魔女子の使い魔

いぬがさき

プロローグ 懐かしの地

大学3年の秋、1人旅行を趣味とする甲賀守大地こがもりだいちは大型連休を利用して奈良県を訪れていた。



大地は小学校の修学旅行以来である地をワクワクしながら散策する。



大学こそ関西圏外だが、彼の実家は関西の東に位置しており、直線距離では奈良までそう遠くはない。


ただ、電車を利用すると遠回りとなり、距離と時間が余分にかかってしまう。


その為、今まで訪れる機会がなかったのだ。


大学2年の春に晴れて免許を取得した大地は、暇をみては実家に帰省して運転の練習を行い、今回ようやく奈良旅行へと踏み切った。



懐かしさと新鮮さを感じながら、夢中で東大寺や奈良公園、周辺の街並みを見てまわる。



「おお!こんなに都会だったんだな・・・」



修学旅行はバス移動であり、且つ、東大寺と若草山しか訪れていなかった大地にとって、奈良の街は驚きの連続であった。


東大寺や春日大社、奈良公園、それに隣接する近鉄奈良駅および商店街、JR奈良駅や数々の通り。


歴史ある風景と、近代的な風景が違和感なく交わっており、独特の魅力を放っている。



散策の時間は瞬く間に過ぎ、気付けば日が暮れ始めていた。


周囲の雰囲気もがらりと変わり、自分と同じ観光客の姿はまばらになって、夕焼けで街が橙色に染まる。



1日の終わりが近付いてくる、どこか寂しい雰囲気を纏う街中を、大地は充実した顔で闊歩する。


彼は旅先のこの、せわしなさが消え、ゆったりとした空気が流れる時間が好きであった。



夕暮れの散策を一通り満喫したところで、宿泊するビジネスホテルにチェックインする為に駅近くの駐車場へと向かう。



ー ガタゴソ ー


その途中、大通りから入った小道を進んでいると、狭い路地の方から物音が聞こえてきた。



(何やろ?)


普段なら無視して通り過ぎるのだが、旅行で心がうわついていた事もあり、警戒心よりも好奇心が勝った大地の足は、つい路地の方へと向いてしまった。



ー ゴソゴソ ー


路地を進む間にも音は続く。



「んー!んぅーっ!」


「この!大人しくしろや!」



「っ!?」


薄暗い路地の先にいた物音の正体は猫でもカラスでもなく、2人の人間であった。


桜色の服を着た女性が、黒服の男に口を押さえられ、後ろから羽交い締めにされている。



「んぅ!?むー!」


「あ?なんだお前!?」


突如姿を現した大地に2人の注目が集まり、それぞれ異なった反応を示す。



予期せぬ光景に、大地の思考が一瞬止まった。


ケンカっ早い訳でも腕っ節が強い訳でもなく、正義感も人並み。


もちろん、女性が襲われている状況を目にした事など一度もない。


だが、自分でも不思議なくらい自然と、彼の身体は思考を置き去りにして、女性を助けるべく悪漢へと突進していった。



既に2人に存在を認められており、今さら見なかった事にして引き返すなど不可能。



「うぁああああ!」


行くなと警告する理性を無理やり抑え込み、大地は情けなくも大声を出しながら向かっていく。



大地の予想外の行動に、男の目が大きく見開かれ動きが止まった。


同時に力も緩んだのか、女性が男の手から逃れる。



タイミング良く男1人になったところを、大地のタックルが男を捉え、2人は折り重なるように地面へと倒れた。



「に、逃げて!」


そのまま男を必死で押さえ込みながら、声を張り上げ、女性に逃げるよう促す。



「このクソガキがっ!」


男は暴れながら鬼の形相で睨めつけ、大地が怯んで拘束が僅かに緩んだ隙に、自由になった右手を素早く内ポケットに入れ、取り出した物を伊吹の左肩へと突き刺した。



っ!?」


左肩に激痛が走り、目をやるとそこには液体の入った注射器が突き刺さっていた。



「はっ!邪魔するからそうなるんだよ!」



ー ドスッ! ー


「ぐぉっ!」


伊吹の拘束から抜け出した男が、報復にと腹を蹴る。


大地は呻き声を上げて、その場にうずくまった。



「出しゃばった馬鹿な自分を恨みながら醜い化け物にーー」


男は昏い笑みを浮かべて、吐き捨てるように呪詛じゅそを発する。



ー ドゴッ! ー


「ごぇっ!?」



が、突然壁に叩きつけられ、言葉を最後まで紡ぐ事なく、蛙が潰れたような声を出して男は昏倒した。



ただ、大地はその言葉や光景を知る事はなかった。



(痛い・・・熱い・・・!)


注射器で刺された箇所が異様なほど痛みと熱を持ち、うずくまったまま耐えるので必死だったからだ。



(毒?死ぬ?)


死を思い浮かべてしまった大地の頭は、恐怖で埋めつくされてしまった。



(まだ死にたくない。まだまだ生きたい)


嗚咽を漏らし、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、痛みと熱、そして、いつからか感じる甘い何かの誘惑に必死で抗い生を渇望する。



だが、やがて限界が訪れ、大地は何かに引っ張られるように意識が遠のいていってしまう。




「もう大丈夫だよ。良く頑張ったね。だから今はゆっくりおやすみ」




しかし、完全に意識を手放す前、誰かに手を握られた感触があり、その瞬間から左腕の異常が消えて、代わりに全身が暖かい何かに包まれた気がした。



「助けてくれてありがとう。私のーー」



耳元で囁かれた心地よい声をBGMに、今度は安らぎに抱かれて、伊吹は今度こそ意識を手放した。

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