ぼくらのみらいを
@takahashinao
前編
僕は今、寂しさで人は死ぬことが可能か、という実験をしている。
48日前、母が死んだ。
60歳だった。
母は勤務先の貿易会社で頭痛がするといって早退し、道すがら倒れ、救急車で搬送され、そのまま息を引き取ったらしい。
そういう事情で、僕は母を看取ることはできなかった。
経緯や母の仕事ぶりの素晴らしさを泣きながら語る貿易会社の社長の頭を見ながら、なんだかせっかちな母らしいよなとぼんやり思った。
母が死にゆく瞬間、僕はといえば、いつもどおり仕事をしていた。
虫の知らせはなかった。
葬儀の段取りや親族、知り合いへの連絡なんかでバタバタしているので、この間に自己紹介をしよう。
僕はいつも調子は良くも悪くもなく、自称少し体調悪めの人間だ。恋人はいない、友だちは少し。体格、年収、経験、性格もろもろ平均的な30歳より少しだけ劣っているであろうと自負している。
母は僕を30歳で産んだので、この歳に到達するまでに結婚をしたいと思っていたが、思っていただけで結婚はできなかった。
シングルペアレントが珍しくない時代に、母は僕を産んだ。母と僕はそんな珍しくない親子だ。
母は仕事をしながら僕を育て、僕は記憶のない頃から保育園やさまざまな施設を昼間は点々としながら、夜はできるだけ2人で過ごせるように暮らしていた。なんだかずっと戦っていたような気がする。
母は僕にとって戦友でした。
葬儀の挨拶でそう告げると、会場のあちこちから嗚咽が聞こえてなんだか得意な気持ちなった。
そうこうしている内に、すべてのイベントが終わり、人も去り、日常が戻った。
不思議と喪失感はなかった。
心にぽっかりと穴があく経験ができるのかと思っていたが、僕はそうではないらしい。
忙しい母が家を空けることもあったし、家事全般は僕だってできた。近くにコンビニのあるアパートにしたから、ごはんの心配もないねと2人でよく話したくらいだ。
仕事も雑事でしばらく休んだが、落ち着いた頃合いにいつもどおり出勤した。
平日は、寝て起きて食べて働き、寝て起きて食べて働き、寝て起きて食べて働いた。休みの日には寝て起きて食べて寝た。
四十五日の供養が終わり、また人が去り、日常が戻った。
洗濯をしようと汚れものを洗濯機に詰めているときに、ふと怒りが湧いた。
母さんは何してんだよ。
最近、僕ばっか洗濯してんじゃん。
はっとした。
その言葉の意味とその答えの暗さに。
そして、同時に右耳の奥でブツッと何か太いものが切れる音と感触がした。
僕の身体が動かなくなった。
始まりと終わりの音だとぼんやりと思った。
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