《十三話》救いがという物があるのなら①

 アキと鈴見が引き返した時には、まだ桂は衝突の衝撃から復帰してはいなかった。


 虫のように裏返った体を細長い手足で元に戻した桂と、アキ達は対峙する。

 まじまじと見る程に恐ろしく思えるその姿だが、鈴見は気丈にもしっかりとそれを捉えて言葉を発す。


 虫のように裏返った体を細長い手足で元に戻した桂と、アキ達は対峙した。

 まじまじと見る程に恐ろしく思えるその姿だが、鈴見は気丈にもしっかりとそれを捉えて言葉を発する。


「桂君……鈴見よ、わかるかしら。お願い……スキルを解除して元に戻って! ……私達はあなたに危害を加えたりしないから!」


 数メートル離れた場所から呼びかける鈴見を、ひとまずアキは静観した。

 わずかでも彼に人の心が残っているなら、会話できる可能性はあるかもしれない。

 あまりアキは期待していなかったが、意外なことに桂は反応を返す。


『ウウ……スズミ……?』

「そう、鈴見よ。先生のこと覚えてるかしら? 大丈夫よ、大丈夫だから大人しくして……」


 鈴見はゆっくりと前に歩き出し、桂との距離を詰める。


「もう、いいの。そんな姿で誰かを傷つけなくてもいいのよ。元に戻って……先生達と、どこか違う場所で静かに暮らしましょう?」


 鈴見にも、人を殺めてしまった桂にそんな安息は訪れないことはわかっているだろう。

 だが、もし人に戻れても、犯した罪は消えない……。


 この世界の者達が彼らをどう扱うかはわからない。

 一人何処かへ引き離されて牢に繋がれるか、きつい裁きを受けるのか……こちらの司法がどう自分達に適応されるのか知らないアキには想像しようも無いが、恐らくろくなものでは無いだろう。

 何より、今どこにあるのかは知らないが、彼の腕にも《ケスラ》は嵌まっているはずだ……危険だと判断され次第処分される可能性もある。


 そして万が一そうでなくとも、彼と元通り普通に接してくれる人間などいまい……腫れもの扱いされ、苦しい思いをするだけだ。 


 それでも、鈴見は彼の為に出来るだけの事はしてやるつもりなのか。

 どうして彼女がそこまでするのかアキには理解できない。

以前にも、教師ぶるのは止めて一人の人間に戻るように言ったのに……彼女はそれを止めようとしなかった。あくまでもアキ達全員を生徒として守ろうとしている。その力を伴わない優しさは、とても悲しく思えた。


「さあ、そのままじっとしていて……先生が一緒にいてあげるから。時間が経てばきっと元に戻るわ。そうずれば……痛い思いや苦しい思いをしなくて済むから」


 鈴見の手は震えている……恐怖を感じていない訳が無い。

 それでも、感情を押し殺しながらもじわじわと前に進む。


 アキも彼を刺激しないように武器には触れず、手を上げたままゆっくりと歩み寄った……しかし――。


(……! 駄目だっ!)


 鈴見が彼の間近まで近づき手を伸ばした時時、アキは危険を察知して走った。


 

 彼女は気づいていないが、視界の外に高く降り上げられた二本の手がすぼめられ、振り下ろされる。

 アキは鈴見を思い切り突き飛ばし、片側を盾で受けたが、もう片方は脇腹をざくりと斬り裂いた。


「ぐうっ……」


 アキはその場に片膝を着く。

 硬い鱗に覆われた体が簡単に斬り裂かれた……致命傷ではないが、無視できるほど浅い傷でもない。


「桂君……もうやめて! 私達は敵じゃ無いの! あなたをただ連れ戻しに来ただけなの!」

『モドラナイ……オカダ、コロスゥ……ドコダ、ォオカダァ!! フォルルゥァア!』

 

 奇怪な吠え声と共に大きく振った腕に吹き飛ばされ、アキは鈴見の目の前に倒れ込み、鈴見がそれを庇おうと、両手を広げて前に出る。


『オマエラモ、キエロッ――!』

「《渦風護陣ウィール・ウィンド》!」


 今度は四本の腕全てを同時に振り下ろす桂。

 それよりわずかに早く、鈴見は防御スキルの詠唱を終えた。


 若草色の光のラインがアキ達の周囲を走り、そこから同色の気流が天に向かって立ち上る。

 鞭のようにしなった桂の腕がはじき返され、浅い裂傷を腕に刻んで怯む。

 一定領域内に侵入した対象を斬り裂き、弾き飛ばすような効果を持つようだ。


「攻撃を止めて! あなたを傷つけたくない……こんな風に戦うために来たんじゃ無いの! ねえ、苦しんでたのはあなただけじゃなくて……ここにいる須賀谷君だって、他の皆だって色んな事に苦しんでて……それでもあなたの事を放って置けないからここまで来たのよ!」


 風で髪を乱しながら鈴見は叫ぶ。


「私達にあなたの気持ちが分からないと思ってるかもしれないけど、そんな事無いの! 私だって向こうでは新米の教師で女だってことで、散々馬鹿にされたわよ! セクハラみたいなことや、陰湿な嫌がらせだって幾らだってあったし、親御さんから子供を誘惑してるなんてあらぬ疑いを掛けられたこともあったわ! どれだけ悲しかったか……いつも思ってた。どうして間違った人達の言葉がこんなに強くて、正しい言葉がこんなにも小さくて弱いの……悔しいって!」


 声を振り絞る彼女の周りからやがて風の壁は薄くなって消えたが、それでも鈴見は言葉を止めなかった。

 

「大人ですらこうなの! でもね、そういう人ばかりじゃない……誰かが手を差し伸べてくれるから! あなたの事を知ろうと思って、助けてくれる人は必ず現れるから。私だって、須賀谷君や他の皆だってそのつもりで来たのよ。あなたが苦しんでいたのがわかって、それを少しでも理解したくて」 


 鈴見の目元が朱くなり、じわりと潤み出す。

 

「たとえ、間に合わなくても……傷のなめ合いだって馬鹿にされても、来たかったのよ。だって、悔しいじゃない……もうここにはあなたの事知ってるの、私達しかいないのに。取り返しのつかないことをしてしまった事だけが記憶の奥底にだけ残って、誰にも何も残さずにその内に忘れ去られてしまう」


「だから話して、今ここで! あなたが苦しかったこと、辛かったこと全部を……ちゃんと聞くから!」


 桂の表情が、わずかに変わり始めた……今までうすら寒い笑みを浮かべていた顔が、今は何かにこらえるように歪んでいる。


  アキは彼女を無力で弱い人間だと思っていた、だが、本当にそれは正しいのだろうか?

 人の為に危険を顧みず我が身を投げ出し、必死で尽くした人の言葉に、本当に力は宿らないのだろうか。


 彼女の姿を見て、何の為にここに来たのかを今更に思い出す。

人からつまはじきにされたまま、失意のまま一生を終える……そんな悲しい事を止めに来たのだ。


「桂! お前だって見てただろ……僕が教室内でどれだけひどい目に遭っていたか。雨の中窓の外へズボンを放り出されて動画を取られたり、生きたまま虫を口の中に突っ込まれたり……港達の機嫌次第でいつでもサンドバッグにされていたよ。不幸自慢なんて反吐が出る……でも、お前にだから言う! 僕だってあいつらをどれだけ殺したいと憎んだか知れない!」


 アキも自棄になりながら力の限り叫ぶ。


「だけど……復讐を終えた後、僕らはどうすればいいんだ!? 苦しみの元を力づくで排除して、その時はそれで満足かもしれない。けど……それで何が帰って来るって言うんだ! 血塗れの手を睨みながら俯いて、どうしてこんな事をしなければならなかったのか、自分の運命を呪いながらそこでずっと蹲ってろって言うのか……誰がこんな風にしたのかって」


 拳を握り締め、どうしようもない憤りを地面にぶつける。


「苦しいよな……。自分の中に抑えきれない憎しみの気持ちがあって、それを何かにぶつけることしか、そこから逃れる方法が見つからない……。どうすればいいのかわからないくて……いっそ人を許してしまいたくても、もう一人の自分がそれを止める。矛盾で心が引き裂かれそうになって……お前ならこんな辛さもわかるんじゃないのか?」


 人を拒絶して、自分自身の奥底にある気持ちすら否定して、黒く濁った気持ちだけを抱いて送る人生に意味はあるのか。

 歩き出したいのに、前を向きたいのに、もがけばもがく程体は重く沈みこんでゆく。

 いつしかそれを無感動に受け入れて、光すら届かない底で膝をかかえ、終わりを待つ。


 それも仕方ないと思っていた……諦めていた、僕達にはそれしか残されていないのだと。

 けど、彼の姿を見て、自分の中の感情か消えていないのを知った。

 最初は苛立ち、怒りを経て……そして今は、ただただ悲しくて悔しい。


「不思議だよ……自分が苦しんでいた時はこんな事は考えられなかったのに……。ただの同情だって、そんな物はみっともないって周りは言うかも知れないけど、でもどうでも良い! ……僕はお前を助けたくてここに来たんだ! 同じように苦しんでいる奴だから!」


 アキは立ち上がって手を差し出し、もう一度桂との距離を詰める。


「今更かもしれないけど……僕達はお前の話を聞きに来た。どうしたらいいか、一緒に考える為に来たんだ、だから……」

『……ヨ、ヨルナッ!』


 桂の振り払う腕がアキを吹き飛ばし、その体が傷つけられる。

 だが、アキは立ち上がり、何度も桂に手を伸ばす。


 そして、その背中を鈴見も押した。


「桂君、本当にこのまま、あなたの気持ちが誰にも知られないまま終わっても良いの!? お願いだから、あなたの本当に望んでいた事を私達に教えて! 私達に背中を向けたまま消えてしまわないで!」

『……ダマれ……ウルサいィ』


 桂の声に変調が生じた……不気味な声のところどころに二重音声のように元の少年の声が重なって反響する。自我を部分的に取り戻しかけているのか……。


 だが、同時に彼は今までになかった攻撃に出た。

 周囲の空間に幾つもの拳大の濃い紫色の光球が浮かびだし、それはアキと鈴見を目掛けて飛来した。


「ぐうっ……桂っ! うあああぁっ!」

「須賀谷君……!」


 アキは腕を振るって幾つかの光球を叩き落としたが、数発が体にまともにめり込む。

 質量をもっているかのような衝撃に大きく鈴見を巻き込んで巨体が吹き飛ばされた。


 何とか起きあがったものの、右肩が動かず、口の端から血を流し散々な有様だ。

 整わない呼吸の中、鈴見の無事を確認すると、震える足で懸命に立ち上がり、なおもアキは桂に向き直った。


 アキの今の姿は、自分が疑問に思っていた鈴見の姿そのものなのかも知れない。

 だけど、これでいい……素直に今はそう思えるのだ。


「……そんなものを出して……自分で殴るのが怖くなったのか!?」

『……フザけルナ!』


 何度も襲い来る球体をアキは体を丸めて耐え、問いかけを続ける。


「どうなんだ……人を傷つけるのは、いい気分か? そうじゃないはずだ……本当はお前だってこんなことを望んでやしないのに。誰がお前にこんなことをやらせたんだよ!」

『ウるサイっテイッテルダろ、ダまレッ!』


 ノイズじみた桂の声は、感情が決壊しそうなのを抑えきれずに揺れている。

 そして、この姿になって初めてアキ達向かってに言葉を発した。


『ニクイ……にクイニクいニくイ憎いッ。ボクを苦しメた岡田モ、見てみヌフリをしテイたあいつらも……! 許せなイ! もう、止マれなイんだ! オ前も、そこの役タタズの教師も消エてしマえ!』


 今までにない気配が桂の体から発せられ、周囲に浮かんでいた紫色の光球が収束し、彼の頭上で人を丸ごと飲み込みそうなサイズの破壊球を生み出す。

 アキ達は言葉を失う……流石にあれが衝突すれば、生きていられるとは思えない。


 ここに来る前ならば、一目散に鈴見を抱えて逃げ出していた。

 けれど今、アキの足は、わずかたりとも後ろに下がろうとはしない。

 彼の姿から目を背けられなかった……そしてそれは、鈴見も同じのようだった。


「……逃げないんですか?」

「いいえ……今も、目の前で彼は戦ってるもの。最後まで見届ける」


 桂の苦しみの表情から目を逸らさずに、鈴見は迷いなく言い切り、アキは嘆息する。


「根性だけなら……先生は僕らの中で一番かもしれませんね」 

「あなたもね……。今更言えた事じゃ無いけど、巻き込んでごめんなさい……須賀谷君はもう皆の所に戻って……」

「馬鹿にしないで下さい、僕は自分の意志で今ここに立ってる……」

「ありがとう……」


 目の前で未だに膨張を続ける光球を前に、悲壮感の中にもどこか晴れやかな気持ちで、同じ視線を送るアキに鈴見は礼を言い、手を握った。

 その時、手のひらから伝わる暖かさが流れ込んで来て、内側の何かに触れた気がした。


「……桂君、人に分かって貰えないのは、誰にも自分を理解してくれないのは悲しい事よね。あなたをあなたとして認めてくれる人が、少しでもいれば……こんな風にきっと誰かの隣で笑えてたはずなのに」

『もウ、テ遅れなンだ……何も聞キたくなイ』


 桂は二人の姿から目を背けるように目を閉じる。

だが、構わずに鈴見は桂にも手を伸ばし、前に進む。


「いいえ、聞いて。これが最後だとしても……最後だからこそ私達は、あなたを一人では行かせない。このまま先に進もうというなら、私達の命を背負って行って」


 そしてアキは空いた掌を見つめた……それは驚くことに薄ぼんやりと金色の輝きを発しているように見えた。

 よく見ればそれは、アキだけではなく鈴見の体をも覆っている。

 二人を励ますように瞬く、木漏れ日のような光……それをアキは、悪いもののようには思えなかった。


(これが何なのかは知らない……でも何でもいい。何か力があるなら、彼を助けて欲しいんだ……頼む)


 ゆっくりとその手を上に向け、差し出す……桂に触れる為に。


『……僕に、触れるなァ――!!』


 アキと鈴見の指先が同時に桂に届きそうになった時、絶叫が迸り、球体が静止状態から解き放たれ、頭上から隕石のように振り落ちる。


 そしてそれが二人を飲み込む前に、桂の黒い肌に指先が僅かに触れた……。

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