04. 三剣の貴公子
私には、白い線が空中を走ったようにしか見えなかった。
キンキンキン、と何度か金属の衝突音が聞こえたかと思うと、空中には小さな火花が飛び散る。
その間もコインは重力に引かれて床へと落ちていき――
「くっ」
「ちぃっ」
「よしっ!」
――三者三様の声が聞こえた時、コインが床に当たった。
「え……?」
私は、自分の目を疑ってしまった。
床を転がるコインが二枚に増えていたのだから。
……いいえ、違うわ。
「ふん。やるじゃないか、ハリー」
「くそぉ、また腕を上げたな!」
「どうもありがとう。二人が競り合ってくれたので、思いのほか楽に
お三方の反応を見る限り、勝ったのはハリー様みたい。
でも、どんなルールかさっぱりわからない私にはチンプンカンプン。
「ザターナには、説明が必要なようだな――」
ルーク様が困惑している私を察してくれた。
「――コインスライサーの
「単純にコインの落下に合わせて斬りつけても、勝率は
「さっきの場合、ルークさんとアトレイユさんが何度も打ち合ってくれたので、僕が二人の剣を弾いて、ベストポジションを独占できたわけです。ちなみに、剣士が互いの体に触れるのはルール違反となっています」
……はぁ。
なんとなくルールはわかったけど、やっぱり物騒なゲームね。
正直、剣なんて持ったこともない私には楽しさがわからないわ。
「ともかく、勝負は勝負だ。
「まぁ、ずっと同じペアで踊り続けるわけでもないしな」
「何を言ってるんですか。こういうのは最初が肝心なんですよ?」
その時、
もしかして怒られる……?
そう思った矢先、彼女の口から思いがけない言葉が出てきた。
「楽しい余興をありがとう、わんぱく坊や達」
「お騒がせしてすみません。母上の舞踏会を邪魔しようとしたわけでは……」
「わかっています。まったく若い殿方ときたら、女性の前で恰好ばかりつけようとして困りますわ」
ルーク様が苦笑いを浮かべる。
他のお二人も同じで、このやり取りが今回初めてではないことを察せられた。
それにしても、貴公子と呼ばれるほどの方もお母さんの前では子供扱いね。
なんだか微笑ましい気持ちになってくるわ。
「そうは思いませんこと、ザターナ嬢?」
いきなり話を振られたので、びっくりした。
そう思うけど、この場で素直に同意するのは角が立ちそうな気がする。
ここは無難に挨拶で返そう。
私はニコリとほほ笑んだ後、両手でスカートの裾をつまんで頭を下げた。
そして、とっさに思いついた言葉を口にする。
「今宵は、舞踏会へのお招きありがとうございます。ここ最近、屋敷に閉じこもっているばかりで退屈していたところ、侯爵夫人からのご招待は
「聖女様ですものね。自由を制限されるのはお辛いでしょうけれど、それもあなたの
「もちろんです――」
難しい言葉を使うのは疲れるわ。
でも、年配のご婦人にはその方が受けが良いらしいから、がんばらなくちゃ。
「――ところで、侯爵夫人がお召しのドレス。間近で拝見しましたが、とてもお綺麗ですわ。今宵の舞踏会にまさに相応しき装いかと存じます」
「ありがとう。でも、おべんちゃらは結構よ。この場に集まる淑女は、誰もが一流の女性を自負して集まっているのだから」
……うわぁ。この方、キツイわ。
笑顔を崩さず、これほど痛烈に切り返してくるなんて。
それにしても、せっかく旦那様から教わった女性の褒め方だったのに、一体どこが気に障ったのかしら……?
「母上。主催者が一ヵ所に留まっていては、他のお客様に示しがつきません」
「あら、ごめんなさい。わたくしったら、久しぶりに聖女様とお会いして少々はしゃぎすぎてしまったようだわ」
そう言いつつも、侯爵夫人の顔には反省の色を感じられない。
マイペースなお方なのかしら。
「ごきげんよう、ザターナ嬢。近いうち、お茶会で会話に花を咲かせましょう。アトレイユとハリーも、たまには顔を見せに来てくださいな」
侯爵夫人は私と男性陣を順に見回した後、
その後ろ姿が人混みに消えていくのを確認して、私はようやく肩が軽くなった。
それは、どうやら他の殿方も同じみたいね。
「相変わらずだなぁ、ルークの母上は」
「僕なんて、いまだに緊張しますよ。昔、三人揃ってこっぴどく怒られたことを思い出しちゃいました」
「嫌なことを思い出させるなよ。それよりも――」
ルーク様が私に向き直って続けた。
「――ザターナ。きみに断らず、勝手にダンスパートナーを決めてしまったことをお詫びする」
「いえ。別に気にしては……」
ルーク様って、細かなところに気を利かせてくれる人なのね。
旦那様とは違うタイプの男性だわ。
「不本意だが、ハリーの相手をしてやってほしい。とりあえずは、きみの隣に立って品位を損ねることはない男だ」
「酷い言いようですねぇ。これでも、自分磨きは怠っていないつもりですよ?」
「そうだな。何より、おまえが珍しく顔を出した舞踏会だ。楽しむといい」
「おや。ルークさんにしてはお優しい」
やっぱり仲がよろしいわね。
それにしてもハリー様、今の話だと普段は舞踏会には出席されないのかしら。
社交的なお人柄に感じるけど、何か理由が?
「それではザターナ嬢。僕とご一緒していただけますか?」
ハリー様が、私に手を差し出してきた。
見れば、周りの人達もあらためてダンスに興じている。
この手を取れば、私もそれに応じなければならないんだけど――
「喜んで」
――断れる雰囲気じゃないし、このまま踊るしかないわね。
◇
ダンスなんて、たまにお屋敷で開かれるパーティーでしか経験がない。
あまり勝手はわからないけど、なんとかするしかないわ。
……手を合わせてくるくると回ったり。
曲のタイミングに合わせてお辞儀をしたり、ステップを踏んだり。
ダンスって、思いのほか大変。
「あっ。おっ。むっ」
……。
さっきからハリー様の様子がおかしいわ。
「ぐぐっ。ぐぬぬっ……!」
足取りがおぼつかないし、お顔には冷や汗がつたってる。
体調でも悪いのかしら……?
「ハリー様、どうかなさいましたか?」
「えっ。いや、なんでも……」
私がお声がけしたことで、顔が強ばってしまったわ。
絶対何かあると思うんだけど、そこを突っ込むべきなのかしら。
「あっ」
一瞬、ハリー様の足が私の足とぶつかった。
私はなんとか堪えることができたけど、ハリー様はバランスを崩して――
「どわぁっ!」
――床に転倒してしまった。
「い、いつつ……!」
ハリー様はすぐに起き上がったけど、ホールの注目を一身に浴びてしまう。
顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにうつむいている。
「あ、あの……大丈夫ですか、ハリー様」
「大丈夫。大丈夫ですっ」
ハリー様はすぐに私の手を取って、ダンスを再開したけど――
「うわぁっ!」
――また同じ形で転んでしまった。
まさか、この人……?
「失礼しました」
「は、はい」
でも――
「おわあっ!」
――二度あることは三度ある。
またまたハリー様が床に……今度は顔面からダイブしてしまったわ。
やっぱりだ。
ハリー様って、ダンスが恐ろしく下手……。
◇
その後、舞踏会は大きな騒ぎもなく無事に終了した。
今、私は
「ハリー。おまえ、ダンス下手だったんだな!」
「今まで舞踏会だけ頑なに参加しなかったのは、そういうわけか」
アトレイユ様とルーク様が、呆れた表情を見せている。
「し、仕方ないでしょ! 人間には得手不得手があるんですからっ」
「とは言え、あの下手さは度が過ぎるぞ」
「子供の頃から剣以外は何やらせても下手だったけど、まさかダンスもとはな!」
さっきから彼らのやり取りを見てきて、なんとなく関係性がわかってきた。
ルーク様が、年長者でリーダー。
アトレイユ様が、場を和ませるムードメーカー。
ハリー様が可愛い弟分、といったところね。
こういう関係が、友達というものなのね。
身分の差を越えてこんな付き合いができるなんて、羨ましいな。
「でも、ザターナ嬢からダンスの手ほどきを受けて、少しは進歩したんじゃないか」
「そうだな。後半は転ばなくなった。大した進歩だ」
「ぐぬぬ……! つ、次の舞踏会では度肝を抜いてやりますよっ」
アトレイユ様とルーク様の言葉を受けて、ハリー様はお顔が真っ赤。
きっと友人同士だからできる掛け合いなのね。
……そうだ!
ハリー様のダンスオンチぶりに驚いて、すっかり頭から抜け落ちていた。
ヴァナディスさんは、どうしたのかしら?
人がはけてきたホールを見渡すと――
「え」
――なんと、紳士と楽しそうに語らうヴァナディスさんの姿を見つけた。
一緒にいるのは、さっきと同じ人のようだけど……。
彼女、うっすらと頬を赤らめているように見えるのは、気のせい?
「ザターナ」
「は、はいっ!?」
突然ルーク様に呼びかけられて、変な声を上げてしまった。
「今日は一度しかきみと踊れなかったが、次の舞踏会ではもっとご一緒させてもらいたいな」
「ちょっと待った! 俺だって次回は二回以上彼女と踊りたい!」
「待ってください。今回は迷惑をかけましたが、僕だってザターナ嬢と――」
また三人、輪になって口論が始まった。
本当に仲がよろしいことで。
このお三方、友達というよりも兄弟みたいなものかもね。
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