廃寺茶屋

所 花紅

廃寺茶屋

 鉄三てつぞうと妻のお妙は、駒形町で蕎麦屋を営んでいた。

 元は、鉄三の父が二八蕎麦の屋台をして小金を貯め、開いた店である。物心ついた時から店を手伝い、数年前に父が儚くなってからは鉄三が主として、店を切り盛りしていた。

 出すものは蕎麦の他に天婦羅てんぷらや稲荷寿司、雑煮など。蕎麦の喉越しが殊の外良く、天婦羅もからっとしていて美味いと、中々繁盛していた。


「鉄さん、廃寺はいじ茶屋ってのを知ってるかい?」


 声をかけてきたのは馴染みの客だった。近くの長屋の大家である初老の男で、鉄三とは父が主であった時からの付き合いである。


「いや、とんと知りませんで。なんですかい、そりゃあ」

「寺島の方に廃寺が一つあるんだがね。夜にそこで茶屋が出るんだよ」

「へぇ。廃寺に茶屋とはまたおかしいや。岡場所ですかい」


 大家は蕎麦を手繰って、首を横に振った。


「いやいや。私もそう思っていたけどね、これが普通の茶屋なんだ。娘さんがまた別嬪でねえ、肌の白いのなんのって」

「そりゃあ、やっぱり岡場所じゃねえですかい。大家さんも隅にゃ置けねえや」

「やだねえ鉄さん、本当に普通の茶屋だよ。ここのところてんと大福餅がまたうまいんだ。ところてんはつるっと喉を通っちまうし、大福餅なんて冷めてもよく伸びるってな具合でさ」


 大家の話を聞きながら鉄三の中で、その茶屋への興味が入道雲のようにむくむくとわいてきた。

 実は鉄三、料理を作るも好きだが、食うのもまた好きという食道楽であった。

 日本橋に美味い稲荷を売る屋台があると聞けば、その日のうちに食いに行く。どこそこを歩く大福売りの大福が美味いと聞けば、その大福売りが通るまでじっと待つ。

 飲む打つ買うの三拍子こそしないものの、妻のお妙には「あんたに限っちゃあ、食う食う食うの三拍子だねえ」と呆れられる有様である。そんなであるから、大家の言う夜しか出ない廃寺茶屋に興味が向くのは当然であった。


「そ、その廃寺茶屋ってなぁ、今日もやるんで?」


 蕎麦を打つ手を止めて前のめりになって聞けば、大家は愉快そうに突き出た腹を揺らして笑った。


「やっぱり鉄さんは食いついたかい。今日、ちょいと行こうと思ってたんだが、鉄さんも一緒に行くかい?」

「大家さんがお嫌じゃなけりゃあ、喜んで」

「嫌なもんか。ああ、そうだ」


 ふと大家は懐に手を差し入れて、なにやら懐紙に包まれたものを取り出した。懐紙を開けば、白くて丸い大福がちょこんと、大家の手のひらに現れた。


「そこの茶屋の大福だよ。日が経ってるが、これがまだ柔らかいんだ。仕事の合間にでもつまんどくれ」

「や、こりゃありがとうございます」


 くるくると独楽こまのように働いて、店を閉めた後。

 鉄三は提灯ちょうちんを用意し、下駄を引っ掛け迎えに来た大家と共に家を出た。

 初夏の風はぬるいが、あちらこちらの草むらから虫の声が聞こえてきて、それを聞くだけでもなんだか涼しくなるような心持ちであった。

 虫の声を聞きながら、言葉も無くひたすら歩いた。近くに家も無く、辺りは段々と薄ら寂しい様相を呈してきた。襟から首筋に入る風が、なんだか先より冷たく感じる。


 まだ見ぬ廃寺茶屋への思いを馳せて、周囲の様子など気にしなかった鉄三だが、こうも人気の無い所を歩き続ければさすがに不安になる。

 ひょっとして目の前を行くのは、大家ではなく狐狸こりの類ではないか。己を化かして、どこぞへ連れて行こうとしているのではないか。

 そんな疑念が頭をもたげてきた時、大家が立ち止まった。


「さあ着いた、ここだ」

「へぇ……」


 寺の戸は外れ、屋根も半分落ちて崩れている。茫々と生い茂る草に囲まれた廃寺はなんとも凄まじく、肌がぶつぶつと粟立った。

 鉄三は思わず尻込みした。

 月はいつの間にか立ち込めた黒雲に隠れ、提灯二つの明かりだけが頼みの綱。それで廃寺に近づくのは、いくら大家と二人連れでも肝が冷えた。


 ――……明かりが無い?


 寺の中に明かりは無い。人の気配も無いようだ。茶屋が開かれているのではなかったのか。

 もしや、大家にたばかられたのか。


「大家さん、こりゃあ一体」

「おお、始まっているようだね。さ、行こうか」

「へ、へぇ……?」


 草をかき分けて廃寺に近づく大家に、鉄三はおっかなびっくり続いた。

 本音を言えば、今すぐここから一目散に逃げてしまいたかった。しかし、ここで逃げては臆病者と笑われる。それは鉄三の矜持が許さなかった。

 本堂へ続く階段の前には、一枚の戸板が置かれていた。欠けた茶碗が六つほど、その上に乗せられていた。


「ほら鉄さん、どうだい美味そうだろう」

「ひ、ひぇっ」

「どうしたんだい鉄さん、冷たいうちに頂こうじゃないか」

「お、大家さん、そ、そりゃあ」


 鉄三の舌は、にかわでくっついたようにうまく動かなかった。足が勝手に震え出した。

 茶碗の中には、黒々とした髪の毛がたっぷり入っていた。ぽつぽつと白いものがその中で蠢いていて、見ればそれは丸々と肥えたうじであった。

 大家はそれをひょいとつまむと、蕎麦でも食うように、ぢゅるぢゅると音を立ててすすった。髪の毛に絡みついていた蛆が、ぼろぼろと大家の手に落ちた。


「ほら、鉄さんも」

「あわっ、あわわ……」

「ところてんは嫌いかい? 大福餅もあるよ。……おお、柔らかい。本当にここの大福餅は柔らかくて美味いねえ。ああ、甘いねぇ……」


 ぐちゃぐちゃと蛆と髪を噛みながら、大家が別の茶碗を持ち上げる。提灯の光に照らされたのは、半分溶けた目玉だった。

 大家は口を近づけて、ずぞぞと音を立ててそれをすすった。


「おお、うまい……うまいねえぇ……」


 大家は、戸板に置かれた他の茶碗に顔を突っ込んだ。そうして犬のように、がつがつぐちゃぐちゃと音を立てて髪や目玉を食べだした。


「ひいいいいぃぃぃぃ……」


 鉄三は絶叫し、提灯を放って逃げ出した。しかし数歩も行かないうちに、柔らかいものにぶつかった。

 転がった提灯の明かりで、ぶつかったものが見えた。

 全裸の女であった。頭は、砕けた南瓜かぼちゃのように割れていた。片方の目玉が無くて、ぽっかり空いた黒い穴を、ずるずると太ったみみずが出入りしていた。


 一つ残った目玉が、ぎょろりと動いて鉄三を見た。



 ――だいふくをたべなかったんだねえ……



 ぎゃッと叫んで、鉄三は気を失った。


「もうし、もうし。お前さん、どうなすったね」


 揺り起こされて、鉄三は目を開けた。

 すっかり周囲は朝になっていて、彼は廃寺茶屋の前で仰向けに倒れていた。皺だらけの坊主が、不思議そうに見下ろしていた。


 ――……助かった!


 震えながら鉄三が事の仔細を語ると、坊主は静かに頷いた。


「この廃寺に眠る者達は、供養されなくなって久しい。人恋しさゆえに、時たま生者を引きずりこむのです」


 だから毎朝こうして経をあげにくるのだと、坊主は語った。


「お前さんが渡された大福餅は、恐らく黄泉の食べ物だろう。食べなくて良かった。食べていれば今頃、お前さんもあの人のように魅入られ、連れて逝かれただろう」


 坊主の指した方を向けば、茶碗に顔を突っ込んで、大家が事切れていた。口の端から蛆だらけの髪が伸びて、茶碗に繋がっていた。

 呆然と鉄三は帰途についた。

 大家の事は、坊主が家に知らせてくれると言っていた。ふらふらと、あぜ道を歩く。


 ――俺は、助かった


 ――俺は、大福餅を食わなかったから……


 ――あの大福餅は……


 お妙ッ、と鉄三の喉から叫び声が飛び出た。

 お妙は甘いものが好きだった。だから鉄三は、大家から貰ったあの大福餅をお妙にやったのだ。

 鉄三は家まで走った。途中で下駄が脱げたが気にせず走った。尖った小石で足の裏が血まみれになったが、気にしなかった。


「お妙えぇっ」

「あれ、おかえりお前さん。どうしたんだい、そんなに慌てて」


 戸が外れんばかりの勢いで開けた鉄三を、お妙はきょとんと見つめた。腕に抱かれたせがれが、驚いたように目をぱちくりさせた。

 肩で息をする鉄三に、お妙は申し訳なさそうに眉を下げた。


「そうだ、お前さん。あの大福餅なんだけど、坊が玩具にしてしまってねえ」


 鞠とでも思ったのか、転がして遊んでいたはずみで土間に落とした。お妙はそれに気づかず、踏んでしまったのだと言う。

 さすがにこれは食えぬと捨ててしまったと、お妙は申し訳なさそうに言った。


 鉄三はお妙と共に末永く蕎麦屋を続けたが、ところてんと大福餅だけは生涯口にしなかったという。

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廃寺茶屋 所 花紅 @syokakou03

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