プライスレス ストーン

いちはじめ

第1話 はじまり(胸騒ぎ)

 高校生の真希は、机の上に置いた長さ三センチほどの、かりん糖のような形をした灰色の石――多分、何か古生物の骨の化石――を、不安げに見つめていた。それは先月父が、中央アジアのとある国から送ってくれたものだ。父は大学の古生物学研究室の准教授で、世界のあちこちに出かけては、化石の発掘を行っていた。そして帰国予定だった今日、父は戻ってこなかった。それどころか、この一週間何の音さたもなく、こちらから送ったメールの返信さえもないのだ。そういうことはこれまで一度もなかったので、真希は云いようのない胸騒ぎを感じていた。

 また父と連絡が取れなくなったころから、通学路で誰かに後を付けられているように感じることが幾度かあった。父一人娘一人の家族で、そして今、父は不在。真希は心細かったが、ただ幸いなことに、父が留守の間の不用心を心配して、警備会社とセキュリティー対応の契約を結んでくれていたのが救いだった。四日前も学校から帰ってみると裏の窓のガラスが割れていたが、警備会社の人がすぐに対処してくれた。そんなことがあったこともあって、真希はいつも以上に戸締りに気を配っていた。

 真希が、この件を誰に相談すべきかと悩んでいる時に、不意にスマホのメール着信音が鳴った。父からかと思い、急いで確かめてみると、見知らぬアドレスからのものだった。件名に『お父様の消息について』とあり、真希は躊躇うことなくメールを開いた。

 差出人は、橋倉由衣と名乗っていた。父と同じ大学の仏文科の助手だという彼女は、真希のアドレスを、父から何かあった時のために、と教えてもらっていたという。そして肝心の内容は、真希のところに父から何か連絡が来ていないか、と父の消息を問い合わせるものであった。真希はそのメールが父の消息を知らせるものではなかったことに、ひどく落胆した。そしてメールには、父との関係性を証明するためのものだろうか、一枚の写真が添付されていた。その写真には、飲み会の席で、父と一緒にピースサインをしている二十代後半くらいの綺麗な女性が写っていた。

 母が亡くなって十年、父に恋人がいても不思議ではないが、これまでそんな噂は聞いたことがなかったし、その気配すらもなかった。自分のメルアドを知っていたこの女性が、何者なのか、そして父とどういう関係なのか、真希は思いを巡らしてみたが、答えなど出ようはずもなかった。父の不明に、新たに謎の女性の出現。真希の心の中に何か鉛の塊が降りていく感じがした。

 答えを求めても仕方がない、そう悟った真希は、現状を一度整理してみることにした。

 先ず父に何かあれば、真っ先に大学に連絡が入り、そして私のところにも何か連絡が来るはずだ。しかし今のところ、大学からの連絡は何もない。だとしたら発掘隊の他の人たちも帰国していない、ということなのかもしれない。前に一度帰国が遅れたことがあったが、その時は出国時の検疫で引っかかったものだった。今回も同じ問題が起こったのだろうか。いや、それなら何か連絡くらいは入るはずだ。発掘隊の全員が行方不明になったのか。

 打ち消しても打ち消しても頭の中に湧き上がってくる最悪の事態。駄目だ、この状況では、どう思案を巡らせてもすべて憶測の域を出ない。

 真希は再びスマホの画面上に開いた由衣のメールを見つめた。この大学関係者を名乗る由衣という女性に覚えはないが、少なくとも父とは何らかの接点がある。また大学関係者であるならば、彼女を通した方が有益な情報が得られる。本当に父と近しい人間であるならば、頼ってもいいのかもしれない。彼女の言っていることがすべて真実だと仮定した場合の話だが……。

 そう考えた真希は、メールに書かれていた番号に電話した。写真の中の彼女――この女性が由衣であるという保証はないが――の顔が希の脳裏に浮かんだ。

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