【完結】ここにある
邦幸恵紀
ここにある
これをスポーツと決めた奴らは、きっと脳みそ腐ってる。
あたしがそう愚痴るたび、ミィは呆れたように笑ってる。
一応、ルールはあるんだからスポーツでしょ、っていうのがミィの言い分だけど、人型ロボットに乗りこんで殴ったり蹴ったりするのがスポーツと言えるんだろうか。
『試合開始からわずか十七秒! 今回も一蹴りでKO! さすが〈瞬殺の女神〉! もはや芸術の境地です!』
審判兼実況役が、ここから三十キロメートル以上離れた安全地帯で相変わらず頭の悪いことを叫んでる。
今、この試合会場という名の荒れ地にいるのは、あたしと、あたしに蹴り飛ばされて地面に転がっている黒い人型ロボットと――名前は知らない。覚えてないから――小蠅みたいにブンブン飛び回ってる撮影用ドローンたちくらいだ。
試合できる領域は、半径十キロメートルの円の中。あたしは今、ほぼその中心に立っている。つまり、試合開始からほとんど移動していない。制限時間はないから、対戦相手に勝つには、あたしみたいにKOするか、円の外に押し出すしかないのだ。
原則、武器の使用は禁止。飛行機能の使用も禁止。一度でも違反が
スポーツだからというよりは、あたしを含めて参加者の大半が、Rスポーツ振興財団から人型ロボット――財団での公式名称は「ボーディング・ロボット」だけど、財団関係者も「人型ロボット」と呼んでいる――を借りて試合をしているからだろう。月までなら定期船で行ける時代になっても、人型ロボットはやっぱり希少品。財団としてはそう簡単に壊されたくないはずだ。
ちなみに、財団所有の人型ロボットは、〈ゼウス〉、〈アレス〉、〈アテナ〉の三種類。俗に、寝技の〈ゼウス〉、殴りの〈アレス〉、蹴りの〈アテナ〉と言われてる。それぞれの基本カラーリングは、黄色、赤、紫。……まあまあ妥当だろう。
あたしは初参加した二ヶ月前から、強制的に今の〈アテナ〉を使わされてる。その名前どおり、三種類の中で唯一女性的なフォルムをしている機体だ。
「女」だから〈アテナ〉ってものすごく安直だとは思ったけど、ミィが財団と交渉していろいろオプションをつけてくれた。レンタル代も他の参加者よりかなり安くなっているはずだ。守秘義務があるから確認はできないけど。
『リリ!』
プライベートの通話回線から、あたしを呼ぶミィの声が聞こえた。
何時間でも聞いていられる、落ち着きのある低い声。
「リリ」という名前はミィがつけてくれた。響きが可愛いでしょとミィは言っていたが、あたしにはそういう感覚はよくわからない。とりあえず、ミィが呼んでくれるならそれでいい。
『リリ! お疲れ様! 今、そっちに向かってる!』
「わかった。急いで安全運転して。……しかし、自前でこんなに弱くちゃ、金を遣った意味なくない?」
『……お願いだから、それは私以外には誰にも言わないで』
「わかってる」
Rスポーツに初参加してからもうすぐ二ヶ月。あたしも少しは学習した。
財団の人型ロボットを借りずに、自前の人型ロボットで参戦するような奴は、金とプライドだけはある馬鹿だ。あたしは理由があって〝瞬殺〟してるけど、倒される側にとっては屈辱そのものだろう。
だから、あたしはいつも、試合終了後は充電切れの人形のように突っ立っている。
決着後に相手を攻撃するのは、最低最悪のルール違反だ。Rスポーツに二度と参加できなくなるのはもちろんのこと、財団の攻撃用ドローンから総攻撃を食らう。
財団にとって人型ロボットは大事な商売道具。つまり、この中にいるかぎり、あたしもついでに命を守ってもらえるのだ。
試合が終わると、試合会場のすぐそばにあるスタッフセンターから、財団のスタッフと一緒にあたしたちプレイヤーのスタッフもやってくる。
ミィとはできるかぎり一緒にいたい。でも、〈アテナ〉の中でミィが来るのを待っている、今の時間は嫌いじゃない。
ここの他にも試合会場はいくつかあって、どこも平坦で殺風景な荒野だけど、空だけは常に青い。
たとえそれが、動画映えするように、人工的に作られた空だとしても。
あたしは今、ここにある。
***
三ヶ月前。
あたしはどこだかわからない場所にいた。
そのときのあたしには感覚器官はまったくなくて、時々、記憶とも幻覚ともつかないものが現れては消えていた。
でも、そんなあたしの声が聞こえたんだとミィは言う。
あたしは全然覚えていないけど、「ここにいる」みたいなことを延々呟いていたらしい。
「助けて」でも「見つけて」でもなく、「ここにいる」。
我ながらわけがわからない。だけど、その声を頼りにミィはあたしを見つけ出して、
あたしが完全に覚醒したのは、ミィがあたしに
「うん。あなたは今、ここにいる」
初めてミィの声を聞いたとき、わりと真剣に女神様だと思った。
「そして、私も今、ここにいる。……私の名前は『ミィ・
この質問には困ってしまった。幸い、ミィの使っている共通語は理解できたが、あたしは自分の名前をまったく覚えていなかった。「ここにいる」があたしの名前じゃないと否定もできない。
『……ごめん。あたし、自分の名前も覚えてなくて……』
困ったあげく、そう答えると、ミィはしばらく言葉を失っていた。
自分の名前も過去もさっぱり思い出せないのに、ミィがまだ若い女性だということは認識できた。我ながら都合のいい記憶喪失だ。
それと、しゃべってみて初めてわかったが、あたしも「女」だったようだ。でも、ミィがつないでくれた人工音声発生装置は、デフォルトが「男」だったから、まるでオカマがしゃべってるみたいな感じになってしまった。もしかしたらミィはそっちに驚いていたのかもしれない。
「こちらこそ、ごめんなさい。じゃあ、あなたが今、覚えていることを教えて。私はあなたが知りたいことを、知っている範囲内で答えるわ」
気を取り直したようにミィが言い、それからあたしたちは話をした。
ミィは自称・考古学者で、国内にある遺跡を発掘して回っている。でもまあ、それは建前で、ようするにゴミ漁りしているのよ、とミィ自身が自嘲まじりに暴露した。
あたしは遺跡の中のゴミ捨て場みたいなところにいて、ミィはかなり苦労して引きずり出してくれたようだ。そのあたりでだいたい想像はついたが、一応、あたしは訊いてみた。
『ねえ、ミィ。正直に答えて。……あたしは、人間じゃないの?』
ミィは少し考える間をおいて、「人間の一部よ」と注意深く訂正した。
自称・考古学者は、なるべく正確に物事を表現したがる。
「私の見立てが正しければだけど、今のあなたは脳だけの状態よ。〝脳缶〟……ってあなたは知っているかしら? ロスト・テクノロジーの一つで、人間の脳を生きたまま特別製の円筒の中に封じこめる技術。そのままの状態ではもちろん何もできないけれど、おそらくたいていの機器とは接続できて、あなたの思いどおりに動かせる。……今みたいに」
〝脳缶〟という言葉もあたしは覚えていなかったけど、きっとミィの言うとおりだろうと直感的に思った。
あたしに人間の体はない。でも、それなら何で、ミィにはあたしの〝声〟が聞こえたんだろう?
「たぶん、テレパシーじゃないかしら?」
疑問をそのまま伝えると、ミィは少しだけ自信なさげに答えた。
「今はまったく聞こえないから、あなたが無接続のときにしか発動しないみたい。何だったら、実験してみる?」
『……今はいい。それより、カメラを接続してくれない? ミィの顔を見てみたいの』
「顔だけでいいの?」
『じゃあ、全身。できれば服なしで』
「……『できれば』だから、服ありにするわね。その前に、あなたの声質を変えさせてもらってもいいかしら? できれば女性に」
『できればすぐに。っていうか、どうしてすぐにそうしなかったの?』
「先に話をしたいと思ったから。でも、今はすぐにそうすればよかったと反省しているわ。……ごめんなさい」
***
たいていの機器とは接続できるというミィの見立ては正しかった。
あたしは今の〈アテナ〉も、すぐに自分の体のように動かせた。
Rスポーツは参加者を選ばない(ルール違反者は除く)。
人間でも、アンドロイドでも、遺跡から発掘された〝脳缶〟でも、人型ロボットを人間のように動かせるんならそれでよし。
でも、無許可の遺跡発掘は違法なので、あたしは財団向けには特別製のAIということになっている。
鏡で何度か自分の姿を見たけど、銀色をしたペール缶みたいだった。大きさのわりに重量もあるらしく、家でも外でもあたしの定位置は頑丈な作業台の上だ。そんなあたしを抱えて歩けるミィはやっぱり普通ではないと思う。
『リリ!』
ミィの声がまた聞こえた。
複数あるカメラを切り替えると、スタッフセンターのある方角から、迷彩柄のキャンピングカーが猛スピードでこちらに向かって走ってきていた。
見間違えるわけがない。あれはミィのキャンピングカーだ。運転席をズームアップすれば、ミィが笑顔で右手を振り回していた。……危ない。
艶やかな長い黒髪。切れ長の黒い瞳に、薄めの赤い唇。不思議と日焼けしない白い肌。
初めてカメラを接続されてミィを見たとき、やっぱり女神様だったと思った。
そして、あたしも人間の体を持って、ミィの均整のとれた細い体を、力一杯抱きしめたいと思った。
人型ロボットほどではないけど、生体は馬鹿高い。とてもミィにおねだりできる額じゃない。
だから、あたしはあたしにできる仕事で、その金を稼ぐことにした。
Rスポーツは発足してからまだ日が浅い。そのせいか、ファイトマネーも高めに設定されている。まあ、その三分の一は、人型ロボットのレンタル代その他諸々に消えているわけだけど。
ミィの試算では、週一ペースで二年くらい試合をすれば、あたしの希望する生体が手に入るそうだ。
でも、Rスポーツがそこまで続く保証はどこにもない。――あたし自身も。
ミィは言わなかったけど、あたしがゴミ捨て場に捨てられていたのは、欠陥品か廃棄品だったからなんだろう。
記憶喪失になったから捨てられたのか。捨てられたから記憶喪失になったのか。それは記憶喪失だからわからないけど、もし進行性のものだったら、いつかあたしはミィのことも忘れてしまうかもしれない。
あたしが入れられているペール缶もそうだ。ミィは接続はできるけど修理はできない。もし万が一壊れたら――いや、もう壊れてるのかもしれないけど――今度こそあたしは死んでしまう。
だから、あたしは〝瞬殺〟する。ノーダメージで、一つでも多く試合をするために。
本当は毎日でもやりたいところだけど、この〈アテナ〉はあたし一人のものじゃない。
でも、あたし以上に速く〈アテナ〉を動かせる〝脳〟はいないはずだ。
『ミィ! 止まって!』
あたしがそう叫んだときには、〈アテナ〉は体を沈めて、黒い人型ロボットが照射したレーザーを真正面から受け止めていた。
たぶん脳震盪を起こして地面にうつ伏せていた奴は、その格好のまま、腕に仕込んでいたレーザーで〈アテナ〉を攻撃したのだ。
もちろん、二重のルール違反だ。あたしが手を下すまでもなく、攻撃用ドローンたちが集中豪雨のようなレーザー照射をして、卑怯者を大爆発させた。
本当に、馬鹿は困る。誓約書にも書いてあっただろう。ルールを破ったら殺されても文句は言えないって。
「リリ! リリ!」
キャンピングカーを急停車させたミィが、運転席を飛び出して、こちらに向かって駆けてくる。
ミィは普段、迷彩柄の作業服を着てるけど、試合のときにはあたしのリクエストで白いワンピースを着てもらってる。本当はウェディングドレスを着てもらいたいけど、さすがにそれはちょっと。車を運転する都合上、靴は黒いブーツでも、逆にミィにはよく似合う。
『ミィ、あたしは大丈夫。……今回は向こうが完全に悪いから、財団から修理代も請求されない』
あたしは〈アテナ〉の両手を見下ろす。こういう事態を想定しているのか、財団所有の人型ロボットは、生半可なレーザーでは穴は開かない。が、やっぱり多少の傷はつく。ミィにはその傷を見せないよう、あたしはさりげなく両手を握りこんだ。
「当然よ! むしろ慰謝料もらいたいくらいだわ!」
よほどあせったのか、ミィの黒い瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。
ようやく到着した財団スタッフのあわてふためく声を聞き流しながら、あたしはミィがここに来てくれるのを、いつものように跪いて待っていた。
ミィ。あたしの女神。この世で唯一、あたしを見つけてくれた人。
あたしの脳はもう、とうに腐っているのかもしれないけれど。
あなたがあたしを「リリ」と呼んでくれるなら。
あたしはまだ、ここにある。
―了―
【完結】ここにある 邦幸恵紀 @tks_naiyo
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