それは使いつくされた演出だった。


 たちは駆けた。夜の港町を。


 攫われた特職少女たちの行方を求め、天才ネズミのシロカゲを頼った俺っち。


 数十匹の街ネズミの群れ……その数はどんどん増えてくる。その集団の先頭には、かん高い不思議な声で鳴きながら疾走するシロカゲ。群れの中央で走るマヌー。その背にはドクロの指輪を王冠のように被ったネズミ……俺っちが乗ってる。


「どこに行くんだ!?」


「倉庫街です!」


 シロカゲが答える。


 倉庫街か。港町には付き物の施設といえよう。前世日本のTVドラマだと、なんか犯罪がらみでよく出てくる場所だ。密輸やら麻薬取引やら銃撃戦とか。


 ……まさか、ブたちもそこに!?



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 部屋のカギを開け、すでに抜刀ばっとうしたまま入って来た大男を見て、フレーメは息を呑んだ。


「……ああっ、てめえら兄ィに何を! このヒトデナシめっ!」


 ドアの外に見張りがいることは判ってはいた。簡単に立てた作戦では、自分がドールヒと名乗った冒険者を始末したら、そいつのナイフを装備して、ブに頼んでひと芝居を打ってもらうつもりだった……


『大変です!ドールヒさんが急に倒れて!』


 とか適当なことを叫びながらドアを叩き、ドールヒがフォルと呼んだ男が慌ててドアを開け、そして武器を向けるまでの間に身体強化魔法ゾンダー・クアパーを唱えて隙を突くつもりだった。


 自分の口をふさいだ敵たちは、自分のスキルを知っているはずだ。こんなふうに一対一で対峙したら、恐ろしく不利だ。対人程度ではほぼ無敵でも一瞬で切れる身体強化魔法ゾンダー・クアパーは、そのスキルを知っている敵に初撃をかわされたら終わりなのだ。魔法を使うためには呪文を唱える、つまり手の内をさらすことが必要である上に、その唱える時間も必要だ。


 ましてや、すでに抜刀している相手だとしたら。


 それでも……


 改めて死を覚悟した赤毛娘が、それでも呪文を唱えようとしたそのとき。


「やめてぇっ!!!」


 突然、ブがフレーメとフォルの間に叫びながら割って入り、両手を広げて森熊のような大男を見上げた。緑の瞳を真剣な想いに光らせて。


 それは、作り物の世界では、使いつくされた演出だった。


 小さき者が、無垢な少女が、臆病な弱者が、その正義感と慈愛に突き動かされ、なけなしの勇気を振り絞って。


 絶対にかなうはずのない、絶対に判りあえるはずのない、強大な魔物に、独裁者の軍隊に、押し寄せる暴徒に、冷徹な殺し屋に立ち向かって。


 敵に向かってただ両手を広げ、無防備に堂々と立つ。


 すると敵はその勇気に感服し、あるいは自らの良心を思い出して、戦いを止め立ち去る。そんな結末でなかったとしても、事が終わった後に凶悪だったはずの敵がその小さき者を慈しむことに変わりはない。


 吟遊詩人の演目で、大劇場の歌劇で、おとぎ話で、ブの目にさえ触れるような教会の絵本に至るまで。


 それは、作り物の世界では、使いつくされた演出だった。頭の中に平和のシダ花が咲き誇るヒトには大層好まれる物語だった。この世界ナッハグルヘンのみならず、異世界チキュウであっても。


 だが、現実にそんなことが起きるだろうか? それが起こりうるからこそ作り物なのかも知れないが。


 はたして、目の前のおとこ、任侠を売り物にする冒険者は……


「クセぇブが、クセぇことすんじゃねえよ!」


 そう言ってゲラゲラ笑いながら剣を振り下ろした。


 ズバァァッ!


 剣撃を受けた白ゴブ娘の右の肩口から、滝のように血が噴き出した。華奢な身体はローブと共に斜めに切り裂かれ、その首が長耳と緑髪を舞わせて細い左腕と共に弾け飛び、続けて残りの肉がどうと倒れた。


 冒険者フォルは剣を持っていない左手で自分の腹を押さえて、ひぃひぃと笑い続け……を見た。


 見てしまった。


「なんじゃこりゃあ!」


 ブの首が、腕が、飛び散った血が。シュウシュウという音と共に時を巻き戻すかのように元の身体に引き寄せられ、くっついて健康な姿を取り戻す、その一部始終を……フォルは呆然と見てしまった。そしてフレーメの叫ぶ呪文を聞き逃した。


身体強化ゾンダー・クアパー!」


 バキャッ!


 突然、異音と激痛と共にぐらり、と身体が傾くのを男は感じた。かがんで死角に潜った赤毛娘が、バニースーツの耳を揺らして竜巻がごとき強力な回し蹴りを男の左膝に放ったのだ。


「ぎゃあああっ! 痛ぇ、痛ぇよお!」


 千切れんばかりに曲がった足は大男の体重を支え切れなかった。フォルは床に崩れ落ち、痛みに泣き叫び、股間を漏れた小便で濡らしながら、剣を放り出して転げ回った。その惨めな姿は、かつて小さき者クラインが見た、衛兵に捕らえられるときの冒険者ととてもよく似ていた。


 クラインが昔見た光景はもちろん冒険者が被害者ぶるための大げさな行動に過ぎなかったが、ギルドの下っ端フォルの場合はその冒険者特有の演技が癖になっていたのかも知れない。


 泣いている場合ではないというのに。


 仰向きに倒れて息をつくその分厚い胸に、ザクリと剣が刺さった。赤毛娘が室内剣を拾い上げて刺したのだ。フォルは思わず刀身を両手でつかんだ。強い握力と筋肉の壁にさえぎられて、剣はそれ以上食い込まなかった。


 それでもそれは、少女が普通の状態に戻ったときの全力だった。


 フレーメがもう一度、身体強化魔法ゾンダー・クアパーを唱えようとしたとき、その手の上に、別の少女の白く小さな手が重なった。ブの手だった。ふたりの特職娘は互いの目を見かわしてうなづき合い、ちからと体重を合わせて勢いよく室内剣を押し込んだ。


 美少女たちが持つ固く反り返った狂暴な武器は、大人の男の臓器をズン、と容赦なく貫いた。


「あひぃ……」


 冒険者フォルは白目を剝いて絶命した。ふたりの少女はしばらく腰を抜かしたように床に座っていたが、やがて手を貸し合いながらも決然と立ち上がり、剣とナイフを装備した。


 これは生き残りという物語の、序章にしか過ぎないのだ。


「ねえ、ブちゃん……さっき両手を広げて立ったとき、相手が本当にやめてくれると思ったの?」


「やめてくれても、やめてくれなくても……後はフレーメさんが何とかしてくれると思いました」


 そう言って白ゴブ娘はその刺青のある顔で微笑んだ。かつて小さき者クラインにその刺青を入れるよう促したときの、大輪の花が誇らしげに咲くような微笑みで。


 あの、頭の中がシダ花畑のような愚かに見えた行動は、仲間を信じて一瞬の勝機を創り出す捨て身の作戦だったのだ。


 フレーメはニヤリと笑った。


 ブは同僚の目を見て気付いた。誰もが持つ毒……同族のゴブリンですらブを見るときに視線に混じるさげすみという毒、フレーメも少しだけ持っていた毒が……いまや彼女のまなざしから完全に消え去っていたことに。


 ゴブリン族の白き忌み子、ブをごくふつうのヒト族として見つめるまなざしが、そこにあった。


 ご主人さまと同じように。


「あ、ちょっと待って」


 赤毛娘はそう言うと、白目を剝いたままのおとこの顔を踏んづけて、その態勢のまま開きっぱなしだった股止めを閉め直した。その姿を見たブは、ベッドのシーツの綺麗な部分をナイフで引き裂いて、斬撃でむき出しになってしまった胸を隠すようにローブの上から巻き付けた。


 ふたりの少女は、ドアの外、廊下を見回して無人を確認し、おそるおそる部屋を出た。これだけの騒ぎが起きたというのに、この建物に居る他のヒトは駆けつけてこないようだ。おそらくその理由は、元々ドールヒとフォル以外の誰もいないか……


 哀れな被害者が乱暴されて絶叫する程度の騒ぎでは、よくあることなのでまったく気にも留めないのか。


 そのどちらかであろうと思われた。


 ドアを閉める直前、ブはもう一度部屋の中を見回し、糞尿まみれで転がるふたつの汚物を見つめ、あの痛いような微笑みを浮かべて、呟いた。


「……臭いです」


 バタン、とドアが閉められた。



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 搬出を待つ荷物が眠る、深夜の倉庫街。

 その片隅の建物、普通サイズでも大きな倉庫のひとつ。


 そこに、シロカゲは俺っちたちを案内した。

 大扉の脇にある普通のドアを背伸びしたマヌーが開けると、ネズミ視覚でも判別できないような暗闇が広がっていた。いや、暗闇じゃない。目の前に帆布がカーテンのように垂れ下がっているんだ。


「陛下、この奥に民が集まっております。ぜひお言葉を賜りたく思います。彼らに王命を、特職女たちを探す命令を、改めてじかに下していただきたい」


「えっ」


 民って……ネズミだよなあ!?


「ちょっと待てよ、なんでそんなことしなきゃいけないんだよ!? まだお前らの王様になるなんて言ってないだろ!」


「彼らに命令できるのは、陛下だけでございます。拙者にできることは、集めて、伝えるところまで。そう申し上げましたが……」


 ああっ、確かにこいつ、そう言ってた!

 だから頭のいいヤツは嫌なんだよ!


「実際に動くように命令できるのは王のみ。拙者は王ではございません」


「……判った。じゃあ、今だけ。今夜だけだかんな。お前らの王になるのは」


「今はそれで充分でございます。では……CHUUUuuu!」


 シロカゲが不思議な叫びを上げると、ネズミどもが帆布を左右に引っ張り、その奥の光景を露わにした。


 そこに見えたのは……


 星空、だった。


 真っ暗の部屋の中、またたく無数の赤い星。いや、それは星じゃない。眼だ。ネズミの眼だっ!


 暗闇の中、無数のネズミが眼を光らせている!

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