悪対悪
まず、両軍が大きく距離を開いた状態のまま、真っ先に大きく動いたのは風竜の部隊であった。風竜は身体は大きくないが、非常に高度な飛行能力を有した種族である。あえて言えば、それは竜と言うよりも大きな鳥であると言った方がイメージにはそぐうかもしれない。その彼らが、上空へと、高く高く舞い上がった。視界から消えはしないまでも、点のように小さくなる。
魔軍の側も動いた。川を背後にした背水の布陣であるため、先に押し込まれるのは不利であった。
地上の竜たちはほとんど動かなかった。従って、人間の歩兵隊は真正面から地竜の部隊に激突した。人間はほとんどろくな魔法を使うことができない。マジックアロー、マジックナイフなどの威力が低い近距離の飛び道具が使えるだけである。そのようなものがまともに地上で最も強靭な生命種の一つである地竜にぶつかっていったのだから、ひとたまりもなかった。たちまちのうちに、その多くが踏み潰され、またその身を食いちぎられていった。
一方、魔軍の側にもほとんど動いていない部隊が、三つあった。トロル重装歩兵、エルフ弓兵、そして女魔王リコリス・ラジアータその人である。彼らは後方に布陣したまま、その位置を動かなかった。トロルたちがラジアータを守り、そしてその周囲をエルフたちが固めている。竜人騎兵は大きく竜軍の陣地を迂回して北東に進んでおり、そして魔族の魔法部隊は人間歩兵の両翼に向けて動いていたから、魔軍は大きく見れば二つに陣が分かれる形となっていた。
ここで、魔族魔法部隊による側面からの火力支援が始まった。地竜に対して有効なのは、大気・風属性の魔法である。エア・シューター、コールド・クラウドなどの強力な中距離の攻撃魔法が炸裂した。十頭ほどの地竜が倒され、轟音を立てて地に伏した。
次に重要な動きを見せたのは、地竜たちの両翼にほぼ百頭ずつ配置されていた火竜の部隊であった。彼らは真正面に相対する形となる魔族には目もくれず、人間の歩兵部隊に向かって強力無比な火炎のブレスを吐いた。歩兵部隊は壊乱状態に陥った。戦闘継続が可能な構成員は、これで事実上ゼロである。仮に勇敢な人間が数人混じっていたところで、竜を相手に何ができるというものでもない。
そのとき、空から急速に降下してきたものがあった。最初に空に舞っていた、風竜たちであった。彼らは爪や牙で戦う能力は低いが、その代わりに高い魔力を持っていた。かなり距離を離して、彼らはエア・シューターを放った。上空から下に向けて用いるのだから、射程距離はその分伸びる。
それを迎撃したのはエルフの弓兵たちであった。その弓と矢はすべてに
一方、竜軍の後方では、やはり敵背を突いた騎兵隊が竜王紅蜘蛛丸との交戦を開始していた。紅蜘蛛丸の力は強大だが、彼は近くにほかの竜を配置しておらず、そして敵は何しろ二百騎もいたから、そうすぐに決着は付かない。そしてまた、竜人の騎兵たちの狙いは、そもそも時間稼ぎにあるのであった。
両軍の陣形は、全体として一点に収縮する形に収まりつつあった。南北二つに陣を分けた魔軍を、竜軍が大きく囲み、包囲しかけている格好である。
ここで、地に墜ちたはずの風竜の一頭が高く舞い上がった。息を吹き返したわけではなかった。これは、魔王リコリスの大魔法、
「
その場に、円形の巨大な雲が現れ、雨を降らせ始めた。レイン・ボウは雨を降らせるための魔法であるが、それをこれだけの規模で顕現させられるのは、魔王の魔力があればこそのことであった。そして、それはただの雨ではあったのだが、巨大な雲の中心に、リコリスは一瓶の毒を投げ込んだ。それは、竜殺しの水と呼ばれる、竜を弱らせ、その動きを鈍らせるための毒であった。竜以外の種族に対しては、特にどうというほどの効果もない。後方でようやく騎兵隊を蹴散らし終わった紅蜘蛛丸を除いたほぼすべての竜が、竜殺しの水の混じった雨を浴びた。だが、この時点で魔王リコリスの魔力はほぼ尽きていた。これ以上、彼女からこの場の切札となりうる大魔法などが飛び出してくる可能性はなくなったということだ。
既に随伴の歩兵隊を失っていたため、魔族の魔法部隊は火竜と地竜に蹂躙され始めていた。そして、魔軍の背後ではエルフの弓兵たちが後退を余儀なくされていた。後退といっても、戦場の中心、つまり北側の友軍がいる場所に向かう形となる。
こうして、魔軍を竜軍が包囲する形がほぼ完成した。これは戦争というものの、そして会戦という戦争形式の大前提条件なのだが、包囲というものがいったん成立してしまえば、包囲された側は後はただ殲滅されるだけである。すなわち。
天蓋平原の会戦は、紅蜘蛛丸率いる竜軍の大勝利という形で、幕を閉じたであった。
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