第3話

 錆びた鉄の足場を抜け、碁盤目状に並んだ倉庫の区画に入る。保税区画とは、輸入された貨物、あるいはこれから輸出される貨物が、所定の手続きを終えるまで保管される場所だ。

 建造計画では等間隔だったはずの倉庫は、貨物の大きさや保有している会社の都合なのか、所々ふたつの倉庫が連結されていたり、入りきらない荷物に通路が埋められたりしていて、上手い具合に迷路状になっていた。


 人の気配は、入り口区画よりも更に多い。

 尤も、殆んどが港湾作業員や、外国人の港湾労働者の逃走を監視する入国管理官で、直接的な俺達の敵は、入り口に比べれば恐ろしく少ないが……。

 ただ、まあ、それでも、不要な人間と接触しないに越したことはない。

 通りの先の街灯から伸びる長い影に、俺は歩を止め、千鶴に耳打ちしてから予定よりもひとつ前の横道に入る。


 暫く進み、倉庫への荷入れをしている馬車の嘶きを聞き、周囲を探る。

「左に……」

 続いて進んだ先で特徴的な靴音を耳が捉えた、軍靴だ。

「今度は右だ」

 人の気配がしない方向へ向きを修正しつつ、目的地からは遠ざからないように、迂回路を計算して歩き続ける。

 はぐれないように、千鶴の手を引いて。

 上手く声を殺せない千鶴に発言させないように、必要最低限の進路情報のみを囁きながら。

「真っ直ぐに」

 俺たちは港湾労働者には見えないだろう、そして、旅行者はこの区画へ来ない。不自然な状況を作らないのには、人に合わないのが一番だ。

 とはいえ、多少の想定外は生じるのが、むしろ、普通という物。

 不意に目の前に鉢合わせた、襤褸の作業服の男に、俺は悠然と尋ねた。

「失礼。品を確認しに着たんだが、ろの三号倉庫へはこの道でいいのかな?」

「ああ、はい、まっすぐで大丈夫です」

 身なりから、それなりの立場の人物だと勝手に誤解したのか、作業員は一礼して、再び倉庫へと戻っていった。

 もしかすると、さぼりで、一服の休憩に出ようとして俺と鉢合わせたのかもな。


 ふふん、と、俺の背中に張り付いて鼓動を跳ねさせる千鶴に笑いかけ、そのまま俺は通り過ぎた。

 念のため、すぐひとつ先の路地を曲がり、倉庫に耳を当てても、中から聞こえるのは普通の作業音で、俺達を迎え撃つ準備をする節はなかったので、そのまま無視して進むことにした。


 右へ左へ、あみだ籤のように、港湾区画の奥深くへと進む。

 それから、十分は何事も無く俺たちは歩き続け――。

「小休止、だ」

 さっきの不意の遭遇も後を引いたのか、少し歩調の乱れ始めた千鶴に、少しおどけた調子で俺は告げる。

 疲れたのか、少し不満そうな千鶴を満足そうに見てから、俺は近くにあった木箱を蹴飛ばして横にし、その上に座った。すると、倉庫の壁に背を預けて休んでいた千鶴が、俺のすぐ横に座った。

「弓弦? 場所は大丈夫か?」

 千鶴は同じような造りの倉庫が並ぶ風景に方向感覚を狂わされたのか、それとも単に暫く会話を禁止されていたから喋りたいだけなのか、少し甘えた声で尋ねて来た。

 あまり不安を感じている様子はないので、おそらく後者の理由だろう。

「ああ、半分は踏破したな」

 太り始めた半月を見ながら、俺は海の匂いや、汽笛の距離におおよその位置を推察する。


 仕掛けるなら――……。

 桟橋や荷揚げ場は、人目が多いので向こうもそれは望まないだろう。

 倉庫が平常という事を考えれば、あと少しだけ先の、積荷の一時保管所辺りが、危ない、か。荷揚げの予定が少なければ、路地に直置きする仮置き場は、かなり広く空いている筈だし。

 本来なら、少人数でそんな開けた場所へ出てやるのは相当危険だが……。


 千鶴は、そうか、と、息を整えながら答え、それから少し迷っている様子ではあったが、三呼吸の後に、恐る恐る再び口を開いた。

「なあ、弓弦? ワタシ達は、もしかして、どこかへ誘導されているのではないか?」

「ふふ、千鶴も気付いたか?」

 ここに至るまでにも、理由不明なのに封鎖されている路地や、何故か警備員が多い場所はいくつかあった。その不自然さに気付けるようになったのは、褒めるべきだろうか。

 いや、それとも、素人に不審がられる罠しか張れない相手を罵るべきか。

 いずれにしても――。

「ま、楽をさせてもらえる間は、乗ってやるさ。いざとなれば、コイツで切り抜けるしな」

 ぽんぽん、と、腰を叩き、背広の裾の下に完全に隠れている拳銃の感触を確かめる。

 千鶴は、武器が必要なものという認識はあるようだが、一般的な武器への怖さもあるようで、複雑そうな顔で俺を見ていた。

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