第36話 その後の学院生活

 創立祭から三日後。ウォルトン公爵家から王家に対して正式に婚約解消の申し入れが行われ、無事に了承された。


 解消理由として挙げられたのは、あのパーティ会場における、ただ一度きりの殴打である。ビアトリスは父の問いかけ、学院長からの質問、王家から聞き取り調査のいずれに対しても、「アーネストに暴力を振るわれたのはあの一件のみである」旨を繰り返した。つまり彼女は全くの真実を話したわけだが、周囲がそれをどう受け取るかは別問題だ。


 当日の経緯がほとんど詮索されることもなく、全面的にアーネスト側に非がある形ですんなり解消に至ったのは、彼らの間で「暴力行為は以前から行われており、解消理由をあの一件に絞ったのは、ことを荒立てたくないビアトリスの配慮によるもの」という認識が共有されていたためだろう。そう仕向けたのは他ならぬビアトリス自身である。


 自由を手に入れるためにアーネストをはめたこと、周囲を欺いたこと、そのためにカインを巻き込んだこと、それら全てはビアトリスが生涯背負っていくべき罪である。そのことを思うと、肌が粟立つような感覚を覚える。

 とは言え、仮に今あのパーティの夜に戻れるとしても、また同じ道を選ぶに違いないが。


 アーネストは学院から謹慎処分を言い渡された。彼の取りまきだった大勢の生徒は手のひらを返して、本人不在の王立学院で好き勝手なことを言っている。ビアトリスは長らく孤独だったが、人々に囲まれていたアーネストもまた孤独だったのかもしれない。


 謹慎中のアーネストがどんな思いでいるのかは、ビアトリスはあえて考えないようにしている。考えたところで、もはやビアトリスにできることなど何もないし、何かするような立場でもないし、そもそもそんな資格もない。

 とはいえウィリアム・ウェッジが頻繁に面会に行っていると聞いたときは、心ひそかに安堵せずにはいられなかった。


 シリル・パーマーは学院内ですっかり立場をなくしてしまい、級友たちから白い目で見られているらしい。おまけに宰相である父親からは「殿下が以前から暴力をふるっていたのなら何故お止めしなかったのだ!」と叱責され、アーネストファンである母親からは「なんであの場できっぱり否定しなかったの!」と責められて、「学院でも家でも針の筵だ」と嘆いているそうだが、本人の自業自得だろう。

 もっとも彼は針の筵の上でもしぶとく生き延びて、いずれまたちゃっかり良いポジションに収まっているような気がしないでもない。


 マリア・アドラーはアーネストの謹慎と入れ替わるように生徒会に復帰した。アーネストが会長職を解かれたので、当分は会長不在のままマリアが代行を務めるとのこと。

 マリアはあの後ビアトリスのクラスを訪れて、大層不本意そうな顔をしながら、「一応謝っとくべきだと思ったんです」という前置きと共に、人前で不正疑惑を言いたてたことを謝罪した。彼女は女子寮でのやりとりのあと、色々と思うところがあり、アーネストへの想いを吹っ切ったらしい。

 それならビアトリスへの反感もなくなりそうなものだが、相変わらず態度に棘があるのは何故なのか。それとこれとは別なのか。あるいは単に謝るのが根っから苦手な人種なのか。ともあれ一応謝罪しに来ただけ、マリアにしては上出来の部類と言えるだろう。


 レオナルド・シンクレアはマリアがアーネストへの想いを断ち切った姿に勇気を得て、長年の恋心をマリアに対して告白し、「ごめんなさい。レオナルドのことは良いお友達以上に思えない」ときっぱりすっぱり振られたらしい。それでも健気にマリアを支え続ける彼の姿には、陰ながら声援を送らずにはいられない。


 マーガレットとシャーロットはビアトリスの殴られた痕を我がことのように心配し、痣が消えていくのを本人以上に喜んでくれた。怪我をしたとき、心配してくれる人がいるというのはいいものだ。本当に、とても良いものだ。

 あの日身に着けていたおそろいのチャームは今後も特別なお守りとして、肌身離さず持っているつもりだ。もっとも恥ずかしいのでそれを二人に話すつもりはないが。


 そしてカイン・メリウェザーとは相変わらず、あずまやで早朝のお喋りを続けている。授業のこと、最近読んだ小説のこと、好きな芸術作品のこと。話題は様々だったが、創立祭の出来事については触れないのが、お互い暗黙の了解になっていた。

 もっとも一度だけ、ビアトリスはあの晩口にした言葉をカインに謝罪したことがある。


「ごめんなさい。自分の笑った顔に他の人を重ねられるなんて感じ悪いですよね。口にするつもりはなかったんですけど」

「分かってるよ。まあ少々複雑だったのは事実だが、あのときの君に他人を気遣う余裕がなかったのは当然だ。……それに弟と似ていることを指摘されるのは、そう嫌なばかりでもないんだよ」


 そう苦笑するカインの髪は日に透けて、炎のように輝いていた。

 王家の色ではない、先代王妃とも違う、燃えるような赤。

 カインはアーネストが子供のころ受けた傷について同情的に語っていたが、大人たちの悪意に晒されたのは、「不貞の子」と噂されたカインにしたって同じことだ。


 ――この髪はそれなりに気に入ってるんだ。


 あんな風に飄々と言えるようになるまでに、彼はどれほどの眠れぬ夜を過ごしたのだろう。やりきれない様々な思いをどんな風に乗り越えたのか、いつか話してくれるだろうか。


(話してくれるわね、きっと)


 いつものようにあずまやでカインを待ちながら、ビアトリスはひとりほほ笑んだ。

 カインと繰り返し会って、話して、笑い合っていくうちに、思い出は上書きされていく。いずれカインの笑顔を見ても、アーネストを連想することはなくなるだろう。

 その日が来るのはおそらくそう遠いことではない――ビアトリスには、そんな予感がしていた。

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