イモータルキラー 〜殺し屋の少女と不死者の男。そして表を向かない白金貨〜
白間黒(ツナ
一章 月夜の怪物
第1話 殺し屋の少女
草木も眠る丑三つ時。夜道が月明かり以外の光を失った折。怪物は闇夜に紛れて忍び込み、生なる者を永遠の闇へと誘う。荒唐無稽な与太話だが、それは今まさに現実のものになろうとしていた。
「がっは……」
何かが擦れるような音とともに、息が漏れる音、痛みに苦しむ声、そして最後にどさりという音が響き、豪奢な絨毯に血桜が咲いた。
「これで十二。後は」
暗がりに包まれた回廊の中。外套を纏った少女は標的(ターゲット)の斃れる音を置き去りするように、質の良い調度品や扉追い越しながら一筋の風を纏って駆け抜ける。
そして、少女を追いかけるように目まぐるしく移り変わる光景の中で、窓の外から顔を出す満月だけが彼女を見守るかのように。移りゆく光景に張り付くように。目で追うことも難しいほどの速さで風のように駆け抜ける少女を追いかけていた。
窓の外にはうっすらと月明かりが照らしている以外には何も見えず、加えて嵐の前の静けさとも形容すべき物々しさが建物全体を包んでいる。ただ、実際は嵐の渦中。その真っ只中なのだが。
『——突き当たりに三人。気をつけて、ミア』
そんな静けさに紛れて、どこからか少年のような高い声が頭に響いた。
「了解」
ミアと呼ばれた少女はそれに応えるように呟き、次の標的に向かう。
憂いを帯びたように気怠げなその声は豪奢な回廊にも、殺しの現場にも不釣り合いだった。
数少ない相応しい点は、彼女が殺し屋であること。そして、俗に死神のローブと呼ばれる、光を拒絶するかのような黒染めの外套だけだった。
視線の先には、じきに死装束になるであろう革の鎧を纏った男が一人、二人、都合三人。目に見えないものを探るように。比喩ではなく暗闇に目を凝らし、注意深く周囲を見渡している。
碧く光る瞳の中心にに獲物を捉えたミアは、淀みのない動きで彼らへと接近していく。それは視界を確保することさえも難しい暗がりにおいて、全てが見えているかのように。命の灯火が放つ光に吸い寄せられるように。
彼女は一息で槍の間合いから剣の間合い。そしてついには拳の間合い。相手の息遣いがわかるほどの距離にまで、音も立てずに近づいた。
そのまま勢いを落とさずに駆け抜けつつ、懐から取り出したのは黒塗りの
「……十三、四」
すれ違いざまに、一番手前の傭兵の首筋へと致命の一振り。もう一人が気づく前に、同様に一振り。
「な……!」
唯一上がった声は、至近距離まで近づいたミアに気づいた傭兵が洩らした驚愕の声だった。そして、慌てて腰の剣を抜いて抵抗しようとする傭兵に最後の一振り。獲物の間隙を縫って走りながら、流れるように、首筋を撫ぜるようにして無力化していく。
少し遅れて、息の漏れ出たような声。赤い液体の吹き出す音。最後にどさりという音が三つ。虚しくあたりに響いていった。
「……十五。後は」
瞬きのうちに戦闘を終わらせた少女は、ナイフに血振りをくれて立ち止まる。
一連の流れは、
月夜の怪物と呼ばれ恐れられる殺し屋の、いつも通りの作業だった。
『……これで最後。侵入して早々見つかった時はどうなることかと思ったけど、なんとかなって良かったね』
「あんたが報告しなかったからでしょ」
気を抜けば自らの命が危険に晒される殺し屋家業だが、仕事が終わってしまえば警戒することは何もない。たとえ、外套の下に隠されていた素顔を夜風に晒しても。言葉を音に乗せて発するという、自分の居場所を相手に知らせるだけの行為であっても。
ただ、仕事中の不注意で
『しょうがないじゃないか、報告する前に突っ込むんだもの』
「うるさいわね……」
煩わしげに肩を竦め、頭に響く声に応える素振りすら見せず懐に手を伸ばす。
そうして取り出したのは、一枚の
『わわっ!』
黒手袋に包まれた細い指の先から離れたコインは、そのまま激しく回転しながら跳ね上がり、頂点で一瞬だけ静止し、上昇した際に描いた軌道をなぞるようにして手元に収まった。
『……ちょっと、それやめてよ! 目の前がグルグルする!』
少し遅れて、いつもより大きな声が頭に響く。もし声の主の姿が見えていれば、文字通り弾かれたように顔を上げて抗議をしていただろう。
「文句なら馬鹿げた依頼を持ってきたバーテンとその依頼主に言いなさいよ。政敵を殺して関係者も全員消せだなんて正気の沙汰じゃない。控えめに言って非常識ね」
『誰にも見つかるなっていうのは、関係者全員殺せってわけじゃないと思うけど……』
「死人に口無しよ」
原因の押しつけ合いにうんざりしたと言わんばかりに、煩わしいコインを片手に肩を竦める。
人間扱いされることも珍しい殺し屋の一人とはいえ、仕事を選ぶ権利はある。それが名の知れた殺し屋なら尚のこと。
ただ、明らかに非常識な依頼を積極的に受ける理由があるとすれば、答えはひとつだった。
『咲くのは
不謹慎な冗句に少女はうんざりしたようにため息とともに悪態をつく。虚脱感の中には、どこか諦念が垣間見えた。
ミアは数瞬の間だけ何をするということもなく佇んでいたものの、複雑な感情を振り払うように金髪を揺らしてため息をついた。
「返済の足しにもならないわよ。早く戻って次の依頼。バーテンの驚く顔が目に浮かぶわね」
非常識な内容の依頼で、報酬の額も非常識。となると、それを受けざるを得ない少女の境遇もまた非常識。俗に言う普通の人生とは程遠いものだった。
殺しの現場において不毛なやりとりを繰り広げた後にコインを懐にしまい、洋館を後にすべく、予め開けておいた扉から夜風の沁みる夜路へと踏み入れる。
見上げた月は碧い瞳に重なるように映り込み、忌々しいほどに眩しかった。目を灼くような月明かりから目を逸らすようにして踵を返し、ミアは何度目かもわからないため息をついた。
——いつまでこの生活が続くのかしらね……。
その問いに対する答えを持つものはこの場に存在しない。代わりに、背後から接近する強い殺気がその思考を遮ることになる。
「——殺しの現場で、なんとも呑気なものだな。月夜の怪物よ」
『まって! ミア、後ろ!』
突如として背後からかけられた声と、懐から響く焦りを含んだ声。そして、音もなく訪れた襲撃に少女は碧く光る目を見開き、ひりつくように肌を刺す殺気に驚愕を露わにする。
「——終わりだ」
直後、両の瞳に浮かんだ月が、歪な剣の形に陰り、最後にはその視界の全てが宵闇に紛れるように覆い隠された。
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