赤いきつねと緑のたぬき

雅島貢@107kg

問題編

 放課後の教室。西日に照らされながら、物憂げな表情の女の子が座席で何かをしている。それに気づいた男の子が、席に近づいていく。女の子の囁きが聞こえる。

「モテる……モテない……モテる……モテない……」

「食用菊で花占い?」

 驚きと呆れの真ん中くらいの声で男の子が言う。済ました顔で女の子は答える。

「むしろ食用菊でこそやるべきだよ、良人よしひとくん。だって、そこらへんの花を摘んで花びらを毟るのって、命を弄んでいると思わない? その点、食用菊は、食べるために毟らなくちゃあならないからね。命を奪っていることに代わりはないけれど、そこには必然性と感謝がある。しかも、食べるための下処理になって合理的でもある。どう、完ぺきな理屈でしょう?」


 それを聞いた良人は、感心したような顔で頷く。

「まあ、花占いがそもそも合理的でないことを除けば、そうかもね。さすがは玉黄たまきちゃん。で、なんで食用菊の下処理をしているわけ?」

「知っての通り、わたしはハチャメチャにお金持ちなんだけど、今日はいろいろあって爺やとかハウスキーパーが軒並みお休みなの。それで、晩御飯は勝手に食べるようにって言われてて。だったら自炊をしようかなって思ってね。今晩のテーマはエディブルフラワーにしようと思ってるの。もう、アーティチョークとか、花オクラとかは家に用意しているんだよ。それにね」

 玉黄はそう言うと、声をひそめて、身を乗り出して良人の耳元で囁いた。

「花を食べてる女の子って、モテそうじゃあない?」


 そうでもないと思うな。良人はそう思ったが、鋼鉄の意思で言葉はもちろん、表情にも一切出さずに、微笑みを絶やさずこう言った。

「確かにその通りだね、さすが玉黄ちゃん」

「ふふん。でしょ? わたしだって、いつまでも良人くんに頼りっきりってわけじゃあないのよ」

「そうかあ。独り立ちをされてしまうと寂しいところもあるね。ところで玉黄ちゃん、差し支えなければ僕も夕食に招いてくれないかな」

 良人が穏やかにそう言うと、玉黄は目を見開いた。

「え……え?」

 たじろく玉黄に迫るように、良人が続ける。

「ダメかな?」

 喉をこくりと鳴らして、玉黄は答える。

「い……いけど。その」

「良かった、ありがとう。それじゃあその食用菊占いが終わったら教えてね。僕はちょっとコンビニで買い物してから行くよ」


 玉黄の家は山の中腹にある。良人の中学校はこの山をもう少し登ったところにあるのだが、そういえば登校中に「邸宅用宅地販売中」という看板を見た覚えがあるなと思い出していた。「邸宅」ってわざわざ言うの凄いなという感想だったが、本当に「邸宅(定義はわからない)」クラスの家を建てようと思ったら、まあ、山を切り開くくらいしかないのかもしれない。

 普段は車で送迎されている玉黄だが、この日ばかりは歩いて帰った(タクシーを使っていいと言われていたが、良人が委縮しそうだったので、歩くことを選んだのだ)。山登りみたいなものなので、家に着くころにはとっぷりと日が暮れていた。二人は並んで手を洗って、「調理場」といっても差支えのない巨大なキッチンで食用菊のお浸しを作り、アーティチョークの可食部を取り出して、花オクラをゆがいて、良人が発見したあのなんか銀のでかい蓋をいったん被せて、これも「パーティ会場」と言っても大げさではないようなダイニングに移動して、夕食にした。食後はもちろんハイビスカス・ティを淹れてそれを飲んだ。


 客観的に言えば、あたたかな時間だったと思う。しかし、玉黄の顔色はあまりよくなかった。浮かない表情だ。ハイビスカス・ティを飲み干して、玉黄は悲しそうに呟いた。


「なんか、おなかがいっぱいにならないな……」

 それを聞いた良人は不敵な笑みを浮かべた。そして、コンビニで買ってきた何かを、通学カバンから取り出した。

「それはね、玉黄ちゃん。花ばっかり食べてるとおなかにたまらないからだよ。玉黄ちゃんがそう言うと思って、ほら、これ買ってきたんだよ。玉黄ちゃん、そばアレルギーとかはないよね? じゃあはい、こっちをどうぞ。『緑のたぬき』だよ。僕は『赤いきつね』をもらうからね」

 あれよあれよという間に物事が進み、戸惑う玉黄だったが、いわれるがままに『緑のたぬき』にお湯を注いで、三分待った。出来上がって、蓋を開けたとき、良人は言った。


「ねえ、玉黄ちゃん。これ見て。何か、気づかない?」

「え? ええっと……」

 そう言われて玉黄は良人のカップをまじまじと眺める。お揚げが2枚、汁の上に浮かんでいる。おいしそうな匂いがする。でも、特に「気づく」ようなことはなかった。だから素直にそう言った。

「そうかあ。玉黄ちゃん、カップ麺とか食べることないもんね。じゃあ、これを見てごらん」

 良人はそう言うと、テーブルの上に裏返しておいていた、カップ麺の蓋を取り上げて、表面を玉黄に向けた。そこにはこう書いてあった。


「コンビニ限定 なんと! お揚げが2枚入り」 

「ああ。お揚げが2枚入っているのね」

 玉黄が言うと、良人は心底嬉しそうに、そうそう、そうなんだよ、だからお揚げは1枚玉黄ちゃんに上げるからね、とお揚げを玉黄の『緑のたぬき』に乗せてきた。玉黄は、正直そんなにお揚げに萌えはないし、かき揚げとお揚げってなんか微妙に合わなくない? と思ったが、そう言って良人の機嫌を損ねるのもな(良人は、普段は温厚で優しい人間なのだが、食事に関して意見が合わないと、時々ものすごく機嫌を損ねるのである)、と思い直して、ありがとう、とほほ笑んでお揚げとかき揚げと、そしてもちろん蕎麦を啜って、そうしてようやくお腹が満たされるのを感じた。


「はぁー。普段自分でご飯を作らないからわからなかったけど、お花だけだとおなか空いちゃうんだね」

「まあ、普段自分でご飯を作るかどうかとは別のところに問題があるような気もするけど、そうなるかなと思って買ってきて良かったよ。実は僕も「お揚げが2枚入り」って表記は気になってて、ずっと機会があったら食べようと思っていたんだよね」

 リビング・ルームに移動して、大きな壁かけテレビを眺めながら、二人は笑いあう。ふと、玉黄はさっきの食事を思い出す。そして、不可解なことに気づく。

「ところで、なんで『赤い』きつねと『緑』のたぬきって言うのかしら。別に唐辛子とかネギとかがてんこもりってわけじゃあないわよね?」

 それを聞いた良人は、首を傾げてすぐに言う。

「知らないけど」

「ええ? なんかその、そういう話なんじゃあないの? つまり、『玉黄ちゃん、これってどうして『赤い』きつねって言うかわかる? 実はこれ、東洋水産が傾きかけて、東洋水産とうようすいさん略して倒産とうさんだって揶揄されてた頃に、当時の社長であるあずまひろしさんがお稲荷さんにお百度参りをしてたら、真っ赤なきつねが目の前に現れて、


『我をモチーフにしたカップ麺を作れ』


ってお告げをしてくれたってエピソードが由来なんだよ。それで、起死回生をかけて作成したこの赤いきつねが大ヒットしたことで東洋水産は倒産を免れたんだよね。だから玉黄ちゃんもモテたかったら、この赤いきつねエピソードのように、お稲荷さんにお百度参りしたらいいよ』みたいな」


「これは単なる僕のカンだけど、東洋水産って別に社長が東洋あずまひろしさんだったから東洋水産って名前じゃあないと思うよ」

「わかんないじゃん。ニトリの創業者は似鳥さんだし、ツルハの創業者は鶴羽さんだよ」

「それはまあまあ苗字じゃん。東洋は東の海って意味だと思うけどなあ」

「いや、待ってよ良人くん。『東洋の魔女』とかって、『地球』単位で『東洋』じゃん」

「…………たしかに」

「これが東洋水産が世界的貿易会社だったら別だけど、たぶん違うでしょ? 赤いきつねを作るまでは傾いてて、落ちぶれた会社だったんだから」

「……………たし……いや待って待って。落ちぶれた会社なのは玉黄ちゃんの妄想だったと思う」

「そうだったかしら?」

「そうだよ。失礼だよ。きつねは関係ないって。いや関係なかないけど、その、赤いきつねが現れてどうこうってことはないと思うよ。そもそも確かきつね『そば』バージョンで『紺のきつね』だったかがあったと思うし」

 それを聞いた玉黄の頭で何かが爆ぜた。


「それだーーーッ!!」

 目を煌々と輝かせて玉黄は立ち上がった。面食らいながら良人は言う。

「どれ?」

 質問に答えず、玉黄は続ける。

「いい、良人くん。今すぐ関係者を集めてちょうだい」

「なんの関係者? まさか東洋水産の? それは僕には無理だけど」

「いいから! 謎はすべて解けたわ!!」

「謎って何?」

 良人がそう言うと、玉黄は狂暴な顔で笑い、「とにかくダイニングルームに行きましょう」と言ったのだった。

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