第5話 ひとときの平穏

 それからしばらくは平穏な日々が続いた。朝は早めに登校して、授業が始まるまで裏庭のあずまやで過ごすことが習慣になった。


 一人の時は図書館で借りた本を読み、カインがいるときは二人で他愛もないおしゃべりをする。カインは驚くほど博識で教養があり、王妃となるためにがむしゃらに頑張ってきたビアトリスですら圧倒されてしまうほどだった。彼を育てた母親はとてもしっかりした人だったに違いない。


 マーガレットたちとはすっかり友人同士となり、「ビアトリス」「マーガレット」「シャーロット」と互いに敬称を付けずに呼び合う関係になった。あのとき勇気を出して昼食に誘って良かったと心から思う。


 ビアトリスは彼女らのアドバイスで、今まで降ろしていた淡い金髪を結いあげるようになった。

 昔アーネストに「降ろした方が可愛いと思うな」と言われて以来ずっと降ろしていたのだが、マーガレットたちに勧められた通りに結い上げてみると、確かにその方が自分に似合っているように思われた。


 化粧臭い女は嫌だというアーネストのためにほとんどしていなかったメイクも、少しやってみたところ、我ながら以前より明るく洗練された雰囲気になったような気がする。似合うメイクや髪型などを友人たちとあれこれ相談するのも楽しく、なにやら世界が広がった心地である。


 アーネストとは廊下などで鉢合わせることもあったが、軽く会釈をするだけでやり過ごした――否、やり過ごそうとしたのだが、なぜかアーネストの方が彼女を呼び止め、話しかけてくることがしばしばあった。


「待てビアトリス」

「はい、なんでしょう」

「……先日出た薬学の課題についてだが」


 それは決まって周囲に人がいない時で、内容は学校の課題についての確認や、次の王妃教育についての確認など、ビアトリス以外に尋ねれば済むことや、そもそも尋ねる必要すらないことばかりだった。まるで話すきっかけを探しているかのような行動は、ビアトリスを大いに困惑させた。

 あれだけ「口を利くのも嫌だ」と言わんばかりの態度を示して来た人間が、どういう風の吹き回しだろうか。


(……考えるのはやめましょう。あの人の行動の意味なんて、考えてもどうせ無駄なんだもの)


 問われたことについて必要最低限の返事をすれば、それ以上踏み込んでくることもなく解放される。事務的に返答を済ませ、アーネストの前を辞するたび、なにやらもの言いたげな視線を感じたが、あえて気づかないふりをした。

 下手にこちらから踏み込んで、手ひどく撥ねつけられるのはまっぴらだ。


 今はなによりも、この平穏な日々を守りたかった。叶うものなら卒業までアーネストに振り回されることなく、友人たちと気楽な日々を送りたかった。


 しかしそんなビアトリスの願いもむなしく、彼女の平穏は半月も経たずにぶち壊されることになる。そのきっかけとなったのは、以前からの約束通り、マーガレットたちとラグナ通りの店にタルトを食べに行ったことだった。

 もっともきっかけはあくまできっかけであって、仮にその日に出かけなかったとしても、遅かれ早かれ似たようなことは起こっていたに違いないが。


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