第45話 カインの思惑(カイン視点)
カイン・メリウェザーは十七歳にして人生における重大な岐路に立たされていた。すなわち意中の女性にいつどのようにして、婚約を申し込むべきか。
そもそもの出会いは、八年前にさかのぼる。王宮庭園の森で見かけた美しい少女に、カインは一目で心を奪われた。
もっとも当時の思いは恋愛感情というよりは、偶像に対する憧れに近かったようにも思われる。けして手の届かない場所で輝く、美しく純粋な存在、ビアトリス・ウォルトン。
ところが学院で彼女と再会し、友人として付き合っていくうちに、カインは半ば神格化していたビアトリスが、生身の女性であることを知った。生真面目で、お人好しで、どこかずれているところもあったが、全てにおいて一生懸命な愛らしい女性。
知れば知るほど惹かれていき、気が付けば今度こそ本物の恋に落ちていたのである。
当初はアーネストの存在が枷になっていたものの、婚約は先日めでたく解消されたし、もはや何の障害もない。はずだった。
「え、お前まだ申し込んでないの?」
友人のチャールズ・フェラーズが呆れたように問いかけた。彼とはビアトリスの伝言がきっかけで話すようになり、以来なんとなく付き合いが続いている。
「ああ」
「なんでだよ。婚約が解消されたらすぐ申し込むって言ってなかったっけ」
「そのつもりだったんだけどな」
「もしかして王家に目を付けられそうだから、家の人間が反対してるとか?」
「まさか。うちの連中は王家の鼻を明かしてやれるなら、むしろ大喜びで協力するよ」
「それもどうか思うけどな……。それじゃもしかして、故郷に残してきた女がいるとか」
「そんなものいるわけがないだろう」
自慢ではないが、九つのころからカインはビアトリス一筋だ。
「じゃあ一体なんなんだよ」
「だから、色々あるんだよ」
「ふうん、まあどうでもいいけど、まごまごしていると他の奴にかっさらわれるかもしれないぞ」
「言わないでくれ……」
チャールズが言っている通り、カインはビアトリスの婚約が解消されたら、すぐにも申し込むつもりだった。それなのに予定変更を余儀なくされたのは、あの創立祭の夜、泣きじゃくる彼女を見たからである。
――カインさま……私、アーネストさまの笑顔が好きだったんです。あのころの優しいアーネストさまのことが、本当に、大好きだったんです……。
あのときビアトリスはようやくアーネストを過去の存在として決別することができたのだと思う。とはいえあれほど長い間引きずってきた初恋だ。すぐに割り切って新たな恋を始める気になれるかどうか。
下手にことを急いで、もし断られたらと考えると、なかなか一歩が踏み出せない。とはいえチャールズの言う通り、その間に他の誰かにさらわれでもしたら、後悔してもしきれない。
(確かに、いい加減覚悟を決めるべきだよな)
いつまでも現状に甘んじて、人畜無害な「お友達」を続けていても仕方がない。とにかく先に進むべきだ。
とはいえあずまやでいきなり告白するのは、あまりに雰囲気がなさすぎるし、ビアトリスを吃驚させるだけだろう。まずは普段と違うことをして、多少なりとも意識してもらってから、というのが無難な選択ではないか。
(普段と違うこと……二人きりで外出するとか?)
ビアトリスと一緒に出掛けたことは何度かあるが、いつもマーガレットたちが同行しており、二人きりで外出したことは未だない。二人で行こうと誘ったら、彼女はどんな反応を見せるだろう。
(そういえば、うちの親族が後援している芝居が結構評判良かったな)
ちょうど今週末に千秋楽を迎えるから、一緒に行こうと誘ってみよう――カインはそう決意を固めた。
彼女の週末はたいていマーガレットたちと出かける予定で埋まっているが、今回はそれが中止になったと、ビアトリス本人から聞いている。まさに絶好の機会と言うべきだ。二人で一緒に芝居を楽しみ、雰囲気の良いカフェでお茶を飲んで、それから――
ところが彼の計画は、いきなり出鼻をくじかれた。
「すみません。すごく行きたいんですけど、その日は王妃さまとのお茶会があるんです」
ビアトリスはいかにも申し訳なさそうに言った。
「あの女とお茶会? 二人きりでか?」
「はい。昨日招待状が届きまして。なんでもアーネストさまの件について、正式に謝罪したいのだそうです」
「……あの女がそんな殊勝なことを考えるわけがない」
「そうですよね」
ビアトリスは苦笑して見せた。
「私も気が進まないんですが、お断りするわけにもいきませんから」
「あれは毒蛇みたいな女だ。もし何かあったら、一人で抱え込まずに相談してくれ」
「すみません。カインさまには心配していただいてばかりですね」
「遠慮しないでくれ。俺たちは……友達だろう?」
「はい。ありがとうございます」
綺麗な笑顔を浮かべるビアトリスに、カインは内心そっとため息をついた。
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