第46話 アメリア王妃のお茶会

「ああ、それにしても残念だわ。貴方たちは上手くいっているとばかり思っていたのに、こんなことになるなんて」


 花の香りが立ち込める温室の中、アメリア王妃はいかにも悲しげに首を横に振って見せた。


「あの子もね、王宮ではそりゃあ色々とあるのよ。だからきっと身近な貴方に甘えてしまったのね。本当にごめんなさいね、ビアトリスさん」

「いえこちらこそ、私の力が及ばず、殿下をお支えすることができなくて申し訳ありませんでした」


 ビアトリスは当たり障りのない返答をして、出された紅茶に口を付けた。アメリア王妃の好む南方産の紅茶は、少し癖が強すぎて、ビアトリスはあまり好みではない。


「そうね。貴方たちは二人とも若いから、きっとお互いにいたらないところがあって、行き違ってしまったんでしょうねえ」


 王妃はしみじみと言ってから、「だけど貴方たちはあんなに仲が良かったんだもの、もともとの相性は悪くなかったと思うのよ」と言葉を続け、幼い二人がどれだけ睦まじかったか、自分や国王がどれだけそれを微笑ましく思っていたかについて、ひとしきり熱弁をふるった。

 そしてテーブルの上に置かれたビアトリスの右手を両手でそっと包み込んで、訴えるように切り出した。


「ねえビアトリスさん、少しこじれたからって全てを終わりにしてしまうのは、あまりにも勿体ないと思うのよ。未熟な二人で、今からでもやり直してみるというのも一つの選択肢じゃかしら」

「アーネスト殿下と復縁を、とおっしゃるのですか」

「ええ。あんな風に大騒ぎして婚約解消をしておいて、今さら元に戻るなんていかにも体裁が悪いと思うかもしれないけれど、若い人たちのすることだもの。みんな笑って許してくれるわ。――それともアーネストのしたことは、貴方にとってどうしても許せないことなのかしら」

「とんでもありません。私の方こそ、こんなことになって申し訳ないと思っています。ですが私とアーネスト殿下の関係は、すでに終わってしまったのです」


 ビアトリスは静かな口調で言った。

 アーネスト本人の思いはともかくとして、アメリア王妃が復縁を希望するであろうことは、半ば予期したことだった。

 アーネストに新たに条件の良い相手を見つけるのは骨が折れるし、またアーネストの評判を復活させるのに一番手っ取り早いのは、「被害者」であるビアトリスが彼との復縁に応じ、人前で仲睦まじい婚約者としてふるまってみせることに違いない。

 とはいえビアトリスがそれに応じることは不可能だ。


「今後も臣下としてお仕えするつもりではありますが、婚約者として共にあることは、二度とないことと存じます」

「そう……」


 二人の間に沈黙が下りる。

 温室の中はむっとするほど温かく、花の香りがきつくてむせるようだ。

 ややあって、アメリア王妃が再び口を開いた。


「……なら仕方ないわね」


 アメリア王妃は意外なほどあっさりと引き下がると、にこやかに微笑みかけた。


「ねえ、それならせめて、私に償いをさせてもらえないかしら」

「いえそんな、王妃さまに償っていただくことなどありません」

「じゃあ埋め合わせ、と言い換えてもいいけれど。ねえビアトリスさん、理由はどうあれ、貴方は王家との婚約を解消したのだもの。言ってみれば傷物になってしまったわけでしょう? まともな殿方なら結婚相手にと望むことなんてありえないわね? だから私が責任をもって、貴方に次のお相手を紹介してあげようと思うのよ」


 この人は何を言っているのか。一瞬頭が真っ白になりかけたビアトリスは、慌てて「いえ、そんなことで王妃さまのお手をわずらわせるわけにはまいりません」と拒絶した。


「あら、どうか遠慮しないでちょうだいな。これは私にとってはほんの罪滅ぼしなのだし、貴方のことは本当の娘のように思っているのだから。ね? 全部私に任せてちょうだい。けして悪いようにはしないから」

「申し訳ありません。王妃さまのお心遣いには感謝しますが、今はまだそんな気持ちにはなれないのです」

「そんなことを言っていては、いき遅れてしまうわよ? それとも」


 王妃は身を乗り出すと、ビアトリスの目を覗き込んだ。


「もしかして、もう決まったお相手がいるのかしら」

「いいえ」

「本当かしら。そういえば、ちょっと小耳に挟んだのだけれど、学院ではカイン・メリウェザーととても仲良くしているようね」


 王妃の声音はあくまで優しく天鵞絨のように柔らかいが、ビアトリスを見つめる緑の瞳は奇妙にぎらぎらと輝いている。


「はい。彼とは良い友人です」

「彼の素性については、もちろん聞いているんでしょう?」

「はい」

「第一王子、だと言ったんでしょう」

「……はい」

「それは、嘘よ」


 ビアトリスが思わず目を見開くと、アメリアは挑発するように言葉を続けた。


「彼は王子なんかじゃないわ。護衛騎士の子よ。ねえ、私が髪の色だけでこんな風に言っているなんて思わないでちょうだいね。ちゃんと侍女の証言もあるし、他にもいろいろとね。だから陛下もアーネストを王太子にお選びになったのよ。それなのに彼はそれを逆恨みして、アーネストに悪意を持っているの。そもそも彼が貴方に近づいたのだって、アーネストに対する陰湿な嫌がらせのためなのよ」

「王妃さま。私の大切な友人を侮辱なさるのはおやめください」


 ビアトリスは固い口調で言うと、己の右手をアメリアの手からするりと引き抜いた。


「あらあら怒らせてしまったかしら。確かにいきなりこんなことを言われたら、ムッとするのも仕方ないかもしれないわねえ。でもこれは貴方のためを思って言っているのだから、どうか落ち着いて、意固地にならないでちょうだいな。私はあんな下賤な男よりも、ずっとふさわしい方を貴方にご紹介できるのよ? ね、お願いビアトリスさん、私のたってのお願いよ」


 王妃の態度は、まるで今なら許してあげるから、こちらに帰っていらっしゃいと諭す母親のようだった。帰ってこなければ、とても恐ろしいことが起きるわよ? と。

 これはおそらくビアトリスに対する最後通牒なのだろう。

 ビアトリスは顔を上げ、アメリア王妃の目を正面から見つめた。


「申し訳ありませんが、ご遠慮いたします」

「そう、分かったわ。……残念だわ。ビアトリスさん」


 アメリア王妃は囁くように繰り返した。


「本当に、とても残念だわ。私は貴方のことが好きだったのに」

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