第2話

 千鶴には度の無い眼鏡を渡し、俺は頬に少量の綿を積め、過度にならない程度に顔の印象を変え――千鶴にも猫にも不満そうにされたが、好きに歩かせるわけにも行かず、猫は小さな行李に押し込んで……、海都を突っ切った。

 変装は用心のためではあるが……。

 ただ、俺の読みが正しければ、あまり変装は意味が無い。市街地では人混みに紛れられるし、問題となるはずの港湾区画の検問や監視塔の群れの中には、意図された、手薄な抜け道が散見されるはずだから。

 尤も、その先にあるのが、罠なのか共犯者の笑みなのかは、まだ判じかねている。

 ま、それが楽しみでこの流れに乗っているんだし、な。


 目標は港湾区画の奥の出港準備を終えている補給船で、敵は――、検疫所保守班やら入国管理局警備課、そして――今回一番問題になる、武装している港湾警備も兼ねた保税局員、……おっと、例の間抜けな憲兵隊もいるか。

 四方が敵の状況下で、状況を良く分かっていない千鶴を連れ、俺は網目を縫うように確実に、客船の補給船へと距離を詰めていく。


 海都の外れの集合住宅を抜けると、海都を丁度二分するように鉄道の線路が敷かれていて、その先に――。

 見てみな、と、千鶴を顎で促す俺。

「どうした?」

 訝しむ顔で千鶴は、鉄道の先を覗き――、一瞬で体ごと身を隠している細い路地の奥へと引っ込んでしまった。

「どうするつもりだ?」

 少し怒ったような千鶴の声。

 煌々と灯された照明に、真新しい土嚢の急造陣地が浮かぶ。

 鉄道や荷馬車が港湾区画へ入る為の正面口は、小銃で完全武装した兵士が小隊の基本単位――、五班二十五人でがっちりと固めていた。

 尤も、門の前にいるのが全てではないだろうし、奥の詰め所を含めれば、五十名以上を正門に当てているのだろう。

 普段の約五倍の厳戒態勢だ。

 向こうも、ここから来るはずがない、とは思っているんだろうが――、……いや、あれだけ街中を騒がせたんだし、逆上して――もしくは、裏をかいて――正面突破を図ると考えていたとしても不思議ではないか。

 ともかくも、俺としてはついでに確認しただけで、元から当てにしていなかった経路であったので、あっさりと諦め、千鶴の手を引き、再び入り組んだ路地に入り込む。


 洋風に倣って建てられている町並みは、しかし、日本人としての【ハレ】と【ケ】の文化の影響か、裏通りの影が深い。集合住宅の廊下が勝手口のような印象のためか、裏通りはさしずめ――章吾みたいな連中のたむろする――人外の地、なのだろう。良い意味でも悪い意味でも。

 二十分以上歩いたものの、数人としかすれ違わずに目的地には着いた。

「この街の下敷きになった、川の名残だ。昔は、上流から木材を切り出して運んでいたらしいが……」

 夜の闇に沈むドブ川を指差して言った俺。

 戊辰の際には河運の要であったはずだが、陸上輸送を河の流れにとらわれない鉄道に奪われた今となっては、海都の排水経路の意味合いの方が強い。

「こんな所を渡れと言うのか!」

 千鶴が憤然と叫んだので――、やれやれと俺は頭を抱える。逃げ始めた初日から数えて、何度、無駄な大声を出すなと言ったことか。

「誰がこんな破傷風になりそうな河に入るか。思い出せ、章吾からなにを貰ったんだ?」

 俺の視線の先には、護岸のためのコンクリート製の川岸に、錆びた細い鉄製の足場が、柵付きで保税区画の中まで伸びている。


 古いとはいえ、海へと流れ込む河川なのだから、治水には相当に気を使う。

 上流では少雨でも、集まった水の威力は侮れない。

 元々あれは、防波壁、堤防、その他様々な治水設備の維持管理用の足場で――、あの貧民街の連中の仕事のひとつでもある溝攫いにも使われている。

 が、それにしたって、厳戒態勢なんだから保証のひとり二人は置いておくと思うんだが……。

 やはり、今回の黒幕は、どこかへ俺達を誘い出したいのだろう。

 その露骨さは、意図されたものなのか、単に仕向けた人間が馬鹿なだけなのか、判断に困る所ではあるのだが。

「見えぬ」

 目をしきりに凝らしていた千鶴だったが、結局最後にはそんな事を傲然と言い放った。西日と、その影の濃さに目が眩んだのだろう。

 雲は少ない。

 直に夕焼けになるだろう。

「なら、黙って付いて来い」

 目の前にある真実へ向かうために、俺は千鶴の手を強く引いた。

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