第2話 水玉ワンピースの少女
私に限ったことではないと思うけど、生まれたその時の記憶は、ハッキリ言って全然ない。
私の一番遠い記憶は、寝転がって、ほとんど動けないまま見上げている天井からつるされた、グルグル回る玩具の姿だ。
次に思い出せるのは、四つん這いで絨毯の上を這いずって、倒れては起き上がるを繰り返す、でっかいキューピーみたいな人形とひたすら戦っていたこと。
次の記憶は車の玩具にまたがり、とことん走りにくい砂利の駐車場と格闘していたことだ。
記憶の中の自分の年齢は分からないが、歩きにくさや頭の中身の素直さを考えると、恐らく3歳くらいだろうね。
そのころになってしまえば、意外と鮮明に覚えていることも多い。
例えば、駐車場の端になぜか置いてあったベビーバス。
それから、赤色の水生模様が鮮やかな、白い袖なしワンピースを着た、髪の長い少女の姿。
あの頃。
すでに私には弟が生まれていたはずなんだけど・・・この弟のことは、このあと起きるちょっとした問題のせいで、腹立たしいことにきれいさっぱりと、私の記憶から抜け落ちてしまったんだ。
とにかく、状況から考えると、どうやら恐らくまだ小さな弟を家の中で母が見ていて、暇を持て余した私は独り庭先で遊んでいた・・・と、大方そんなとこだと思う。
思う存分に暇を持て余していた私の元に、その水玉ワンピースを着た少女は現れたんだ。
私よりも頭一つ分背の高い彼女は、なかなかいい性格をしていた。
私はしょっちゅう、彼女にお気に入りの車を取られてしまい、心の中でこっそり頬を膨らませていたのを覚えている。
なぜ心の中だったのか?
その答えは簡単だ。
なんと言っても、その子は女子だったしそれに、顔が凄く良かったんだ。
超かわいい!!ってやつだ。
すっかり車を奪われ少し呆れて彼女を眺めていると、紙のように白い頬をぷっくりふくらませ、こちらをにらみつけてくる。
「いちいちこっちを見ないで!見てたって車は返さない!」
「だめ?」
「うるさい!しゃべるな!もう見るな!」
これは今も変わらないことだけれど、周囲のみんなが思っているよりも私は意外と打たれ弱いんだ。
だから実は、この時の彼女の言葉に私はかなり傷ついてた。
だけど、私が傷ついたことを知れば、彼女が嫌な想いをしてしまうかもしれないし、それに・・・たったそれだけの言葉でショックを受けたなんて知られたら、恰好悪すぎる。
恥ずかしいでしょ。
私は無言のまま、さっさとベビーバスの方へ移動した。
梅雨時だったこともあり、ベビーバスの中には雨水がたぷたぷと揺れている。
ちょっと細かいことは思い出せないんだけれど、そんなに離れていない場所にどうやら水のたまった何かがあって、そこにアマガエルのおたまじゃくしが群れを成していたみたいなんだ。
私は砂遊び用の小さなバケツを使い、小さな水たまりの中で真っ黒に水の淵を染め上げているおたまじゃくしの大軍をすくっては、ベビーバスの中に移していくことを繰り返し始めた。
自分だけの水槽に、ゆるゆる遊ぶ黒い彼らの小さな姿がどんどん増えていくのが酷く楽しくて、私はとにかく夢中になった。
元いた場所から、彼らをあらかた移動し尽くしてしまうと、私はようやく満足してベビーバスの中でうごめく黒いひらひらを、うっとりと見つめた。
浮いたり沈んだり、足が生えていたりいなかったり・・・ゆらめく黒はとても綺麗だ。
「ねぇ。何してんの?」
いつの間に来たのか、突然後ろから耳元に話しかけられ思わずびくりと身体をすくめると、彼女は楽しそうに私を
「あんたって本当に弱虫ね。・・・ねぇ、これなんなの?」
「・・・おたまじゃくし」
「ふーん。きれいね。」
「うん。」
珍しく意見が一致したことがくすぐったくて私はにっこり微笑んだ。
そんな私に少女は思い切り顔をしかめる。
「なんで笑ってんの?」
「おんなじ。きれい。・・・嬉しい。」
なぜ片言かと言うと、このころの私はほとんど頭の中身を言葉にすることが出来ないでいたからだ。
あまりにも幼すぎたんだろうね。
今こうして思い返してみれば、言葉に起こすことができるけど、当時は彼女にこれを言うのが精いっぱいだったんだ。
「あんたって・・・・・・本当につまんない。」
いつも不機嫌全開の彼女の
それからも庭に出るたびに、彼女はすぐに遊びにきてくれた。
相変わらずツンツンした態度は変わらなかったけど、なんだかんだ言いながら、結局いつも私のそばにヒヨコみたいにぴたりとくっついてきて離れようとしない彼女は、すごく可愛いかった。
にくめるわけがないよね。
それに、時々綺麗な花の咲いている場所をみつけてきてくれたり、たんぽぽの綿毛がいい具合になっているものがあるのだと知らせてくれたりして、笑顔を見せることも増えてきたんだ。
互いに微笑み合っても、もう彼女が私を馬鹿にしてくるようなこともなくなっていたから、一層彼女と過ごす時間が楽しみになっていた。
・・・・・季節が巡り、ベビーバスを泳いでいた小さな友達は、手足をはやしてさっさと出て行った。
わずかに残った緑色の水面に薄い氷が張りはじめるころになると、私の身長は少し高くなり、以前より彼女と目線が近くなったため、大分話しやすくなった。
その日は雨が降っていた。
私はせまい部屋の中で、大好きな図鑑を夢中で読みふけっていたんだけど、なんだか妙に胸がざわついて、なんとなく窓から庭を覗いてみたんだ。
凍えるような雨の中、うつむいて立ちすくんでいる彼女がいた。
こんな天気の日に・・・しかも私が庭にでていない時に彼女が遊びにくることはそれまで一度もなかったから、そこに彼女の姿を見つけた私は酷く驚いた。
引き止める母の声に「ちょっとだけ!」と叫ぶように答えると、傘をひっつかんで慌てて外へ飛び出す。
「かぜひくよ」
私が言うと、いつもならきつい言葉をしっかり選んで「うるさい!」とかなんとか怒鳴り返してくるのに、この時の彼女は珍しく無言だった。
どんよりと灰色の景色の中で、彼女の真っ白いワンピースは淡く光っているように見える。
その白いキャンバスにポツポツと描かれた赤は、目にとても鮮やかだ。
彼女のむき出しの肩は小刻みに震えていて、あまりにも心細い・・・・・・。
傘で雨を遮り「どうしたの?」と問いかけてみても、彼女からの返事は何も返ってこなかった。
「お母さん、心配するよ?」
私がそう言うと、彼女はピクリと身体を震わせ、うつむいたまま「帰る」と一言だけ告げた。
「また明日話そ?」
嫌がられるのを承知で、ダメ元で言ってみる。
通常モードの彼女であれば、「は?」「馬鹿じゃないの?」「うるさい!」なんて言葉が返ってくるはずだ。
調子のいい時だったら全部フルコースで力いっぱい投げつけてきてもおかしくない。
身構えていたのに、彼女は「うん。」とつぶやくようにこぼし、「家に入って。もう、帰る。」と言うと、そのまま出て行ってしまった。
そしてこれが、私と彼女が交わす最後の言葉になったんだ・・・・・・。
数年後。
ふいに彼女のことを思い出した私は、せめて手紙くらい出しておきたくて、母に彼女のことを聞いてみたことがある。
「水玉のワンピースを着た女の子?・・・誰の話をしてるの?あのあたりに子供はうちだけだったし、あんたいつも一人で遊んでたでしょ。」
あまりにも意表をついた母の答えに、言葉につまりそうになりながら、最後に会ったあの雨の日の話をしてみると、信じられない言葉が返ってきた。
「そういえば、あんたあの時、一人で一体何してたの?雨が降っているのに、傘をわざわざよけてさしたりして。」
私はそれ以上母に質問するのを止めた。
3つほど気づいたことがあったんだ。
一つ目は、あれほど一緒に遊んでいたのに、彼女に触れたことは一度もなかったなっていうこと。
二つ目は、真冬の雨の中、彼女はいつも通り、袖のない水玉のワンピースを着ていたということ。
三つ目は、彼女の服も身長も・・・出会ったころから全く変わっていなかったということ。
そして思ったんだ。
「あの真っ赤な水玉
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