第十章:前哨戦

第1話

 朝餉を終え、昼へと向かう時間の中……片付け切った部屋の中を、千鶴が所在無げに、忙しなく歩いていた。

 俺達の荷物はふたつの鞄――千鶴がひとつ半で、俺が余っていた半分の容量を占めている――に、まとめられ、いつでも手に取れるように近くにおいてあり、布団は押入れの中に仕舞われている。座布団も最初と同じに重ねてあり、俺は背を柱に預けて畳に直に座り、千鶴は窓際から障子の間を行ったり来たりしている。

 どうせ、憲兵が近付いたら、踏み込む前に騒動になるのだから、それを察してから慌てればいいものを。


「楽しそうだな?」

 気が立っているのか、千鶴が、悠然と構える俺に険しい視線を向けてきた。

「事実、楽しいぞ」

 にやにやと笑いながら俺は答える。

 そんな俺に、呆れたような、理解不能とでも言いたいような、そんななんとも微妙な表情を向ける千鶴。

 予想通りの千鶴の反応に、俺は普段通りにニヤリと笑って見せ、まあ、時間もあったし、お楽しみを前にして機嫌も良かったので、少し語ろうか、という気まぐれを起こした。

「いいか? 日本は、家族を応用した国家だ。国は陛下を家主に連なる機構で、そうした構造は、会社も軍も、あらゆる場面へと適応されている。会社なら社長が大黒柱で、軍は基地の司令が親父代わりだ」

 ここまでは、いいか? と、首を傾げて見せれば、千鶴はすんなりと頷いた。

「しかし、親というのは、最初は傘だが、育つ過程で重石になる」

 ――いや、尤も、最初から子を守らない親もいるのだし、この部分は人其々で環境にも因るが、千鶴に理解しやすいのはこの形だろうし、敢えて自分の場合を外してそう告げた。

 再び……先ほどよりも浅く、躊躇いながらも頷いた千鶴。

「その重石を撥ね退けるのが、楽しくないわけがないだろう? 親殺しは非道だが栄誉でもある。親を倒せない程度の子供が、親以上の場所へ行ける筈も無し」

 千鶴は、俺が誰を指して今回の標的としているのか分からない顔をしていた。子爵や、千鶴の元許婚で無い事は分かっているのだろうが……。

 いや、話そのものが理解できなかったのか?

 まあ、どちらでも良いか。

 ふふん、と、俺は笑って、ついでとばかりに決定的な台詞を告げる。

「さて……大佐は、どんな余興を仕込んでくれたのかな?」

 千鶴の表情が驚愕に歪められた時、表が俄かに騒がしくなった。

 素晴らしい時節だ。

 混乱したままの千鶴を他所に、俺は腰を少し浮かせ、臨戦態勢へと入った。

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