第3話 上杉鷹山公

         元凶、森 二



     一

 宝暦十三年のある夜、竹俣当綱の江戸屋敷の邸宅に三人が集まっていた。

 莅戸善政と木村高広はすでにきていた。ただ、藁科松伯はまだだった。だが、風でぎしぎしと揺れる屋敷に近付いてくるのは誰にでもわかった。

 ……ゴホン、ごほん、ゴホン…。藁科松伯の咳こむ声が響いたからだ。

 だいぶ病状は悪いらしい。

「先生、だいじょうぶですか?」

 木村が襖を開けて、そう心配気に尋ねた。それにたいして松伯は、

「なに大丈夫、これくらいなんともない」

 と、にこりとして、また咳こんだ。

 江戸屋敷も森派のものだった。そのため、批判派の四人は密談がばれないように慎重をきさねばならなかった。莅戸は襖に横耳をつけて、敵の気配を見張ったが、煩く吹く風の音以外はきこえもしなかった。木村も耳をそばだてた。

「どうぞ先生」

 竹俣当綱が、病身の藁科松伯に言った。

「はっ、………では」

 彼は中に入って、襖をしめた。その後、また、ごほんごほんと激しく咳こんだ。

「いやいや…これでは密談もできませんな。ごほんごほんという咳で、藁科松伯貞祐ここにあり、と言っているようなものですからな」

 当綱が、冗談めかしに言った。

 が、誰も笑わなかった。言った当人の竹俣当綱もすぐに険しい顔にもどった。

 ……先生がこのまま死んでしまったら……。不安にかられた。

 しかし、当人の医師・藁科松伯だけはそう思ってなく、周囲のものには「風邪だ」と言っていた。それは、本心かどうかはわからない。

 藁科松伯は米沢生まれでも、米沢育ちでもない。父の藁科周伯が御側医のつぎの待遇を受ける外様法体の医師として米沢藩に抱えられて以来の家臣である。

 彼は火鉢に手をかざし、「いやぁ、寒い、寒い」と言った。その手も顔も、驚くほど蒼白かった。それから続けて、

「あたたかい季節になれば、風邪などすぐになおります」

「もう少しあたたかくなるまであたっていて下さい」

 当綱が、師をいたわった。

「いや、ご家老」

 藁科松伯は火鉢から離れると、正座した。その後、「危険をかえりみずにわれわれを収集したところをみると……よほどの重要なお話しと存じます。たかが風邪ごときのそれがしの心配など無用に願います。さっそく話を承りたい」

「さようか」

 当綱が頷いた。           

「九郎兵衛、丈八、そちらも近くに寄れ」

「はっ」

 三人は竹俣当綱のまわりに集まり、言葉を待っていた。「…では申す」

 竹俣当綱はそういって、言葉を切った。それで、しんとした静寂がしばしあった。当綱の濃い髭がゆれたが、それは表情をかえて考えているからだった。

「実は、ある藩のご家老の屋敷にいってきいた。それによると、わが米沢藩の内情を伝える書を滝の口に箱訴したものがいるというのじゃ」

「なんと?!」

 莅戸九郎兵衛善政と木村丈八高広はびっくりとした声をあげた。しかし、藁科松伯だけは、表情をかえなかった。

 箱訴とは、滝の口の幕府評定所表門にでている投書箱に訴状を投函することである。いわば、幕府の目安箱にだ。この箱は、先先代の徳川吉宗が設置をきめたものだ。

その目安箱に、誰かが、「米沢藩の内情」を書面にしたためて投書したのだ。なんということだ! 

九郎兵衛も丈八もことの重大さに気付き、動揺して額に汗をにじませた。

「落ち着かなければ…」と焦れは焦るほど、足の力は抜け、足はもつれるばかりだ。

無論、だからといって藁科松伯が重大さに気付かなかった訳ではない。

この人物は事前に知っていたのだ。投書する者も多かった。が、すべてが正論という訳でもない。が、現代の政治家が「世論」を気にするように、幕府、各藩もそれを気にした。

「いったい誰が投書を……?」

「わからぬ。ただ」竹俣当綱はそういって、言葉を切った。その後

「ただ……な」

「うむ。どうもその書状の内容は幕府にとって重用視されたようじゃ。赤字や藩の内情、人別銭のこと森のこと……あからさまに書いてあったそうじゃ」

「訴えたのは、はたして領民でしょうか?」

 木村が尋ねた。

「箱訴は武士の訴えを禁じておる。訴状は名前や住所を記入しなければ受け入れられぬゆえ、米沢の者に間違いなかろう」

「もしくは家中の者が、親しい領民に書かせた……とも考えられましょう」

 莅戸が言った。

「それもありうる」

 竹俣当綱はそういって、莅戸に顔を向けた。

「米沢藩のありさまは何がおこってもおかしくないところまできておる」

「はっ……まさにその通り」

 莅戸と木村が頷いた。

「森の排除を急がなければなりますまい」松伯が言った。その後、また激しく咳こんだ。続けて

「しかしながら……」

「森の排除には慎重をきさなければなりますまい」

「慎重?」竹俣当綱は怪訝にそういって、考えた。

……どういうことじゃろう。慎重? 森という男は藩の元凶……それは誰もが知っている。そのような男をのぞくのに慎重をきす必要があるだろうか?手段など考えずバッサリと斬り捨てるべきでは……?

「今回の訴書の件がござる」

 藁科松伯が当綱の心の問いに答えるように言った。

「訴状が焼き捨てになるか、取り上げられるかはわからないにしても……これだけ評判になったよし、幕府としても無関心ではいられますまい。森の処分についても藩の内々の問題とはならなくなったと思います」

「………確かに…」

「それに森は藩主・重定公のもっとも信頼している重鎮の家臣……その取扱いによっては、こちらの方が処分されないともかぎりません」

「それについては大丈夫。国元の千坂、芋川、色部らとともに談合いたす所存である。藩の重役たちの意見として殿に森の処分を押し切る所存じゃ」

「森の処分の内容はもう決めておりますのかな?」

「そこじゃ」竹俣当綱は言った。

「千坂を中心に条々は決めているはずで、千坂の密書によると……森の悪政は十七か条にもおよぶという」

「さて…それではその書をして森に隠居を勧めてはいかがですかな?それを受け入れぬとあらば…その時、謀殺を検討すればよろしいかと」

「先生は森をご存じない」

 竹俣当綱は強く言った。

「あの森という男はかなりの傲慢な人間で、神にかけてもいいが隠居などするような男ではありません」

「ならばいたしかたなし」

 松伯は言った。その後、また激しく咳こんだ。

「だいじょうぶですか?先生」

「だいじょうぶ…です」

 師は言った。「江戸の寒さは米沢よりこたえます」

 そんな時、外の門が開く音がしたので、一同は沈黙した。木村が襖を開けて、みにいった。が、たんに風に吹かれて音をたてただけだったことが分かった。…ほっ。一同はまた話はじめた。

「で、決行はいつになりますか?」

 藁科松伯が静かに言った。当綱は、

「すぐにでも。殿が当屋敷にいる間に形をつけなければなりません」

「いかにも」

 松伯が静かに言って頷いた。

「そのようなことは一日でも一刻でも早いほうがよろしい。しかし、内密に…秘密利に」

「さよう」

 当綱は強く頷いた。「しかし、まだ国元の重役は訴状の件を知りません。誰かが知らせて、森排除の話しをすすめなければなりません。しかも、内密に…秘密利に、森派に気付かれないように、です」

 木村は「では私が米沢へいきます」と手をあげた。それにたいして当綱は、

「いやいかん」

 と言った。

「なぜでございましょう?」

「丈八は顔が知られ過ぎておる。九郎兵衛も松伯先生も、だ」

「……では、誰か顔を知られぬものがおられますか?」

「そこじゃ。顔を知られぬものはここにはおらん」

 当綱は強く言った。「だが、他の者では話しにならん。そこで、わしが隠密に米沢にいって話しをしてこようと思う」

「ご家老が、ですか?」

「うむ」竹俣当綱は強く頷いた。



     二

 宝暦十三年の二月の夜、竹俣当綱は江戸の米沢藩邸をでると、かねてから準備しておいた市内の隠れ家で旅姿に着替え、密かに江戸を立った。懐には、関口忠蔵名義の関所手形と、出発にあたって莅戸善政と木村高広と藁科松伯が当綱にあてた血判書と、松伯がしたためた書があった。

 ……長い旅になる。いや、困難な旅になる。……

 竹俣当綱は歩き始めた。

 懐の血判書はひとりぼっちの当綱を勇気づけてくれた。郷里に向かうとはいえ、森のせいで敵地のような米沢……。しかし、なんとか米沢に隠密で森派に気付かれないように着けば同心の千坂、色部、芋川がいる。竹俣当綱は無言で歩いていった。

 江戸をすぎると、急に寂しい風景となる。

 それでも、竹俣当綱は無言で歩いていった。だが、

「森派の追っ手がきてやせぬか?」

 と不安にかられ、ときどきそれとなく道の背後を確かめたりもした。

「……いない」

 彼はこうして道を急ぎ、奥州街道をひたすらひとりで進んだ。

 当綱は翌日の二月七日には板谷峠を登りきることができた。奥州街道を北に進む間、天気は凄くよかった。ほんの一日だけは雪が降って往生したが、それ以外は晴天だった。陽の光りが眩しいほどきらきらと辺りを照らし、しんとした静かな空間が広がってもいた。

 前後には人影もなく、当綱が道の凍ったところで転ぶと、カアカアと馬鹿にしたように烏が鳴くだけだった。

「くたびっちゃ(疲れた)」

 竹俣当綱は起き上がって言った。

 それから、野を越え、山を越え…彼は急いだ。しかし、板谷関所に近付くにつれ、当綱は自分の身分がバレやしないか? と不安にかられた。なにせ、その関所は森派の連中がうようよいるところなのだ。ちなみに板谷は、仙台の伊達の侵攻を押さえるために築かれたところである。いってみれば戦国時代の「国境の守り」の遺物である。

「いやぁ、こわい、こわい(疲れた、疲れた)」

 竹俣当綱は足をとめ、そう荒い息でいった。…もうすぐ米沢の街も見えよう。それにしても、いやぁ、こわい、こわい(疲れた、疲れた)。

 板谷関所につくと、竹俣当綱は関口忠蔵名義の関所手形をだした。例え名前や身分に疑いをかけられようと「関口忠蔵」で通すつもりだった。人笠をふかくかぶり、目立たないように努めた。しかし、彼の緊張とはうらはらに、関所は難なく通ることができた。

 当綱はあやしまれぬように関所を出て、米沢へ急いだ。そうして、心の中で、

「簡単に抜けられた……だが、まだ安心は出来ぬ」

 と用心した。関所が簡単に通可し過ぎだ。…何かあるのか? それとも自分の変装がうまくいったのか? ……そうだといい。

 だが、もし自分の存在に気付いた者がいたら、通報者がいたら……その場で殺さねばならない。無益な殺生はしたくはない。だが……、

「まだ安心は出来ぬ」

 竹俣当綱は足をとめ、そう荒い息でいった。

 しかし、彼の心配したようなことにはならなかった。当綱は誰にも知られずに、米沢の城下町に着くことに成功したのだ。その日、竹俣当綱が米沢城下についたのは深夜だった。

関根を立つころには雲ゆきが怪しくなってきて、暗い夜空から雪が降ってきた。

千坂の屋敷に着く頃には、当綱の笠も肩も真っ白になっていた。



     三

「日暮れに着くとのしらせだったのに、遅かったではないか」

米沢の千坂の邸宅に着くと、すぐに奥へ通された。

「もうし訳ござらん」

 竹俣当綱はあやまった。「しかし…」と続けた。

「しかし、これには理由がござる。確かに日暮れ頃に関根まで着いたのだが、途中、森派の人間と見られる人物がいた。そこで、村に入り、いなくなるまで民家に匿わせてもらったのじゃ。よって、遅くなった」

「さようか」

 千坂は言った。

「先方は竹俣とわかったのか?」

 屋敷の主人で、同じく江戸家老をつとめる千坂高敦が続けて言った。

「さて、それはいかがでしょうか。わかりません。ただ、せっかく名を偽って旅してきたゆえ、米沢にきてバレたのではつまらぬと考えた」

「しかし、その者が森に伝えるとも限るまい」

 芋川縫殿(ぬい)正令(まさのり)が言った。当綱は芋川をみて、

「用心に用心を重ねたということでござる」

 と言った。

「まあ、いい。ごくろうだったな、竹俣」

 千坂が竹俣当綱をねぎらった。「腹は減ってないか?」

「いや、まぁ少し……それより白湯を一杯頂きたい」

「よかろう。準備させよう」

 千坂高敦が笑った。

 こうして竹俣、千坂、芋川、色部の四人は明りの前で「密談」を始めた。

 森利真のような家格の低いものが、重い家格の上杉家臣をさしおいて藩政を動かしていることは、米沢の権威がゆらぎはじめている、とみるべき。…四人はそう考えていた。

 竹俣当綱は白湯を飲むと、血判書や藁科の書を千坂らに渡した。

 千坂、芋川、色部らはそれを読み、

「なるほど……よく書けておる」と頷いた。

「ごくろうであったな」

「いや、なに」

「竹俣もこうしてきたことだし……さっそく森を除く段取りを決めいたそう」

「そのまえに申すことがある」

 竹俣当綱は、森に訴状をみせ隠居を勧める考えもある、と言った。それでダメなら…という訳である。藁科松柏の考えであった。

「藁科松伯は森について何もわかっておらん」

「まさしく」

 千坂、芋川らは口ぐちに言った。藁科は甘い。わかってない。

「あの森という男は藩の元凶! すぐにでも討ち取るべきじゃ!」

「しかし、今回のことは江戸の幕府も知っていることゆえ、すぐに討ち取るというのは藩のメンツにかかわる」

 竹俣当綱は、冷静に言った。

「どのような手を使っても……という訳にはまいらん」

「なら、説得し、聞かねばその場で討ち取るというのはいかがか?」

「説得し、腹切りさせるのがよい」

 色部がはじめて声を出した。冷静な声だった。

「森は、われらが説得したくらいでは腹切りはせぬ。傲慢な男じゃからな」

「いや」色部が続けた。

「さきほどの弾劾書……それをみせて殿からのご命令だ、といって腹切りさせるのだ」    

「しかし、それでは御殿の御名を偽り借りるようでおそれおおい」

 芋川が言い、四人は沈黙した。

 やがて千坂が、しかしながら、と言った。

「いずれにしても藩のためにすることじゃ。われらの私利私欲のためではないから、御殿の御名を偽り借りることもやむをえない」

「そうじゃな」

 四人は頷いた。



    四

 五ツ刻(夜八時)、米沢城内二ノ丸…。

「森を除く」会談が開かれた。森は、弾劾書を読み上げる竹俣当綱をじっと見ていた。森は大男という訳でもないが、割腹のいい体躯で、贅沢な食事のせいか顔や体に脂がのっている。

出掛けに髭を剃ってきたのか、顎のあたりが青々としていた。

 竹俣当綱は弾劾状を読み終えて、森を見た。千坂、芋川、色部も見た。……座敷にはこの四人と森しかいなかった。

「どうだ、思い当たるフシが多々あろう?」

「いや、なんのことでござろうか? いっこうに思い当たらぬ」

 森は嘯いた。

竹俣当綱は動じなかった。

「自分の屋敷を改築し、贅沢な庭園を造り、池にはギヤマンの金魚を大量にそろえたそうじゃが……? さる年に……藩の金で」

「なんのことかな?」

「では、人別銭についてきこう。いまおこなわれている人別銭を、領民は血も涙もない悪税と申しておる。またこの税のために人心も荒むとの声もある。この人別銭はいまから七年前に御殿が出府されるときの最後の手段としておこなったもの。それを、今だ、に、続けているのは無策と申しておる」

「米沢藩の台所は火の車……ほかに藩費をまかなうよい方法があれば教えていただきたい」森は素っ気なく言った。すると、今までだまっていた芋川が、

「議論しても無駄じゃ! この男に騙されるな!」

 と怒鳴った。

 森は「わしは藩のために正しいことをしておる。ギヤマン金魚だの豪華な食事云々はすべて出鱈目……わしの政に一点の曇りもあらず」

「さようか?」

 千坂は悠然とした態度で言った。

「そなたの家の土蔵の中には豪華なこしらえがあり、炉のわきにはじかに掘った井戸があって、その水をくむつるべは銀で出来ているそうではないか」

 森の顔が、ふと青褪めたように見えた。森は何かいいかけたが、口ごもって沈黙した。

しだいに森の表情が曇っていくのがわかった。

秘密の土蔵の内部のことまで知られているのは森にとって予想外のことであったらしい。

 竹俣当綱の手が汗ばんだ。今、千坂が申したことははじめて聞くことだった。

「…覚えがあろう? ……答えぬか、森! われらの詰問に答えられぬ時は、腹切りさせよと御殿からのご命令だぞ!」

 千坂が、森を喝破した。

「……腹を……? それは…おかしい…」

 森は狼狽した。

「では、直接江戸の御殿に確認してから…そのぉ」と言った。

「いさぎよく腹を切るか、森! 支度はできておるぞ」

 森は益々青褪めた表情になった。恐怖しているのは誰の目にもわかった。

「ならば、殿のご沙汰書を拝見したい」

「内密のことゆえ、ご沙汰書はない」

「……ますます怪しい。さような…ことがあるものか!」

 と森は呟いた。一瞬にして顔が赤みをおびた。

すさまじい形相で、四人を見て、大声で怒鳴った。

「これは何かの企みだ!御殿に確認するまで腹など切らぬぞ!」

 森が言い捨てて、立ち上がると、竹俣らもすっと一斉に立ち上がった。

竹俣当綱がすぐさま「倉崎」と呼ぶと、入り口横の襖がひらいて、伏せておいた倉崎一信が踊りでた。森の行く手を遮ると、すかさず小太刀でひとたちした。

 倉崎一信の一撃は、森の額を浅くきっただけだったが、森は激しく動揺し、狼狽した。

「うあぁぁっ!」

 森の顔は、額から流れでる血で真っ赤に染まって、すさまじい形相になった。すぐに、千坂と色部、芋川が短刀を構え、森にきりかかった。森は刀を抜かず、ただ逃げ惑うだけだった。激しい衝突で、色部が畳みに転んだが、誰も声をださなかった。

 森の裃は片袖がはずれて背にぶらさがり、衣服はきりさかれ、顔からも両手からも血がしたたっていた。森は部屋をでて、通路をどたどたと逃げた。

が、当綱が脇差しを抜いて追い付き、千坂と色部、芋川が短刀を構え、最後の一撃をくわえた。

 森は「うっ…」というと、そのまま廊下に血だらけで倒れ込み、やがて息絶えた。

「……身まかった(死んだ)」

 森の屍をみた芋川が言った。しばらく四人は荒い息だったが、なんとか冷静をとりもどすと、

「さてと、今夜はいそがしくなるぞ」と呟いた。

「少しは手むかってくるかと思ったが………逃げ回るだけだったの」

 千坂が言った。

 こうして、「元凶・森平右衛門利真」の粛清は終わった。この後、御殿・上杉重定公に森平右衛門利真の処分について報告した。が、やはり重定公は初め激しく怒った。…自分に相談もなく殺害するとはなにごとか?!という。しかし、なんとか慰めて事なきを得た。まさの暴君

……無能なり上杉重定……。

 直丸(のちの鷹山)が養子となったのは、このような事件のすぐあとのこと、である。


   五

 治憲が米沢藩の養子となったのは十歳の頃だった。

そうして、それから、二つ年上の幸(よし)姫(ひめ)(よしひめ)が正室になった。が、この病弱で心も体も幼いこの少女はひとの世の汚れを知らぬままこの世を去ることになる。

 幸姫は治憲の前の先代藩主・上杉重定公の次女だった。

 確かに、幸姫は美しかった。

 黒色の長い髪を束ね、美しい髪飾りをつけ、肌は真っ白く透明に近く、二重のおおきな瞳にはびっしりと長い睫が生えている。細い腕や足はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。

 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていてまるでこの世のものではないかのようであった。

 それぐらい幸姫は美しかった。

 しかし、そのような愛らしい外見とはうらはらに、彼女のメンタリティ(精神性)や思考能力や心とからだの成長は全然なってなかった。

 その外見は確かに美しかった。が、もう二十歳ちかい成熟した女性だというのに、まるで小学生のような体型であり、頭も悪く、まんぞくに会話も出来ないあり様だった。

 まあ、はっきりいうと「知恵遅れ」だった。

 しかし、彼女は「純粋なピュアな心と優しさ」を持っていた。それゆえに、そうした純粋な心と優しさと可愛さを持った彼女のことを、治憲は「天女」と呼んだ。

 まさに幸姫は天女だった。

 治憲は婚礼の式のときを忘れることができない。対面したときの唖然とした気持ちを忘れることが出来ない。幸姫は十七歳。花のさかりをむかえようという乙女のはずが、十歳ほどの少女に過ぎなかったのである。これは何かからくりがあるな……と思った。が、なんのからくりもなく、その目の前にいる少女が、結婚相手の幸姫だった。

 幸姫は可愛らしい笑みを彼に向けていた。姫がこんなに小さいのでびっくりなされているのですね、と語りかけているように思えた。姫は明るい性格なので、治憲はすくわれる思いだった。

式の後、彼と姫はふとんにはいった。治憲は、さて姫、眠りましょう、と囁いた。と、姫は、

「……夫婦ですから……このようになさるのですね」と珍しく言葉になった声を発した。

 治憲は微笑して、その通りです、といった。姫は目をつむって彼の胸に顔をよせた。

 ……これでいいのだ…治憲は思った。そう思っていると、彼は大人の女の匂いをかいだような気がした。だが、目を開けると、そこにはやはり少女がいるだけだった。


    六

「幸、幸……」

 幸姫は、治憲に作ってもらった小さな人形を胸元に抱き締め、ほわっとした笑顔になった。彼女はその人形に自分の名前をつけたかのようだった。

 それをあたたかい母親のような目でみていた奥女中の紀伊は、

「よろしかったですね、幸姫さま。御屋形さまに素敵なものを頂いて…」

 と優しく微笑んだ。

「幸、幸……」

 しばらくして治憲が幸姫のいる座敷まで訪ねてきた。

 幸姫は「幸、幸……」といって治憲に人形を掲げた。

「そっくりですよ、幸姫。人形も幸姫も可愛らしい」

 治憲はやさしい笑みを口元に浮かべて、優しい父親のように答えた。膝まずき、懐から紙を出して、

「よい紙が手に入りました。鶴を折ってさしあげましょう、幸姫」

 と言った。

 しかし、幸姫は心ここにあらずで、人形を大事そうに抱いたままどこかへ歩いていってしまった。

 こうして座敷には治憲と奥女中の紀伊のふたりだけになった。

 しばらく静寂が辺りを包んだが、沈黙をやぶったのは紀伊だった。

 紀伊は畳みに手をつき、深々と頭を下げ、

「…本当にありがとうございます。御屋形さま。幸姫さまにかわってお礼を申しあげます。国元の重役や重定公からも側室を置くようにといわれましたのに断られたよし……何とお礼を申しあげてよいやら…」と泣きそうな声で礼を述べた。

「いや、たいしたことではない」治憲は魅力的な笑顔を浮かべて、

「私は幸姫を裏切ることが出来ぬだけだ」

「は?」

「幸姫は天女だ。……天女は裏切れない」

 治憲のその言葉に、奥女中の紀伊は涙をボロボロと流しながら、もう一度深々と頭をさげた。なんというお優しい方だろう。……紀伊は心の底からそう思った。        

    一 

小説家や脚本家は創造力に冨み、あらゆる夢物語で我々読者や、大河ドラマなら脚本家の創作劇でわれわれ視聴者に夢を見せてくれる。

 夢も希望もない現実のなかで「ありがたい」存在である。

 確かに鷹山公は現在では大有名人で『『上杉鷹山公』の人物伝』も多い。単発のテレビドラマ化もされたし、小説等も多数の数がある。

 中でも私が驚いた小説内容は、「幸姫は知恵後れではなく「うつけを装っている」だけ」というものだ。多分、大河ドラマ「篤姫(役・宮崎あおい)」の旦那・徳川家定(役・堺雅人)のストーリー展開「うつけを装う」からきているのだろう。

 いろいろと考える小説家もいるものだなあ、と思う。

 確かに、幸姫が大河ドラマ「篤姫」の徳川家定のように「うつけを装っているだけ」という展開も面白い。フィクションだとしても、この物語『米沢燃ゆ 上杉鷹山公』の大河ドラマ化ではそういう物語展開を期待したい。

 夢があって面白いではないか。

 徳川吉宗の改革も面白いし、鷹山公の改革と前後するように吉宗も粉骨砕身した。

 だが、その改革の話は山深い米沢藩まではつたわってはこない。

 鷹山公でさえまだ米沢藩の改革への希望を抱いている段階、に過ぎないのだ。  



       重定への言上書




    一

 帰国する本庄と芋川を見送った夜、竹俣美作当綱は江戸の役宅に、莅戸善政、藁科松伯、木村高広を招いた。召使の爺が大根の煮付けと徳利をもってきた。

 当綱は徳利をさっそくもつと、つごうとした。

「この地酒は国元の大町でもとめたものだ」

 当綱は徳利をふってみた。…いい音だ。いい酒は音もよい。

「まだ残っておる」といった。

「いや、江戸にもどったら貴公らとのもうとおもっておったが……なにせ持って歩くと音がする。芋川にみつかっての。かなり飲まれてしもうた」

 竹俣美作当綱は笑った。

 木村高広と莅戸善政も笑った。しかし、藁科松伯は微笑するだけであった。

 杯を満たして酒を味わってから、当綱は

「これが殿にさし出した言上書の写しだ。目を通してくれぬか」といって巻紙を出した。 

竹俣当綱にいわれ三人は順々に写しをみた。木村が最後に読み終わると、巻紙を返上した。それをみてから藁科松伯が口をひらいた。

「……で、殿は森平右衛門の誅殺を承認されたのですな?」

「うむ。認めた」

「そうですか」

「うむ。ただはじめは激しく怒ってのう」

「ほう。でしょうな。殿は森を可愛がっておりましたからな」

「うむ」当綱は続けた。

「はじめの激怒で、承認をえるのに苦労した。しかし…そこは肝心なところゆえわれらも負けなかった。重臣連判を盾に押し切った」

「ほう」

「…殿は…」

 竹俣当綱はなにかいいかけて口をつぐんだ。あのときの重定との応酬を思い出して、

……殿は愚者で馬鹿だ…と思った当綱ではあった。が、そう口に出すのには憚られた。

確かに愚かで馬鹿でも、米沢藩の殿であることにはかわりはないからだ。その後、それにもましてこらえたのは、口にだしていってしまえば空しくなると思ったからだ。

 藁科松伯が口をひらいた。

「ご改革の件も、殿はお認めになられたのか」

「……一応は…」

 竹俣当綱は盃をおいて、顎の不精ひげを掻いた。竹俣当綱は髭の濃いたちである。

朝も昼もそったのに、もう髭が青々となっている。

「……改革とはいってもなにをするのか何もきまってはおらん。だから、殿も一応だけ認めたのであろう」

「さようか」

 藁科松伯は咳をしながらいった。そうして続けて、

「ただ認めただけでは改革は無理でござりましょう。改革には思いきった人材登用も必要です。また森のようなのがでてこないように…また藩財政を正確に判断し案をだせる人材登用こそが必要でありましょう。言上書をみるかぎりそこが抜けているように思えてなりませぬが…」

「その場に、竹俣がいて、かようなあり様はなにごとかと先生はいいたいのですな?」

「いや、さようなことは…」

 竹俣当綱は手を掲げて、弁明しようとする藁科松伯を止めた。

「当然、そう思われると思っておった。それがしも格式、先格が出てきたときはこれはこれはと思ったが、口に出さなんだ。侍頭をとりこむのだから、妥協も必要じゃと思った次第である」

 当綱はそういって、ぴしゃりと膝を打った。

「改革は必ず実行する。われわれには名君がいるからのう」といった。

「……直丸さまですか?」

 藁科松伯がにやりとすると、当綱はにこりと笑って「そうそう」といった。

 続けて「……先生、直丸さまのご様子はいかがですかな?」と問うた。

「それがですな」

 松伯はにやりと顔をほころばせると、

「ご学問もさることながら、近頃は弓や馬のお稽古に精進でござります」

「ほうほう、それはよい。頼もしい限りだ」

 竹俣当綱も顔をほころばせた。そうして、その瞬間、

 ……はやく藩主交代を急ぐべきではないか……と思った。


    二

 藩主重定に、竹俣当綱ら重臣四名が談判して森平右衛門誅殺を追認させてから十日ほどすぎた三月四日、国元では森家の処分言い渡しが行われたという。

 嫡子の森平太七歳は親類預け囲入り、故・森平右衛門利真の用人佐久間政右衛門父子は入獄処分となった。だが、ほかの家族、召使は構いなしとされた。その後、森のいた奉行所の家宅捜索がなされ、森の屋敷と塀と門が藩の手で打ち壊された。

 また森が屋敷内にたくわえておいた諸道具は、六人年寄の中沢新左衛門が立ち会って改め、城の宝蔵に返すべきものは返し、売り払うべきものは商人を呼んで売り払った。

 が、たくさんの刀や金銀があったので処分に時間がかかったという。

  その後、参勤交代で重定が江戸に着くと、竹俣当綱はひと息ついた。

 上杉重定と竹俣当綱の関係は、藩主と江戸家老というものであったが、重定は、

 ………わしの信頼しておった森平右衛門を誅殺した張本人め!

 という目で当綱をみるし、竹俣当綱は当綱で、

 ………この藩主は暴君で無能だ……

 と内心みている訳だから、双方とも相手を見れば気持ちが擦れ違うのはやむを得ないことであった。

 しかし、上杉重定もおそまつながら「改革」をしようという動きをみせた。

 七月になって、重定は侍頭の本庄職長、須田満主を呼んで、侍頭のまま六万石の荒地開拓をふくむ農政を担当することを命じた。しかし本庄は一年ほど職をつとめてからお茶をにごし、しきりに辞めるつもりだと国元にも伝わった。重税と借金にあえぐ米沢藩のために誰かが命がけでやっていないことは明らかであった。


    三

 竹俣当綱の屋敷に、後日、藁科松伯がひとりでやってきた。

 先生は咳がかなりひどかった。松伯は胸を患っていた。

「非道の取り立てとは何のことでござろうか」

 当綱は首をかしげ、そうしてすぐ自分でうなずいた。

「停止した銀借り上げ分を別の形でとりもどしたということじゃな」

「その分、また米沢の民がかぶったということでござる」

「しぼっても血もでぬところから、さらに血をしぼった訳でござるか」

「藩は天も恐れぬことをおやりになる」

「まさに亡国ですな?」

 と、当綱はいった。

「直丸さまがおられます」

「おそれ多いが……まだ子供だ」

「しかし、名君になられる」

「しかし…上杉は名門。若輩の直丸さまに藩主がつとまるじゃろうか?」

「つとまります! 臥竜ですゆえ、直丸殿は」

 藁科松伯がにやりといった。

「先生、人材登用はどうです?」

「……今の殿よりましになりますでしょう。千坂さまは平時なら名執政と呼ばれてしかるべき器量のひとです。しかし、その千坂さまも、いまの藩をいかんともしがたい」

「米沢はいま……大病にかかっておる」

「……さようにござる」

「森の始末がついて……一杯やったとき…」

 と、当綱はいった。

「九郎兵衛と丈八がいたゆえ言うのを憚ったが、先生、わが殿はまちがいなく愚者です。森の処分でつくづくそう感じた」

「……今頃お気きですか?」

 藁科松伯がにやりといった。

「いや。……かねてより凡庸と思っておったが、あれほど酷いとは思わなんだ」

「ですから…」松伯が続けた。

「名君が必要なのです」

「直丸さまか?」

「はい」

「しかし……まだ海のものとも山のものともわからぬ若君である。名君になられるか…」

「なられます!」

 藁科松伯が珍しく抑圧のある声でいった。

「……であるか?」

「はい。直丸さまは臥竜です。きっと米沢を救ってくださります」

「……臥竜……であるか」

「しかし、殿は若い。用意に藩主の座をゆずるでしょうか?」

「それなら、わしが引き摺りおろす」

 竹俣当綱は、ひとりごとのように、そういった。

                                        

         改革の狼煙



     一

 治憲が米沢藩主となってから五ケ月後、改革の骨子を発表した。

 九月十六日に、江戸勤番の者一同を集めて、大倹令の骨子が発表された。

 治憲は語り始める。

「当家は大家から小家になり、上下共に大家の古を慕い、家格も重く、重ければ自然身分よりも多くの出費がある。また太平が久しく続いて、世の中が平和になったよし、わが藩だけが六千人もの家臣を抱えて…藩の台所は火の車。まったく嘆かわしい次第である。

 今日では家中が借金まみれであり、もはや誰も金を貸してはくれぬ。

 もしこのようなときに、水害、飢饉、火災…などの災難がひとつでもあれば米沢藩は国が立って行けない。自分は小家から入って大家の後を譲り受け、このまま家が滅びるのを待っていたのでは、国中の人民を苦しめ、謙信公以来のご先祖さまに対して申し訳がたたない。

 それでそれぞれの役筋に尋ねてみたが、誰も立ちいく見込みがないという。しかしながら、私はただ滅びるのを待つより、だめでもいいから大倹約と改革を実行したいと思う。 出来るだけやってみようと思う。

 今はひどくとも、後に国が滅びて難儀をすることを思えば、目の前のことは我慢して、皆も一致協力してくれ。

 まず自分の身の回りから実行するから、もし気付いたことがあるならば、遠慮なく言ってくれ。下々が立ち行かないで、自分だけが立ちいく事は出来ない。藩士も百姓も一致協力して大倹約を守ってくれ。頼む。

……では発表する…第一に…」(藤沢周平著『漆の実のみのる国』より)

 こうして治憲により竹俣らの改革案が発表されていった。

 要は、特令の廃止である。伊勢神宮への参拝はわざわざ米沢から使者を遣わさず、京都留守居役に代出させる。年分行事、祝謝事項もすべて中止。

 女中は必要な人数まで減らす(リストラ)、一汁一菜、着るものは木綿、建物の改築はひかえる、奥女中は九人まで。

 ……といった、形式と格式などを重んずる武家社会へ挑戦する十二項目だった。

「………以上である」

 治憲は語りおえた。しかし、

 この改革案があまりにも大胆なものであるため、家臣の誰もが沈黙し茫然とするしかなかった。やがて、家臣のひとりがオドオドと江戸家老の色部に、

「色部さま……色部さまは、この改革案に賛成なされたのですか?」

 ときいた。

 それに対して色部照長はなんといっていいかわからず、オドオドと躊躇して咳払いをするしかなかった。「……う…そのぉ、だな…」

「私から答える!」色部のそんなオドオド声を遮るように、治憲が言った。そうして続けて、

「色部は改革案に賛成してくれただけでなく、手まで貸してくれた。色部には感謝したい」 

と言ってほわっと微笑み、きらきらと白い歯を見せた。

 それに対して色部照長はまたまたなんといっていいかわからず、オドオドと躊躇して咳ばらいをするしかなかった。

「…う…そのぉ。まあ……いえ…感謝には…及びません」

 しばらくしてから色部は躊躇したまま、

「う…そのぉ。御屋形さま! このように家臣に倹約を望むのであれば、御屋形様にも…という声がきかれますでしょう。御屋形様ご自身の倹約についておきかせ願いたい」

 と尋ねた。

「もっともな質問である」治憲がまっていましたとばかりに言った。

「…いまの私の生活費は千五百両だか、それを二百両に減らす」

「なんと……?!」

 家臣たちは驚いて声も出なかった。御屋形さまは本気だ……皆が実感した。竹俣当綱・莅戸善政・木村高広・藁科松伯ら四人の男たちは冷静で、御屋形さまの態度に共感し、笑顔をつくるのだった。それから心臓が二回打ってから竹俣当綱が、

「しかし…御屋形様は日向高鍋藩からの養子の身…しかも若輩…。何かとうるさい国元の重役たちから反発され米沢藩主の座から排斥されるおそれもあります。それについてはどうお考えですか?」と尋ねた。

「わかっておる。しかし、この治憲が藩主としてふさわしいかどうかは家臣が決めることではない。それを決められるのは領民だけだ。年貢を納めた者のみがそれを決められるのだ」

 治憲はハッキリとした口調で答えた。その瞳はどこか大きな海を見ているかのようで、妙に逞しくもあった。

 竹俣当綱・莅戸善政らは、その若輩ではあるが指導者としてはふさわしいヴィジョン(未来予想図・計画)を持った治憲に感嘆し、強烈に魅かれていった。畏れいった。

「……さすがは御屋形さま」

 竹俣当綱は満点の笑顔をつくり、輝くような表情のままそういった。


   二

 それから二年、治憲は辛抱強く江戸で改革を進めた。

しかし、その倹約も焼け石に水のごとし、で、なかなかうまくいかなかった。……

 この時期、治憲(のちの鷹山公)の正室・幸姫が病死した。治憲は涙を流し、姫の最期を看取った。米沢藩江戸藩邸でのことである。

 治憲の先生・細井平洲は天下の器、である。地元や江戸での平洲の存在はやはり「天下の器」である。

 細井平洲先生が鷹山公に頼まれてはじめて米沢藩に下向するのは一七七一年(安永六年)、上杉治憲二十七歳の頃である。


   三

治憲はいよいよ国元の米沢へ行くとき、尊師・細井平洲先生から「はなむけの言葉」を送られた。国元には彼が片腕と頼む家老の竹俣当綱がいる。彼からの頼りによれば、大半の重臣たちが新しい藩主治憲の『質素倹約・一汁一菜・着物は木綿等』の指令に対して反発の色を濃くしているという。まずこれを説明しなければならない。

出発の前夜、細井平洲が暇乞(いとまご)いの挨拶に訪れた。これまで四年半にわたって続けられてきた教育もひとまず終わることになる。

治憲は姿勢を正した。そののち、礼を述べた。

「まだまだ教えを賜りとうございましたが、江戸と米沢と隔たりますと、それもままならぬのが心残りでございます」

「またの機会もございましょう。今日はお国へ赴かれるのをお送り申し上げる言葉をしたためてまいりました」

平洲は書面を取り出した。最初にはこう書いてある。

「これまで御屋形様は聖賢の道を学んでこられましたが、それはまさに今日のためでございます」

治憲は深く頷いた。その学問の実践するべき、ありがたい、そうして輝かしい第一歩を踏み出そうとしている。

少しあとにはこんな文面もあった。

「今、必要なのは勇気です。勇なるかな、勇なるかな、勇にあらずんば何をもってか行われん」平洲先生がもろ手をあげて祝福してくださる。勇気をもって難関に改革に挑むのだ。






         入国




   一

 明和六年初期、

 十九才になった治憲(のちの鷹山)は、はじめて領国米沢へと向かった。

 江戸を出発する数か月前、永く胸を患っていた藁科松伯が死んだ。

 鉄砲隊を先頭に千人以上をひきつれて街道筋をねり歩き、『米沢藩の行進』といわれた米沢藩の大名行列は改革のため百人あまりに減らされた。米沢藩にとって最初の宿泊地は『板谷』である。



「なんということだ……」

 米沢藩家臣の水沢七兵衛は藩主・上杉治憲を出迎えるために板谷にはいって、愕然としてしまった。なんということだ。板谷の宿場には誰の姿もなく、宿場はボロボロに壊れ、みるも無残な状況だった。まさに宿場はゴーストタウン(廃墟)と化していた。

「……もっと……はやく…」水沢七兵衛はやっとのことで喘いだ。

「もっとはやく板谷にくるべきだった…」

「水沢さま!」

 部下のひとりが水沢七兵衛の元に駆け寄った。

「おお、榊。どうだ…?!」

「駄目です! 誰も宿場に残っておりません。御屋形さまが泊まれるような宿は一軒も…」

「くそう」水沢七兵衛は愕然としたまま、ほぞを噛んだ。

「……もっと早くきていれば……」

「しかし……出迎えを命じられたのは二日前です!」

「…なぜ板谷がこんなことに…」

「……皆、年貢が高くて生活が苦しいために出ていったのでしょう。しかも…逃亡する農民たちの通り道であるためそれらの連中が金や物を盗み……結果、このような廃墟となったかと…」

「くそっ」

「どうなさいます?! 水沢さま」

「………ありのままでお迎えするしかない。…後は……わしが腹を切れば済む…」

 水沢七兵衛は愕然としたまま喘ぐように言った。水沢は暗澹たる思いだった。これで自分の人生も終りだ。もうすべておわりだ。いや、自分はいい。しかし、残された家族は…? 何より藩主に申し訳がたたない。自分はなんとした失敗をしでかしたのだろう。

「……わしが……腹を切れば……」

 水沢七兵衛はもう一度、愕然としたまま喘ぐように言った。


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