光の中へ

池口聖也

【絶望と光の種】

 人は死ぬ瞬間、何を感じるのだろうか。痛みか苦しみか、はたまた安らぎか。

それを知るのは不可能に近いだろう。

 大学の後輩を助手席に乗せ、車で家に送りとどける道のり、角を曲がってすぐに覆面を被った男達に車を停められた。

何を思ったのか、俺は車の窓を開け文句を言おうとした。その時だった。一人の男がいきなり拳銃を出して俺に発砲したのだ。弾は俺の喉に命中。痛みは全く感じなかったが、喉からドクドクと生暖かい血が流れた。意識は薄れ、視界が徐々に丸く中心に集まって狭まる。

そして、最後は視界が点になり真っ暗になって俺は死んだ・・・

 大学卒業したくらいから、何度も見るようになったこの夢。夢から醒めると必ず撃たれた喉に実際に感覚というか、違和感が残っていた。

 九月の初めジリジリと太陽の熱さが頭から染み渡るなか、俺は朝から東京霞が関にある、法務省の掲示板の前に立っていた。

見上げているのは掲示板に張られている司法試験の合格発表の紙。自分の番号は・・・ない。

司法試験を受けるのは予備試験から数えてこれで八回目。一年前のこの日は落ちたとわかった瞬間にショックのあまり何をどうしてどう帰ったのかなど一切覚えていなかったが、今年は『あぁないんだ・・・』というくらいな感じ。なんだかひどく冷静で自分でも不思議くらい落ち着いていた。予備試験合格からちょうど五回目に当たる今年は本当に最後の最後と決意をして毎日十二時間以上の勉強に励み、全てをやり切ったという思いが強かったからだろうか。

とりあえず実家に電話して報告。

母親は「人生まだまだ長いんだから焦ることはないさ」と軽い言葉をかけてくれた。

 高円寺のアパートに帰ると参考書の山。ドラマとかだと、かっこよく「ちきしょう!」とか言って参考書の山をめちゃくちゃにするところだが、そんな気分でもない。

とりあえずパソコンの電源を付ける。ぼーっと検索サイトを眺めていると、ニュースのトピック欄に「止まらぬ集団自殺。〝今度は群馬県高崎市の山中で〟」と書かれている記事が目に入った。

その瞬間、俺の脳の中の一番奥の方から何だか懐かしく、それでいて決して出してはいけない記憶というか、感情そのものが急速に溢れ出てくる感覚に陥った。

それは十八年前に俺の心を支配していた死への欲求。今また久しぶりに瞬く間に俺の心の中を巡り巡って、あっという間に支配していった。

それからは、何かにとり憑かれたかのように自殺に関するサイトを貪り、一つのサイトへと飛び込む。

 黒ベースに赤い文字の画面に、数多く「一緒に死にませんか?」「一緒に楽に死にましょう」など、死への欲求の塊のスレッドが並んでいた。

その中から適当に一つ選んで、開く。

何だか長々と書いてあり、読むのが面倒になったので「ぜひよろしくお願いします」という文だけを打ち送信。返事が来るまで時間がかかると思い、一度パソコンを閉じて外に出た。

 空はまったく雲がない青空。でもなんだか灰色のフィルターがかかったように見え、実はこれも十八年前に経験した懐かしい景色だった。それに加えて今回は聴覚にも異変が起こっていた。普段なら電車のガード下が近いため、うるさいぐらいの外なのだが、今日は耳栓をしているような集中している感覚。その集中しきった中で環七通りを渡って駅前のコンビニを目指す道のり、色んなことを思い出した。

人が死に際に見るという走馬燈のように・・・

 俺の名は国定連。三十二年前に東京都八王子市で生まれた。

物心ついた頃から自分は普通ではないという思いが強かった。幼稚園の入園式には門が檻のように見えてしまい、檻の中に閉じ込められたと思い込み大暴れして保育士に怪我をさせて大問題に。小学校では入学当初から、なぜみんなと同じ時間に勉強したりご飯を食べたりしなければならないのかと思い、その思いがいつしか皆と同じにしなければならないという強迫観念に変わって小学二年の時に給食が食べられなくなった。そして四年の時には担任からなぜ給食を食べないのかと長時間説教され、学校自体が恐怖となり不登校に。

 中学にあがると恐怖そのものが自分の心を支配するようになり、二年になる頃には生きていること自体が恐ろしくなり、死にたくて何度も何度も自殺未遂をした。首を吊ってみたり、窓から飛び降りようとしてみたり・・・

しかし、首を吊っていた縄が切れたり二階の窓から飛び降りようとして、ちょうど母親が帰ってきたりと、何度死のうとしても死ねなかった。

そんな俺を見かねた母親が精神科に連れていくと、俺には神経症という病名がついた。

薬を進められたが母親が断固拒否。それならばと、医者が朝早く起きてマラソンをして水浴びをするよう勧めてきた。自律神経が刺激されて良いらしい。

 さっそく次の日からそれを実践。初めは嫌で嫌でしょうがなかったが、少しずつ朝の光景が綺麗に感じて体に受ける風も心地良くなった。朝日を浴びながら走ると何だか活きる力が湧いてくるのも感じるようになり、いつしか朝のマラソンが楽しくなって、それからは次第に神経症の症状も良くなっていった。

 しかし、今更という思いや恥ずかしさがあったため、結局のところ最後まで中学には行かなかった。校長の配慮で何とか卒業することができたが、卒業後は特に何もやることがなく親戚の飲食店で働くことに。

そして、十九歳の時に若い頃ひどい目に遭ったが弁護士になった人の本を読んで自分も弁護士になろうと決め、通信制の高校から学び直し、大学も通信制に通って卒業した。

そのあとは都心の司法試験専門予備校に通うために一人高円寺に出てきて、近くの飲食店でバイトをしながら合格のためにひたすら勉強に打ち込んできた。

合格すれば自分も紆余曲折あった弁護士の一員として、世間にも認められたであろう。

でも、人生そんなに甘くはなかった。

 ここまで思いにふけって我に返り手元を見ると、コンビニの袋にカレーパンと缶のボトルコーヒーが入っていた。どうやら買い物を済ませ、帰りの道のりらしい。店員の顔など見ているはずなのに一切覚えていないことに面白さを感じつつ、もう一度思考の中へと入り込んだ。

 すると、今現在自分の心を支配している死への欲求それ自体は、昔自殺未遂を繰り返した時と同じだが、恐怖から出たものではないことに気づいた。

今は神経症ではなく一応は健全なる精神。昔のように走って水浴びをすれば消えていくものだとは到底思えなかった。

 部屋に戻りコーヒーを一口。カレーパンをほおばってパソコンをつけると1件の新着メッセージがあった。開くとそこには信用を得るためか簡単な自己紹介と決行の日時、集合場所に持ち物や注意事項などが書かれていた。

そのメールを見て、何だか簡単すぎるメールだなと思った。

だが、死ぬ人間が色々自分の事情など語る必要はないと、すぐに思い直す。色々事情を説明して同情を買うような奴は死にはしない。

とりあえずこちらも余計なことは打たずに「わかりました。必ず行きます」とだけ打って送信した。

 決行日は五日後で集合時間は午後七時。場所は埼玉の川越駅とのこと。持ち物は弁当におやつ。そんな訳はない。(笑)

とりあえず、今この瞬間から死へのカウントダウンが始まったわけだが、特に俺自身、何も変わらなかった。遺書でも書こうかとも思ったが、死ぬ気を無くしそうなのでやめた。

いつもと変わらず、いやバイトを辞め勉強をしないということだけ変化し、自由でダラダラした三日間があっという間に過ぎていった。

 そして、いよいよ決行日が明日に迫ったこの日、買い物をするために八王子の実家に車を借りに行った。実家へ帰ると母親は町会の祭りのことで頭がいっぱいなのか、俺の試験のことなど忘れている様子。俺が改めて報告すると電話の時と同じ言葉を言い、俺は来年からはまた予備試験の勉強になるため、もう仕送りはしなくてよいということだけを伝えて家を出た。

 国道二十号から中央道に乗り、環七にあるディスカウントショップに向かう。

車中、両親との関係について考えた。

心が病んでいた中二のある日、俺が死にたくて死にたくて、どうしようもなくなり両親に「苦しすぎてダメだ」と言って部屋に閉じこもり頭を抱えてパニくっていた。

その時、両親の大爆笑する声が耳に飛び込んだ。近所の友達夫婦が遊びに来て、何かの話で盛り上がったらしい。その時に俺は、両親との心の距離というか、壁を感じた。

その後、親としての様々な援助にはものすごく感謝していたのだが、両親に対する心の壁は取っ払うことはできなかった。

という訳で、俺がこのまま死んでも何日かは悲しむとは思うが、一週間もすればまたいつもの日常が両親には訪れるだろう。

 そんなことを思っていると、車はディスカウントショップの駐車場に着いた。

中に入り、まずは練炭を探す。ひと昔なら自殺といえばロープで首吊りか酒を浴びるほど飲んで投身とかそんな感じだったが、今は睡眠薬を飲んで密閉した部屋で練炭を燃やすらしい。そうすれば苦しくも無いし、何より綺麗な姿で死ねるというのだ。

練炭をかごに入れ、次はガムテープ。これは実行する場の隙間を埋め、空気が入らないように密閉するための物。あとはキャリーバッグに適当な食料。最後にメールの注意事項に書かれていた、好きなお酒ということでジンを買った。

注意事項によると強力な睡眠薬は用意するが、万が一途中で目を覚ましてしまうと煙と暑さでのたうち回るほど苦しいので、できればアルコール度が強いお酒を用意してくれとのこと。それで睡眠薬を流し込むらしい。

 すべての買い物が終わり、高円寺のアパートまで荷物を降ろしに行き、再び八王子まで車を返しに行った。

母親が「車で運ぶほどの物を何買った?」としつこく聞いてきたので、息抜きに友達とバーベキューをするのだと嘘をついた。

 帰宅時、ラッシュの電車に乗り込むと車内はサラリーマンや学生でいっぱいだった。こいつらは皆普通に学校へ行き、普通に会社に就職して、普通に結婚して、普通に家庭を持ち、普通に生きている。

それが社会の常識というか、そうすることが人間として当たり前になっているのだ。

でも俺は早々と幼少の頃に、挫折した。

俺にとって普通に生きることは、本当に難しいことだった。

 アパートに戻った俺は、買った荷物を簡単に整理して早めに床に着いた。天井からぶら下がる室内灯のスイッチ紐を眺めながら思う。

『俺は明日死ぬ。明日の夜には自分の体はただの肉の塊となり、俺の魂はこの世から消える・・・』

 特にそれ以上の感情は、何も湧かなかった。




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