フェンスに切り取られた空

 あーあ、また授業さぼっちゃった。いやなことが重なって心の器があふれそうになると何もかもが嫌になる。生まれてこなければよかった、なんて思ったりする。偉い人が出してる本にはそういう時に良く効く言葉がたくさん書かれてるんだろうか。屋上のフェンスを乗り越えられない私はその手前で死んだふりをする。からだをコンクリートにつけているとひんやりと気持ちがいい。今日は金曜日だから今の時間は体育かな、と思って頭をそらしてグラウンドを見た。くるりとさかさまになった地面ににょっきり生えているのはクラスメイトではなく掃除のおじさんただ一人だった。けなげだなあ、と最近覚えた言葉を使ってみて、使い方が間違っている気がして、口をぱくぱくさせる。

 ここには私一人、でも二メートル下には人がうじゃうじゃいる、いやだな。

 さわやかな、という形容詞が似合う夏の色をした空を瞼を透かしてながめていると、雲が増えてきたのか太陽との間にじゃまが入る。白い雲が日の光を私のかわりに吸収してそのぶん私の体表の温度が下がる。すぅっと暖かさが波のようにひいてふたたび揺り返すのがおもしろい。先生の声がした気がしてぱっと目を開けて唯一の出入り口を見る。そこには、誰もいなかった。ただの空耳か、と一安心してもう一度空をからだで感じる。ちょっとずつ太陽が傾いて、それに合わせて地球にあるすべてのものの影も回っていく。次の理科でそういう話をするらしく、予習に指定されたページに書いてあった。てきとうに教科書を眺めただけだからあてられても答えられないな、先生ごめんね。

 戸田先生は好き、やさしくてかっこいいから。なんで授業に出なくちゃいけないのか聞いたら、そうしないと先生が怒られちゃうからって笑いながら答えた後で「それに先生が好きな科学の話を君に聞いてもらえないのは悲しいからね」と少し真面目な顔になって、固い芯のある声で言ってくれた。西山先生とか小平先生が悲しくなってもちょっとしかかわいそうじゃないけど、戸田先生が悲しくなるのはそこそこかわいそうだからその日から授業に出ることにした。ぬけだして屋上に行きたいと一度も思わずに授業を一時間受けられたのは中学生になってから初めてだったからやっぱり戸田先生が好き。眠ってしまいそうになりながら心にたまったいやなことを少しずつ流して、底に沈んでいるきらきらした好きなことが見えるようにする。のうみそに心がないと科学ではおかしいのかもしれないけど、私がいまきれいに掃除している心はやっぱり胸のまんなかにある気がする。恥ずかしい時も胸がどきどきするし、つらいことがあると胸にぽっかり穴が開いたように感じる。ひとの心は目に見えないから科学者がいくら脳みそにあるっていっても証拠なんて出せっこない、私の勝ち。ふふんと頭の中の科学者に対してえばって見せるけど、実は私も心が胸のまんなかにある証拠は持っていないのでもし見せろと言われたら困ってしまう。変なことを考えていると時間がたつのも早くなる。本当に早くなってるんじゃなくて体感時間が早くなっているのを私は知っている。まじめに理科の授業を受けるだけじゃなくて最近は科学の本、もちろん難しい本はわからないから、子供向けだけど少し大人向けの本を読んでるから物知りなのです。みんなは魔法が使えたり動物がしゃべったりする全然科学じゃない本を読んでるけど、そんなのは小学校で卒業した。難しい言葉や読めない漢字があれば戸田先生に話しかける理由にもなるし、先生と科学のお話もできる。目立つのが嫌だからみんながいるところじゃ話しかけられなくてそこは大変だけど。もっと自由に生きていきたいわ、なんて、まるでどこかのお嬢様のせりふみたい。

 やさしく吹いていた風がいきなり強くなってフェンスをがしゃがしゃと揺らす。ゆっくりからだを起こして、首をぐるんと回す。ようやっと体育も終わるころだし、そろそろ教室に戻ろう。わすれものがないように気をつけて、よし、と気合を込めて私はドアを開けた。

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