらの解説本。
これは勉強漬けの自分の心のバランスを保つためには必要な物だった。
俺は常に自分の中に天使的な心と悪魔的な心を同時にもっている感覚に陥っていた。
ある日勉強していると天使的な心が大きくなり、悪魔的な心がだんだんと押しつぶされていく感覚に。そして、いつしか押しつぶされた悪魔は、その反動で大爆発をするのではないかと、ものすごく不安になった。
そこで、それを防ぐために元々好きであった軍事関係の本を買い漁り、勉強の合間に体も鍛えた。常連だったミリタリーショップで定期的に行っている特殊訓練のワークショップに参加。しまいには素手で人を殺す方法や暗殺術も学んだ。
弁護士という高貴な目的の勉強と同時に殺人や暗殺といった、いわば反社会的なことを学ぶことによって、俺は心のバランスを保っていたのだ。
片づけが終わり荷物を本格的にまとめて、残った時間をネットサーフィンに費やした。
ふと入ったサイトで食べ物が胃の中に入っていると自殺した直後に垂れ流すということを知り、せっかく綺麗に死ねる方法で死ぬのにと、食事をしたことをちょっとだけ後悔した。
そして、夕方になり荷物の詰まったキャリーケース一つを持ち、待ち合わせの川越駅に向かった。
川越駅まではJR高円寺駅から新宿に出て新宿から埼京線で池袋へ行き、そこから東武東上線で向かう。時間的に帰宅ラッシュということもあり、電車もホームも人で溢れかえっていた。
その中で、自分がものすごく緊張していることに気付く。死へのカウントダウンがもうすぐ終わるからだろうか。昨日までは、いやついさっきまでは、そんなことはまったくなかったのに不思議でならない。
そこで、中学の時の自分を思い出してみる。あの時は何か頭蓋骨の裏側にぬるぬるとした膜を張られたような感覚になり、ありとあらゆる思考を止められ自分の視点がキューっと狭くなり自分の細胞すべてが勝手に死へ向かう感覚だった。
だから死ということすら考えず、ましてやこれから死ぬんだと、人生を終わらせるんだということは考えもしなかった。ただただ死ぬための行動、動きをするだけ。
だが今は違う。これから自分の意志で命を絶ちに行く。自分の肉体を痛めつけて、苦しみを感じながら死後の世界に行く。
キャリーケースと吊革を握る俺の両手は、びっしょりと汗をかいていた。
『今この瞬間に、死への欲求から解放されたのか?死にたくなくなったのか?だったら別に死ななくてもいいんだぞ。今日一緒に死ぬ奴とはメールでしかつながってない、この世で一番関係の薄い奴だ。どうする?生きるか?生きるのなら、また一から予備試験を受けなおすか?それとも別の道を探すか?普通に生きる努力をするのか?・・・俺には無理だ。やはり終わらせる!死ぬなんて怖くない!苦しくない!死ぬ瞬間なんて、いきなりボールが飛んできて頭に当たった時のように全身の神経が麻痺して、それプラス意識が遠のいていくだけだ。その先に死があるだけ。何も恐れることはない』
少しずつ肩の力が抜け、手の汗も引いていった。
電車が川越駅のホームに滑り込み、時計と見ると七時を十五分ほど過ぎていた。すぐにホームの椅子に腰かけてスマホを取り出し、メールを送る。相手のハンドルネームはシャチ。遅れた詫びと、これからどこに行けばよいのかを送信した。
そのあと、とりあえず階段を上り改札を出てみると、そこは地元八王子駅の北口に似ていて初めて来た感が薄れ少々残念な気分に。小さめのため息と同時にスマホのバイブが振動し、シャチからの返事に気づいた。迎えに行くから改札を出て西口方面へ行き、階段を降りた所で待っていてくれとのこと。
俺は、今何口にいるのかもわからなかったが、目の前の看板に矢印ともに西口という文字を見つけたので、とりあえずその方向へと向かった。
歩きながら、『西口方面へ行っての階段って何よ?』と思う。
案の定の階段がいくつもあって、どれが正解なのかわからない。
とりあえず適当にひとつの階段を降りると、バス乗り場が多数あり、ここも八王子駅に似ていたのでさらに気分が落ちたが、見たことのないコーヒー屋が目に飛び込んできた。
落ちた気分を少しでも癒してくれとの思いで店に入り、アイスコーヒーのSを買って外に出ると、何やら人を探している髪は七三分けで、スーツ姿の四十代前半くらいの男がいた。
もしやと思ったが、とりあえずコーヒーを一口。
『美味い・・・いや、かなり美味い』
チェーン店っぽいが東京にはなく、珍しさに喜びを感じながら人探し男に目をやると電柱に寄りかかりながらスマホを見ている。
再び、もしやと思ったので声をかけた。
「すいません」
「は?」
道を聞かれたと思ったのか、男はほんの一瞬イラついた表情を見せたが、俺が引くキャリーケースを見てすぐにサービス業特有の笑ってはいるが眼だけは笑ってない顔になった。
「あぁ!もしかして連さんですか?」
「あっ、はい。えっと、シャチさんですか?すいません遅れてしまって・・・しかもコーヒー買ってて。ここのコーヒー店、東京にはなかったものですから」
シャチは初めの嫌な感じの返事を挽回しようと、必死な感じで話をしてくる。
「いいんですよ。いいんですよ。全然気にしないでください。ささ、行きましょう」
「はい・・・」
シャチに対する第一印象はあまり良くなかった。
俺とシャチは歩き出したがシャチは時間を気にしてか早歩きのため、俺はコーヒーをこぼさないようについていくのがやっとだった。
先を歩くシャチに聞いてみる。
「あの、どこに行くんですか?」
シャチは振り向きもせず、感情が無い感じで答えた。
「その先のファミレスです。そこに今回のメンバーがいますので」
「メンバーですか?」
俺が少々驚いて聞くが、シャチは相変わらず無感情の声。
「えぇ。一緒に天国に行くメンバーですよ。言わば最後の仲間ってやつですね」
「僕ら二人じゃないんですか?」
シャチは急に立ち止まって振り向いた。俺はぶつかりそうになり、慌てて足を止める。コーヒーが激しく波打つ。同時に、シャチのジャケットに付いている煙草の臭いが鼻についた。
「違いますよ。男二人で死んでも華やかじゃないじゃないですか!」
それだけ言ってくるりと振り向き、再びシャチが歩きだす。俺は何だか嫌な気分になり、同時に妙な違和感を持った。とりあえずコーヒーを口にする。やはりだいぶ美味い。
コーヒーの美味さに感心していると、シャチが歩いたまま話しかけてきた。
「あぁそのコーヒー着くまでに飲んじゃってくださいね。飲みたければドリンクバーがありますので」
「あぁ、はい・・・」
俺は小さく舌打ちをして、コーヒーを一気に飲み干した。
駅から十分くらい歩いたところに駐車場付きのファミレスがあり、中に入ると喫煙席に二人掛けのテーブルを三つ付けた箇所があった。そこに四人の男女が座り、それぞれがスマホをいじっている。
シャチが皆に話しかけた。
「この方で最後です。これで全員揃いました。じゃ連さんはその席に座ってください」
「はい・・・」
俺は入り口の近くの席に着いた。隣にはキャップを被り大きなメガネをしているが、何かどこかで観たような綺麗な女性が座っている。
シャチも自分の席に着き、仕切り始めた。
「それではこの後そうですね、九時くらいまでですかね、ここで時間をつぶして頂きます。引き続き何か注文したい場合は遠慮なく頼んでください。すべて僕がごちそうしますので」
「え?いやいや自分の分は自分で払いますよ」
俺がそう言うと、シャチは相変わらず眼だけは笑っていない営業スマイルで言う。
「いいんですよ。お金は使うものなんです。使い切ってしまわないと、もったいないですからね。遠慮はしなくて大丈夫です」
「でも・・・」
俺の斜め前に座っていた中肉中背の五十近い男がスマホから目を離し、話しかけてきた。
「えっと・・・何さんでしたっけ?」
「あぁ、連と言います」
「連さん。初めまして。私、卓三と言います。せっかくご馳走してくれるって言うんですから、お言葉に甘えましょう。それに僕らはもうすでに、ご馳走になっちゃっていますから」
俺が卓三に「そうですけど・・・」と言おうとしたがシャチがそれを遮り、少々苛立った感じで皮肉っぽく言った。
「連さん。お金のことはホントに気になくて結構です。それより皆さん。今卓三さんが勝手に自己紹介をしてしまったので、折角ですからここで自己紹介といきましょう」
俺は思う。『金を出す代わりに、この場を仕切りたいのね』
皆が無視してスマホをいじっているなか、俺は律儀にシャチに肩を貸した。
「じゃまずは僕から。時計回りでいいですか?」
シャチは無視する皆に一瞬イラついた表情になったが、すぐに笑顔に戻る。
「あ、そうですね。よろしくお願いします」
俺は少々声を張って、明るく自己紹介をした。
「えー名前は国定連と言います。年は三十二歳。東京の八王子出身で高円寺に住んでいました。簡単に今までの人生を話すと、自分は中二の時に精神を病んで何度も死のうと思いましたが精神科に通って何とか復活し、高校大学と通信で卒業しました。八年前から司法試験を受け続けていましたが、これがまたまったくもって全然受からないので、もういいや死のう!と思って今回の募集に応募しました。よろしくお願いしま~す!」
皆は唖然と俺を見ている。傍にいた店員も周りの客も、こいつは何を言っているのだろうという感じで俺を見ていた。
「え?どうかしました?」
慌ててシャチが言った。
「連さん。違いますよ。ここでは、そこまで言わなくていいんです。っていうか死ぬとかはちょっと・・・」
「え?あぁそうか。すいません。違いますよ。違います皆さん!今回死ぬほど怖いバンジージャンプの旅に応募した話です!はい!」
皆がクスクス笑う。シャチは皆に改めてハンドルネームと年齢だけでいいと説明した。
それによると、俺の隣に座っている女性は、ハンドルネームは「りん」年齢は三十歳。
その隣の長身で痩せていて、奇抜な格好をした中世的な男が「剣」。けんではなく、つるぎと読むそうだ。二十八歳。その向かいに座っている体格のよい女性が「たかこ」三十二歳で俺と同い年。その隣が「卓三」四十九歳。最後に「シャチ」年齢は四十三歳。
シャチの目線を見ていると、どうもりんばかりをチラチラ見ている。その目線がかなり気持ち悪い。
『やはりこいつとはダメだ。生理的に合わない・・・』
各々がドリンクを飲み、スマホをいじる中で俺と卓三、そしてシャチだけが食事をした。
他のみんなはおそらく死んだ後に垂れ流すことは知っているのだろう。俺も一応は知っている。
食べない三人は、食事をしている俺らのことをどう思っているのだろうか。『こいつらバカだな』などと思っているのだろうか。
そんなこと考えながらサンドイッチを頬張っていると、隣のりんが予想外のことを聞いてきた。
「ねぇねぇ連さんて、童貞でしょ?」
俺はいきなり何を言っているのかわからず、つい初対面ではない話し方になってしまった。
「は?今なんて?」
「だから連さんて、今まで女性経験はないでしょ?」
屈託のない笑顔でりんは言うが、俺は当たっているだけに笑えない。
「えぇ?何急に・・・しかも当たってるし。何でわかったん?」
「やっぱりそうなんだ。私はね、わかるんだよ」
俺の何がそう感じさせたのか、まったくもってわからない。
「だから何で?」
「それは教えられないよぉ~」
りんは屈託のない笑顔と、仕草で言った。おそらく、いや、男なら絶対に誰でもドキッとする笑顔と仕草だ。
『しかし、この顔や笑顔はどこかで見た記憶がある・・・』
俺は続けて話そうとしたが、そこにシャチが割り込んできた。
「りんさんて、そんなのわかるの?僕は?僕のも当ててみてくださいよ!」
りんは困惑した感じで言った。
「え?あ、ごめんなさい。まだ連さんのしかわからない。それに今は連さんと話しているから・・・」
「え?あぁそうだよね。なんかごめんなさい。連さんも話に割り込んでごめんなさい」
「え?いやいやとんでもないです」
俺はそう言ったが心の中で「よしっ!」と叫んでいた。すると、またりんが楽しそうに話しかけてきた。
「ねぇねぇ。さっき何か言おうとしなかった?言ってごらん。言ってごらん!」
「え・・・あぁ、なんだっけ?・・・そう、りんさんはとても三十路には見えないよね。若く見える・・・っていうかさ、どこかで会ってない?」
りんが目をまん丸くして俺の肩を強めに叩きながら言った。
「えぇ?何言ってんの?新手のナンパ?っていうか、そんな若くないってぇ~!」
結構肩が痛い。その時シャチがほんの小さく舌打ちをしたのを俺は聞き逃さなかった。
その後も俺はりんとの話しが弾み、りんが元モデルやタレント、ドラマの脇役などの活動をしていたことがわかった。
りんとばかり話していると目の前のバカが嫉妬すると思ったので、俺は皆とまんべんなく話をした。
そして、りんの隣に座っている剣はおしゃれ好きでファッション関係の専門学校に通っていたこと。その前に座るたかこは事務職だが有名な会社の社長令嬢だということ。卓三はIT関係の会社に勤めていたことなどを知った。
俺は長い間バイト以外では人間関係は持たず一人寂しく勉強していたため、久しぶりの人間との触れ合いに新鮮さを感じていたし、何より人との会話が楽しくてしょうがなかった。
繊細だが元々は人間好きで、人を笑顔にするのが大好きな性格なのだ。
皆も俺と話していると段々と笑顔が出るようになり、それぞれが話しかけるようになって場の雰囲気全体が明るくなっていった。
俺はその状況を眺める中で、一つの疑問が頭に浮かんだ。
それは、これから皆が本当に自らの意志で死ぬのかということだ。
こうして話していると、ただのコンパか何かで皆が楽しそうに話しているだけにしか見えない。とりあえず集まることのきっかけが集団自殺というだけで、この後普通に解散して普通に皆がそれぞれの生活に戻りそうな感じがする。
シャチはというと、俺が皆から色々聞き出しているのが気に入らないらしく俺が他の人間と話しているときには、凄い目で睨んでいたと思う。
その視線がヒシヒシと伝わってきたからだ。
ただ俺がシャチに話しかければ、それなりに得意の営業スマイルで答えると言った感じで、基本的に全体を上から目線で眺めているような感じだった。
そして店の時計が午後九時を回りそうになった頃、シャチが皆に通る声で言った。
「ではみなさん。そろそろ時間なので出ましょう!」
その瞬間、皆が本来の目的を思い出したのか、若干雰囲気が暗いものになった。
俺だけは変わらない感じで言う。
「おっそうですか?じゃ行きましょう!」
皆がそれぞれ荷物を持ち外に出た。会計をしていたシャチが最後に出てきて駐車場に停まっていたブラックパールのエスティマに乗り込む。
剣、卓三、りん、たかこ、俺の順に車に乗った。運転はシャチ。
車はいったん川越駅の西口方面に向かい、旭町一丁目の交差点から国道十六号に入った。
その時、俺の隣に座っていたたかこが話しかけてきた。
「連さん。私ってブスでしょう?」
俺はまた急な質問だなと思った。
「え?ブス?ブスっていうのはあのブス?」
たかこが楽しそうに返す。
「どのブス?ブスはブスだよ。私ってブスだよねぇ?」
俺は少々考え、はっきりした口調で言った。
「俺はブスとか美人とかは、何を基準にそう決められているのかがよくわからない。なんていうか、そういうのは人それぞれの感覚でさ、たぶん多数決で多い人の感覚がブスだと、そう決められるんだろうけど、俺はそういうのは好きじゃないし別にどうでもいいと思ってるよ」
たかこは一拍おいて言う。
「え?で結局連さんは、私をブスだと思うの?」
「普通じゃない?」
たかこは笑いだしてしまった。それを聞いていたりんが面白そうに言う。
「やっぱり連さんはおかしな人だ。たかこさん。連さんはね三十二歳にして童貞なんだよ」
「えぇ?そうなんだぁ!ブスの私でも両手は行くのにぃ!」
「ねぇ!受けるよねぇ?」
二人は楽しそうだが、俺はまったくもって楽しくない。そのあと剣や卓三にもからかわれた。
俺は漫才師張りの軽い感じで言った。
「やかましいわ!人を経験人数で判断すな!大体結婚前にそういうことするのは、よくない!体が汚れるわ!」
すかさず、りんが突っ込んだ。
「うわっ!よくわからない!つか古っ!考えが明治だわ!この人」
車内は爆笑になった。りんは言葉ではバカにしつつも何か愛おしい目で俺を見つめていた・・・と思う。
車は狭山環状有料道路を通って国道三百九十七号へ入り、その後四百七号、十五号の順に通って脇道から山道へと入って行った。
車中国道を走っている時は皆の会話が聞こえたが、真っ暗な山道に入ると車の中は沈黙状態に。
一時間ほど走って橋を渡ったのか、小川のせせらぐ音が微かに聞こえ、それを打ち消すようにシャチが楽しそうに話しだした。
「皆さん話さなくなりましたね。さすがにこうずっと真っ暗ではね。ずっと元気だった連さんもさすがにね。何か音楽でもかけますか?・・・必要なさそうですね。もうそろそろ着きますから」
俺は若干悔しくなり、車に乗ってから疑問に思っていたことをシャチに聞いてみた。
「あの、ちょっといいですか?この車でその・・・ちょっと狭くないですかね?」
剣が相槌を打ちながら賛同してきた。
「僕も気になっていました。この車は大きくて立派ですが、さすがに五人寝そべるのは無理じゃないかと・・・」
シャチが、うっとうしそうに返してきた。
「えぇ?あぁ別に寝そべらなくても実行できますが、今回はこの車では行いませんよ。後ろに大きいテントが積んでありますので」
俺はシャチの「今回は」という言葉に再び違和感を覚えつつ、一番後ろのスペースに置いてあった折りたたみのテントを確認してから言った。
「なるほど。そうですよね。しかし、色々初めてとは思えないほど手慣れてますよね?」
「はぁ?何がです?」
若干シャチのトーンが低くなったが、俺は構わず続ける。
「いや、色々段取りというか準備というか・・・」
「そんなことないですよ。色々苦労したんですよ。まぁ言いだしっぺですからね。皆さんに不快な思いをさせまいと頑張りましたよ。あっ、この辺です」
シャチは車を山道から少し入った所の、比較的平地な場所に停めた。
「この奥に結構スペースがありますので、そこにテントを張りましょう。ここは朝になれば比較的発見されやすい場所でもあると思います。白骨化して見つかるのはスマートじゃないですからね」
シャチは若干楽しそうだった。一行は車を降りてシャチが大きなテントを肩に抱え、シャチを先頭に歩き始める。五分も歩かぬうちに広いスペースに出て、シャチがテントを降ろして言った。
「ちょっと私は自分の荷物と中に敷くシートなどを取りに行きますので、テントを立てておいてもらってもいいですか?」
「任せてください!」
いきなり最年長の卓三が張り切って言った。シャチが車へ戻り、女性陣が懐中電灯で照らしながら男性陣がテントを張る。皆でワイワイと楽しくテントを張り終え、それを眺めていると、ふと剣がつぶやいた。
「僕らここで死ぬんですよね・・・」
「そうです!ここが、いわば皆さんの人生最後の空間です!」
背後からシャチがテンション高めで言った。皆が驚き、肩がビクンとなる。
「あっびっくりさせてすみません。それにしてもまたよくできたじゃないですか!誰かテントを張ったことのある人がいたんですか?」
「私、一度だけあるんですよ」
卓三が得意そうに言った。俺の中では、再びシャチに対する違和感の正体は何なのかとの思いが巡った。シャチは、さもこれから宴会が始まるといった楽しげな感じだ。
「さぁシートを持ってきたので中に敷いて、とりあえず荷物は外に置いて、くつろぎましょう!」
シャチの言う通り、皆荷物は外に置いて靴を脱ぎ中へ入った。テントの中は意外と広く居心地が良い。
シャチが腕時計を見ながら言った。
「では今が午前零時過ぎですので、決行は丑三つ時の午前2時にしましょう。それまでは自由にしていただいて結構です。外に出ても結構。でも一時四十五分にはテントに帰ってきてくださいね。あっ外に出るならライトを持って行った方がいいですよ。では・・・」
そう言うとシャチは自らが真っ先に外に出て行った。
皆死ぬ時間が迫っていることもあり、誰かと会話をすることなく自分の時間を過ごしていた。卓三は何やら家族の写真をひたすら眺めている。剣は死んだ後の自分の容姿が気になるらしく、鏡を見て髪型を直していた。たかこも鏡を見ながら化粧を直し、りんはスマホをいじっている。
俺は自分の荷物からジンとつまみを出して嗜みながら、先ほどから気になっているシャチに感じている違和感は何なのかを考え始めた。
そのうちに深く深く考え込んでしまい、いつしか周りが見えなくなっていった。
どのくらい時間が過ぎたか、ふと我に返り周囲を見てりんが居ないことに気づく。誰かに聞こうとしたが、皆のそれぞれの時間の邪魔はしてはいけないと思い、一人ライトを持ち外に出た。
外は真っ暗で音もなく、まさに深淵の世界だった。ライトのスイッチをオンにして当たりを見まわす。とくに人気も何もない。テントにシャチも居なかったことから、とりあえず車の方へ歩いてみる。すると徐々に人の声らしき音と、薄暗い光が見えてきた。
薄い灯りは車の後ろのバックドアが開き、中が丸見えのエスティマからだった。何か嫌な予感がしてすぐさまライトを消し、なるべく足音を立てずに車に近づく。すると悲鳴とうめきが混ざったような女の声と、ゴンゴンと何かを叩くような音がした。
車のシートを倒し、シャチがりんに性的暴行を加えている真っ最中だった。
それを見た瞬間、今まで感じたことのない衝撃と共に、シャチに抱いていた違和感の正体が明らかになった。
『こいつは、はなっから死ぬ気なんかない』
その瞬間俺の体は勝手に動き、シャチに襲い掛かっていた。もちろん喧嘩の経験はない。なのに体が勝手に動いていたのは、勉強の息抜きに学んでいた、あの軍事関係の本や訓練の影響なのか。
まず、りんの上にまたがって、りんの唇に無理やり自分の唇を何度も重ねながら腰を細かく動かしているシャチの髪の毛を掴み、りんから引っぺがす。そして、車から引きずり出して顔面に腰を入れた右ストレートを一発入れた。倒れ込んだ所に、腹に思いっきり蹴りも一発。
みぞおちにクリーンヒットしシャチは胃の中の物を吐きながら、もがき苦しむ。その隙に、りんに「テントに行ってろ」と指図した。
りんは、脱げかけた服と乱れた髪型を直しながらテントの方に駆けていく。
そのあと俺は、シャチの髪の毛を掴んで聞いた。
「お前、何やってんだよ?」
シャチは咳き込み、口から汚物とよだれを流しながら言う。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・・」
「そうじゃなくて。お前は何をやっているんだよ?」
俺がそう聞くと、シャチは一瞬車の方へ視線をやった。
何を見たのかと俺も見ると倒されたシートが見えるだけかと思ったが、車中のウインドの上にあるグリップにスマホが付いているのが微かに見えた。俺がそれを取りに行こうとすると、シャチは俺のズボンの裾を掴んだ。
俺はそれを振り払って、グリップに付いているスマホを外し奴の元へ戻る。
「お前は変態か?パスワードは?」
「え?」
シャチがとぼけた感じで答えたので、俺はシャチの手を踏みながら強い口調で言う。
「ロック画面を解除するパスワード!」
痛みに耐えながらわずかな声でシャチは答える。
「それだけは・・・消さないで・・・」
「そうじゃなくて、パスワードって聞いてんだろうが!」
俺がもう一度、今度は手を踏みつぶす勢いで足を振り上げながら言うと、シャチは慌てて答えた。
「3142です!」
俺は手を踏まず思い切り地面を踏みつけた。ロック画面を解除するとビデオアプリのままだったので、動画を詳しく見ずに削除しシャチに返す。
シャチは手の痛みはどこへやらと言った感じでスマホを手にして確認し、いきなり逆切れした。
「別に、もうすぐ死ぬ女なんだから、ヤっちゃっても構わないだろうがぁぁ!何で削除したんだよぉぉぉ!」
俺は奴の顔面に平手打ちをして言う。
「お前、元々死ぬ気なんかないんだろ?なんなんだよお前は?あれか?自殺見届け人ってやつか?」
もうシャチからは、営業スマイルは出ない。
「僕はね、人が死ぬのを見るのが大好きなんだよ。人が肉に変わる瞬間を見るのが。これまで十七人の人間の死を見てきたよ。そこに立ち会っていると、自分が神になっちゃんだよねぇ。わかる?僕のもとで人々の命が途絶えていく・・・今まで生きていた人間が、ただの肉の塊になる・・・でも僕はまだ生きている。その感覚といったら、もうたまらないんだよぉ!その瞬間がもうすぐ来ると思ったらついつい興奮しすぎちゃって、いつも抑えられなくなっちゃうんだ。だからいつも我慢できずに、女とヤっちゃうの。それで後で動画を見て、犯したこの女はもうこの世には居ない。この世から去る瞬間を僕が作ったと思うと、もう興奮がピークになりすぎちゃって、出したはずなのに何でまだこんなに?ってくらいに精液がでるんだよ!・・・なのに・・・なのにその楽しみを奪いやがって・・・何で消しちゃったんだよぉぉぉぉ!」
シャチが俺の胸元を掴み、さらに言う。
「っていうか、みんな死にたいんだろ?あの女もお前も!今までの奴らもみんなそうだ!死にたいから僕が死なせてやったんだよ!何の問題がある?死にたい奴らを死に導き、僕も気持ち良くなる。何がいけないんだよ!言ってみろよ!このぼけがぁ!」
その瞬間、俺の中で知性豊かな人間として一番出てはいけない怪物が顔を出した。そして、その怪物が体の内側から強い意志で、俺の全細胞に命令した。
「今すぐそいつの息の根を止めろ」
俺は何の迷いもなく、躊躇することなくそれに従った。
無言で胸倉を掴んでいるシャチの手を外し、ボディへ思いっきり左パンチを入れた。奴の体がくの字に曲がったところへ、右の拳を顎に向けて下から思いっきり突き上げる。シャチ顔が上に向いたところに両手で額を抑え、そのまま思い切り下の方向へと抑えつけた。これは暗殺術の本で学んだ人を瞬殺する方法だ。
「バキバキッ!」と首の骨が破壊された音と同時に「グエッ!」と声を出し、シャチは息絶えた。
普通なら人を殺めた時、すぐに我に返り罪悪感と恐怖が襲いパニックになるだろう。その証拠にテレビドラマや映画などで、よくそんなシーンがある。でも、俺にはまったくそれが起こらなかった。夜中の森で車のライトだけしかなく、シャチの死体がはっきり見えなかったのもあるかもしれない。『俺は今、人を殺した』ただそれだけだった。
肉の塊となったシャチを全裸にして、指の先を全部ライターであぶり、近くにあった大きめの岩でシャチの顔面の、特に口元を何度も叩いた。すぐには身元がわからないようにするためだ。
そして、車にあったビニールシートで死体を包み、車に乗せて運転席に乗りエンジンをかけて車を出した。来る道のりに微かに聞いたせせらぎを思いだし、その小川にシャチの死体を捨てようと考えたからだ。
真っ暗な山道に車のヘッドライトだけが当たり、古びたアスファルトと周囲の草木の映像が繰り返されている。耳に入ってくる音は、車が走る音のほかには何もない。
そんな中、ふと死体を処分した後どうしようかと思った。
とりあえず皆のところに戻ってシャチが自殺見届け人だったことを告げ、皆と一緒に死ぬか。死体を捨てた後、ここまま車で別の場所に移動して皆とは別に死ぬか等々。
死ぬ覚悟をしたのに、何となくどれもしっくりとこなくて困惑していると、いきなり昔から心の片隅にあった思いが蘇った。
何かを思い出すとき、普通は思考の中できっかけみたいなものがあるが、今回は人を殺したことよって細胞自体が思い出した感じ。
昔から俺は、ニュースなどで社会に不満を持った奴が関係のない人を次々と刺し殺したり、トラックで街中に突っ込んだりするのを見るたびに思っていたことがある。
『なぜこいつらはせっかく人を殺す覚悟をしたのに、何の関係もない人々を殺すのだろう。俺だったら、その覚悟を決めたら社会的に権力を持ちながらも自分の私利私欲のためだけに生きる輩や、権力を持たない弱者と呼ばれる人間を見下したり苦しめたりする輩、特に政治家を片っ端から殺すのに』と・・・
今俺は、その覚悟を決める間もなく実際に人を殺し、その死体を捨てるために車を運転している。
『もう何でも有りじゃないか。別に今日死ななくてもいい。昔からやりたかった、人として生きている限り絶対にできないことを思う存分に遂行できる!自分には絶対に来ないと思っていたこの瞬間がついに来たんだ!』
ずっと心の片隅にあった思いが自ら命を絶とうとした日に、しかも、人を殺したことによって蘇った。俺は自分自身が本来の姿に覚醒したような感覚に陥った。全てのしがらみから解放された瞬間。
今まで生きてきて感じたことがない心地良さの中で、俺はシャチの死体を橋から小川に投げ捨てた。
爽快な気分のまま車に戻り、これからのことを考えながら運転してもとの位置に車を停め、皆がいるテントに戻った。
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