わかれとであいと緑のたぬきと
春川晴人
第1話 わかれ
なんとなく、わかれが近いのはわかっていた。もう十五歳を過ぎていたから。
彼は私が物心ついたから飼った二番目の犬だった。ほんの少し小太りなしば犬の男の子。
気が強くて、何度か手を噛まれたこともある。
ものすごく小さな、赤ちゃんの頃にうちに来たから、自分のことを人間のように思っていたのかもしれない。
忘れられない記憶。忘れたくないぬくもり。
だけど、老いは年末と共にやってきた。
それまで無駄に元気だと思っていたのに、ご飯を食べてむせるようになる。お散歩の途中での息切れ。あそぶことすらできずに、歳をとっていった。
やがて、夜鳴きするようになり、昼夜逆転の生活が始まる。おそらく、昼間に寝ているのは、昼の方が人間が起きているから安心だと思ったのかもしれない。
年明けになると、ご飯を食べなくなっていった。
あれほど大好きだったやきいもさえ、においを深く嗅いだだけで、もういいとそっぽを向いた。
私にはまだ覚悟ができていなかった。彼とのわかれの覚悟が。十五年一緒にいて、自分ももういい歳なのに、割り切れなかった。往生際の悪い大人だった。
二月。お散歩もヨレヨレの状態で、血尿が出ていた。なにも食べずに二ヶ月も、よくがんばったと今なら言える。
でも、その時は無駄な悪あがきをしていた。牛乳なら栄養があるかと思い、犬用のミルクを買ってきた。人肌に温めて、でも口をつけない彼に、スポイトで喉の奥に流し込んだ。まだ、生きていて欲しかったから。それがエゴだと気づくこともできずに。
そうして、二月が終わろうとしていたある寒い朝、彼は痙攣発作のように震えだし、親父さんが、最後だからあいさつして、と強く言った。
私は必死に大声で、今までありがとう。大丈夫だから心配しないで。ありがとう。と、何回も伝えた。
彼は数回うなり、そして、私たちの手の中で逝ってしまった。
まだ信じられない私をよそに、親父さんは獣医さんへ連絡を取り、死亡の旨を伝えた。これからどうすればいいのかを聞いていたのだ。
虚脱状態に陥った私は、なにもできなくなってしまった。ただ、親父さんはいつも通りにしていなさいと言ってくれた。そうでなければ、彼が苦しむよ、と。
この時は自分でなにかを判断することもできないほど、わけがわからなくなっていた。
そして翌日、親父さんに連れられてお寺へ行った彼は、お骨になって帰ってきた。
私は泣いた。昨日の今日で早いと泣いた。だがわかってもいた。このままうちに置いておくこともできないことを。
そして親父さんは、私の前に赤いきつねと緑のたぬきを置いた。
緑のたぬきはお寺でいただいたもので、赤いきつねは親父さんが買ってきたもの。
どっちを食べるか聞かれて、迷わず緑のたぬきを選んだ。まだ味がわからないくらい混乱していたけれど、それを食べることで、彼と同化できるような気がしていたから。
つづく
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