《四話》拒絶

 昼を迎える頃には、もうそれは彼女達の中で作業のカテゴリに割り振られたようだ。


 目の中に今までになかった暗い濁りが生じ始めている。

 おそらく、自分の瞳はもっと濁った色をしているのだろうとアキは自嘲した。


 ひたすら《粘瘤バブ》を探しては四人で追い込んで殴殺おうさつすることを繰り返す。短い言葉での意思疎通だけで淡々とそれを繰り返す様は、十代の活発な少年少女がするにはあまりにもむごたらしい仕草に見えたことだろう。


 だが、遠くから見るマルバの顔は薄く笑っている。

それはどこか歓迎を表しているようでもあった。

 彼も察したのだろう、やっとアキ達が自らの意思で武器を取ったことを。


 暖かな日差しとは対照的な重く張り詰めた時間は行き過ぎ、やがて日が落ちる頃、セオはぼうっとした瞳で告げる。


「確認しよう。そろそろ全員がレベル5まで達したはずだ。もしまだの奴がいたら手を挙げてくれ」


 各自が《ケスラ》の情報データを参照し、安堵にその場に座り込んで行く。

 

 誰も挙手しない中で、イツミがぼそりと枯れた声で言う。三角に立てた両膝の間から覗く瞳は、死人のように生気が消えている。


「……そういえば、北上あいつ何やってんの? 全然戻ってきてないじゃん……誰か見かけた?」

「僕は知らない。二人は?」


 セオもカホも黙って首を振った。

落日がゆっくりと進む中、周りを見渡してもあの特徴のある癖毛はどこにも姿は見受けられない。


「マルバ……さん。メンバーが戻らない場合どうなるんだ? 何時までに揃っていなければならない?」


 監督官マルバは胸元のポケットから、分厚い水晶の板を取り出す。内部にに金属の配線らしきものがとぐろを巻いて重なり合うそれを、彼は静かになぞると表示された光点と文字に首をかしげる。


「あの縮れ髪のガキか? ……取りあえず死んではいないが、行動を停止しているようだな。規定時刻……後一時間ほどで戻らなければ、連帯責任だ。死亡が確認されていれば話は変わったがな」

「……ふざけないでよっ! せっかくあたしらは揃って条件を達成して……それがあのバカの行動で台無しになんの? 冗談も程々にしてよっ!?」


 マルバの話にイツミは憤怒を露わにし、喰って掛かる。

 コウタの自分勝手な行動で、彼女達の苦しみや覚悟が無に帰そうとしているのだ。

 その感情は当然のものだったが、状況と相手が悪い。


 わずかな鞘走りの音と同時にイツミの首に突き付けられたのは、鞭では無く直刀の切っ先だ。

 白い首筋まで後数ミリというところで静止したそれは、確かな技術を感じさせる。


「あ……」


 イツミがその場にへたりと尻を着き、首筋を押さえてマルバを見上げた。

その顔からは一筋の怒りも感じられず、意図しての威嚇いかくだったことが伺える。

 

「口を慎めよ。こうしてはっきり見せてやらねば忘れるかも知れんが、お前達の命はこちらが握っているんだ。同情には値するが、最初に言った条件を覆すことは無い。わかったら時間を無駄にせずにさっさと探しに行くべきだと俺は思うがな」


 この男達がこうしてアキ達の目付け役をしているのも、ろくに成長していない異世界人達なら単独で圧倒できる位の力量があるからなのだろう。


 座椅子代わりにしていた小岩から一挙動で行った立ち上がりざまの抜刀。

 目で追いきれない程の速さにセオも目を見張っている。すぐに剣は納めたが、構えは堂に入っており、正式な剣術の習得を匂わせるような鋭く洗練された動きだった。


 マルバの言葉に我に返り、アキは取りあえず方針を提案した。 

 

「探すしかない。周りの人にも聞けば、行き先の手掛かりがつかめるかも知れない……」

「それしかないだろうな……。マルバさん、この辺りの地形はずっと平原が続くのか? うかつに行って帰れなくなるような地形は?」

「これでも訓練地は安全に配慮して選定している。南側に一部崖は存在するが、落ちても死ぬほどの高さではない……身動きが取れなくなる可能性はあるがな。向こうだ」


 マルバが先程の水晶板をなぞり、首で方向を指し示す。彼はコウタの居場所をある程度把握しているのではないかと感じるが、どうも丁寧に教えてくれるつもりは無さそうだ。


 セオはそれを聞いて三人に手早く指示を出す。


「須賀谷、崖の方を頼めるか。俺は周辺を走り回って探してみる。女二人は周りの人間に聞き込め、どうせそんなに体力は残っていないだろう。もし捜索に協力してくれる人間がいれば頼み込むんだ」

「なんなのよ勝手に……。わかったわよ。行くよ見沢」

「は、はい……」


 残された時間はあまりにも少ない。アキが頷くと同時に、全員が散り散りに飛び出した。




 重たいはずの体が、嘘のように軽く感じる。


 流れる景色に目を向けながら、アキは野生動物のような素早さでひた走った。

どう考えても以前の自分の運動能力を大幅に超えている。

 たちまちのうちに立ち並ぶ天幕が遠くに霞んでゆくが、息切れも起きてくる気配はない。


 やがて……前方の地形に途切れが見えて来る。


(崖か……?)


 アキは急停止して、境目に歩み寄る。

 確かにそれ程の高さでは無いようだ……這うように体を沈め、崖下を覗き込む。


 左右を見渡すが……コウタの姿は見つけられない。

 ここにはいないのだろうか?


 いや、見落としがある可能性もある。アキは大きく息を吸って呼びかけた。


「……北上! いるか? 戻らなければ連帯責任で全員が労役を課せられるんだ、いるなら返事をしてくれ、頼むから!」


 腹の底から叫んだ声は、思いもよらず大きな声で辺りに響く。

数秒待って応答が無いのを確認すると、アキは仕方なく体を地面から引き上げようとした。


「うぅ……ぁ」


 微かな呻き声。

 アキはもう一度這いつくばり辺りを見回す。遮蔽物付近も念入りに見回すと、葉枯れした灌木かんぼくの陰に隠れて、白いスニーカーの先が見えた。

 位置を移動し、崖上から覗き込むと、内側にえぐれた岩棚にはっきりとその半身が見えた。崖下に潰れた粘瘤の跡がある。


「おい、どういう状態なんだ……上がって来れないのか?」

「クソ……助けが来たと思ったらよりによってトカゲ野郎かよ。他の奴を呼んで来いよ……」

「馬鹿を言うな。そんな面倒なことをする義理は無い。同じ班でなけりゃこのまま見捨ててやりたい位だ……自分で動いて降りられないのか?」


 悪態を吐く元気があるなら、命の心配はしなくて済みそうだ。だがコウタはそこから動く気配がなかった。


「足をやっちまってんだよ……! その位察しろカス!」


 アキは舌打ちした。

 相変わらず性根が腐っているとしか言えない物言いだ。

 岩でも落として永久に口を封じてやろうかとも思うが、感情を優先して放置することは今は許されない。


 ロープでも垂らしてそれを自分で胴体に縛らせ、引き上げることもできるだろうが、生憎手元には何も無い。粘瘤を詰めてどろどろに汚れた為、ザックの中身諸共置いて来てしまったのだ。


(崖下から昇るか……)


 アキは観念して脇道を下り、彼のさらに下まで移動することにした。

 コウタのいる場所から下までは、恐らく三メートルも無い。上から下るよりかは楽に回収できるだろう。


 丁度粘瘤の死骸が目印になり、辿り着いたアキは下から声を掛けた。


「北上、土台になるからそこから下に飛び降りろ。足が動かなくてもそれ位できるだろ」

「はぁ、ふざけんじゃねえ! 足が、折れてっかも知れねえんだぞ。動かさねえでも痛えのに、んなことできるかボケッ! 死ね!」


 こんな時でも口だけは達者に動く。彼が自発的に動く気が無いなら、もう崖を登って引きずり下ろした方が手っ取り早い。


 この男なら何かのはずみで死んでもさして心も痛むまい……そう思いながら、取っ掛かりに爪を引っかけながら、ゆっくりと岩場を登った。

 二、三回も体を引き上げれば、何とか岩棚のへりに手が届き、そこへ体をぐっと押し上げると、コウタはひっくり返った蛙のような体制でもがいていた。


「おせぇんだよ、カメかテメーは、ハゲが! あっちょおい、待て……ふぁあっ!」


 アキはコウタの体を担ぐとわざとそのまま飛び降りる。浮遊感の後、二人分の体重で地面に足跡を残すほどの衝撃が襲うが、足が痺れる程度で済んだ。


「……くぉぁっ……こっ、こぁっ……くぉぅ」


 そして予定通り、伝播でんぱした振動で痛めた足を存分に揺らされたコウタは悶え苦しみ、にわとりのように唇を尖らせて息を詰まらせた。

 哀れな姿に少しだけ溜飲が下がると、アキは巻藁のように彼を肩の上に担ぎ上げ、《錠》を操作して勝手に情報データを呼び出し、歯噛みした。


(……こいつは本当に悪い意味の方で予想を裏切らないな!)


 やはり規定数に達していない――彼の現在レベルは4、上昇には30前後、恐らく粘瘤バブ十体程の経験値が必要になる。本当に頼りにならない。

 落下の衝撃で未だ苦痛に呻くコウタを抱え直し、アキは走り出す。


「お、おい馬鹿、揺らすんじゃ……」

「黙れ馬鹿……足を捻り折るぞ」


 指で痛めた足を弾いてやると、再度また鳥のように鳴きだす。

 それはいいのだが、情報データにある時刻情報を見て、余分な時間はほとんど残されていない。


 周りに粘瘤バブは沢山いる。

 だが、肝心の戦闘に掛ける時間が無い、というかコウタ自身に戦闘できる余裕が無い。


 アキは思い立つ……泣こうがわめこうが強制的に戦闘させるしかないと。

あったのだ、何かの漫画でそう言うシーンが。今の自分になら実現できるとアキはそう確信した。


「北上……お前、しばらく《棒》な」

「……こほっ……こっ……何だ? 棒って」

「そうだな……それが不満なら、《大銀河宇宙聖剣コウタDXデラックス》とかでも何でもいいから、これ握って。両手で、そう」

「あん……? んだよ、どういう……」


 投げやりに言うアキはコウタの持っていた木製の短剣をしっかりと握らせると、折れた足首を持つのはむごいので、彼の膝の辺りを脇に抱える。


「よし、行くぞ、《コウタDXデラックス》」

「あ……? ああっ、待てっ! ああっ、あぁぁぁあぁッ――!」


 そして、アキは水平に構えた粘瘤の群れ目指して直進した。

瞬く間に団子の櫛のようになったコウタの腕とパーマの髪の毛が紫色に染まってゆき、喘鳴ぜんめいと共に叫びが水平線に木霊した。


「や、ごぼっ、やめっ……おごぇっ! 息っ……死――!」

 



 遠くに見えた拠点の前に留まる、幾つかの小さな人影。


「――須賀谷!」


 遠くから位置を知らせるように手を振る三人を見つけ、アキは速度を上げた。


 マルバの前で急停止すると、哀れ気絶したコウタの体を眼前に放り投げる。


「ふう……遅くなりました」

「酷い有様だな……何をどうしたらこうなるんだ。粘瘤に頭から突っ込みでもしたのか?」

「さあ。こういう人間のすることですから、良く分かりません」


 転がったコウタを足蹴にして止め、しれっとしらばっくれたアキにマルバは追及もせず、コウタの《ケスラ》を確認する。


「ふむ、確かにレベル5までの上昇を確認した。良いだろう……本日の労役は免除とする」


 マルバの言葉に、セオは溜めていた息を吐き出し、イツミとカホは満面に喜色を浮かべた。


「彼、足が折れているみたいなんですが、治療は出来ますか?」

「ああ、治療専門の衛生官がいるので連れて行く。お前らはもう天幕で休んでいいぞ。食事は中に用意してある」


 彼の短い呟きに応じて赤色の光が身を包み、不自然な程軽々と担がれた北上は荷物のように運ばれて行く。


「片手か……。《導術マジェル》とかいうの効果なんだろうね……魔法みたいなものかな」

「便利なもんだ……。しかし、よく間に合わせてくれたな、礼を言う」


 セオは堅くなりながらも、頭を下げ、同時に二人の少女も須賀谷を労う。


「……意外とやるじゃん。ちょーっとは、見直したわよ?」

「ありがとうございました……。なんだか信じられないです……須賀谷君が、北上君を助けるなんて」


 安堵と称賛の眼差し。

 だがそれをアキは背中で拒絶した。

 照れや謙遜けんそんなどではなく、明確で冷淡な否定の意思。


「……僕は僕の為に動いただけだ。悪いけど、そんな風に言うのは止めて欲しい。本当に不快なんだ……。はっきり言っておくけど、僕は北上も君達も許さない」

「ゆ、許さないって……もしかして、苛めのこと? そんなん仕方ないじゃん、皆港とかが怖かったんだし……」


 憎しみが灯したアキの視線が、三人に突き立つ。


「本当にそれで……強制されたなんて言い訳で僕が納得できると思う? そんなのは何の慰めにもならないよ。あくまで君達が僕を疎外して、心や体を痛めつけて苦しめた。たとえ直接手を出さなかったにしろ、だ。それを忘れるな」


 それだけ言い残し、アキは誰も寄せ付けない空気を纏いながら去ってゆく。


「……そんなん、今更どうしろってさ。あたし達に……」


 悲しそうなイツミの呟き。

 それはここにいる三人の心を表していて……途方に暮れながら、ここでの生活がやはり一筋縄ではいかないものになると、それぞれが額に皺を刻んだ。

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