腹黒のケットシー

 ハイエルフとの対決を控えて、その前段階として冒険者ギルドに忍び込んだだったが……


 結果は、忍び込むどころか、大騒ぎを引き起こしてしまった。反省したが後悔はしていない。ぷっ、ヤツらのあの顔ときたら!


 ん?


 俺っちをここまで載せてきてくれた、ケットシー族のマヌーがいない。ギルド建物のすぐ脇で待っていてくれるはずだけど……


 ……殺気!


 ネズミ感覚で危険を感じ、すばやく横跳びをした。はたして巨大な影が、俺っちの居た場所に襲いかかるように降り立った。デカ猫、マヌーだ!


「シャー!」


 マヌーが俺っちに怒りの顔を向けた。その背後の建物から、冒険者どもの怒声や何かが壊れるような音が鳴り響いている。


「……すぐ出てくるって言ったくせに、何やってたんニャ!」


「いや、ごめんごめん、つい……」


 マヌーは、ギルドに侵入する前に預けた魔包リュックを、俺っちに投げつけ、くるりと背を向けた。


「もういい、ネズ公。乗れニャ」


 ううっ、険悪……

 やらかした自分がはずぃよぉ。

 さっきまでの高揚感がシオシオと消えていく。


 リュックを背負いなおした俺っちが、その背に跳び乗ると、マヌーは走り出した。目的地は近い。三階建ての建物、町いちばんの高級宿屋だ。その物陰にたどり着くと、デカ猫は水たまりに俺っちを振り落とす。


「ネズ公、とっとと行けニャ。美しきハイエルフ様がお待ちかねだニャ」


「……ちょっと待ってくれよ」


 背中の魔包リュックを降ろし、ずっしりと重い財布を引きずり出す。鼠形態ラット・モードでなければとても持てない。


「これ、渡しとく。もし、俺っちが戻らなかったら……マヌーにやる」


 べ、別にご機嫌取りなんかじやないぞっ。こうすることは、教会を出る前には決めていたからな。それに、マヌーの協力を計算に入れてなかった当初の計画じゃ、ここまで来た時点で明け方になってたはずで、成功率はうんと低くなってた。は今のこいつのこと、本当に頼りに、そして……


「へえ……」


 闇の中、ネズミ視覚で、デカ猫の目がギラリと光るのが判る。


「ネズ公、お前が中に入ったらすぐ、おいらはこれを持ってとんずらするニャ。どこか遠くの町で、このカネで面白おかしく暮らして、お前のことなんか思い出しもしないニャ!」


 俺っちはマヌーの顔を見た。


 けわしい目つきだけど、泥がはねていて、いつも以上にマヌケ顔だ。それから、ずぶ濡れで、急に細くなったように見える手足を見た。汚れて真っ黒になった腹を見た。


 いつもは三つ揃いのスーツを決めて、手にインクがついただけで騒ぐ潔癖症の猫が、今は、みじめに薄汚れているその姿を。


 俺っちは見た。


 みぞれ降るなか走ったら、こうなるなんて、誰にだって最初から判ってたはずだ。それでも……


「冗談言うな」


 ううっ、恥ずかしすぎる台詞だけど、でも言わなきゃ。


「お前はそんなことするヤツじゃない。きっと待ってくれてるって……信じてる」





「……ふん。死ぬニャよ、


「そうする」


 俺っちは駆け出した。


 裏の勝手口のあたりから侵入するとき、振り返った。マヌーが見つめていたので、俺っちは握った手の親指を立てた。


「ニャ?」


 その仕草しぐさの意味が判らず、デカ猫は首をかしげた。





 宿屋の中に入ってすぐ、俺っちはギクリと身を震わせた。


 赤い仮面をつけた、鎧姿のひとりの兵士……ハイエルフの私兵、紅の騎士クリムゾンが、勝手口を警備していた。その右手は、腰に下げた剣のつかに添えられていた。その口には、小さな笛がくわえられていた。全体的にカッコいいぶん、笛がマヌケすぎるよな~


 さっそく、の効果を確かめるチャンスだぜ!


 俺っちはゴクリとツバを飲むと、音を立てないように騎士の前に出る。もし、ここでこいつが何らかの反応をすれば、すべての作戦は失敗。俺っちはスコスゴ退散せざるを得ない……いきなり殺されなければ、だけど。話に聞くこいつらは、恐ろしく強いそうだ。ネズミ感覚でも、こいつらの本気度や脅威度は最高レベルだ、と、ビンビン感じるぜ!


 赤い仮面がこちらを向いた。





 そして、また別の方向を向いた。


「ふう……あっ!」


 しまった、思わず声が出た……が、騎士は特に気付いたふうもない。よし、かすかな音なら大丈夫のようだな。次はどうだ。


 俺っちは騎士の足元にすりより、その鎧に触れる……!


 紅の騎士クリムゾンの右手が、ピクリと動いた。





 そして、そいつは自分の口元をポリポリと掻いた。


 もういい。とりあえずこれで充分だ。後は本番だぜ!


 俺っちは壁を駆け登った。それなりの気配を振りまいたと思うが、紅の騎士クリムゾンの笛は鳴らなかった。


 ハイエルフの「習性」を考えれば、あいつは最上階、3階のいちばん大きな部屋に泊まっているはずだ。ときおり廊下や階段を、警備してる騎士たちが歩いていく。やっぱりヤツらは俺っちに気付いていない。他の宿泊客たちはきっと慌ててチェックアウトしたんだろうな~


 お気の毒だぜ。


 いないのは、ヒトだけじゃない。ネズミもいないようだ。まあ、田舎とはいえ一流ホテルだからな。それなりに駆除してるんだろう。もっとも、ネズミがいたとしても、今の俺っちには


 俺っちは、紅の騎士クリムゾン相手にの効果を確認しながら、床の割れ目、床下、柱の陰、天井裏を駆けていく……



 この効果に気付いたキッカケは、ハイエルフの言葉だった。俺っちの居た鳥カゴを指して、「カラの鳥カゴ」とあいつは言った。


 そう。あのハイエルフは、なぜか俺のことが見えてなかったんだ。


 ここからは、一座の仲間にも話した、俺っちの推理になる。


 あの妖しい小箱……その中に入っていた指輪を、ハイエルフたちはずっと探していたようだ。彼らほどの魔法テクノロジーがあれば簡単な仕事のはずなのに、なぜ、いままで見つけることができなかったのか。


 それは、ハイエルフや、その眷属の紅の騎士クリムゾンや、彼らが持つ魔道具からの、目をあざむき……その視覚や探知能力を妨害して、があったからじゃないのか?


 あの、隠されたバスケット・ケースの把手についていた、三つの魔付ボタン。


 ひとつ目は、魔包ボタン。

 ふたつめ目は、ネズミ除け、名付けて「ラット・ジャマー」ボタン。

 みっつ目は、正体不明のボタン。


 その、正体不明ボタンの効果こそ、ラット・ジャマーのように、ハイエルフの探知を妨害ジャミングするパワーじゃなかったのか? だから、ヤツは俺っちのことが見えなかったんじゃないか? ハイエルフの前にいたあのとき、そのボタンは、俺っちの衣装袋に入っていた。今は、ラット・ジャマー・ボタンと一緒に、背負ったリュックの中にある。この推理を確かめるには、ヤツらの実際の反応を見るしかない。


 そして、紅の騎士クリムゾン相手に確認できた限りでは、この推理は間違ってない。後は、ぶっつけ本番で確かめる必要がある。


 それにしても。


 状況から考えると。この、ハイエルフ・ジャマーとも呼ぶべき魔付ボタンは、ハイエルフが口にした(口が軽いのは絶対の自信があるからなんだろう)「数字で呼び合う者たち」とかいうヤツらの敵対者が用意したモノなんだろうな。あの指輪を隠すために。


 敵の敵は味方。だといいな。そう、なんとかして、数字で呼び合う者たちとやらに会えないもんかな~


 ハイエルフがいるであろう、ふたりの護衛がドアの外に立つスイートルーム。その奥の寝室、その天井裏に、着いた。


 ん?


 あっ。


 ああっ!


 俺っちは、致命的なミスをおかしたことに気付いた。

 準備不足だっ!


 どうしよう……





 おしっこが、したい。


 適当な物陰で、済ましておけばよかった!

 引き返すか?

 いや、ここまで来れたのも、奇跡みたいなもんだ。ハイエルフ・ジャマーだって、いきなり使えなくなっても不思議はないもんな。


 ええい、もういい。ヤケクソだ。クソではないけど!

 しかたがない。ここはガマンしよう。

 漏らしてしまったら……ううっ、恥ずいけど、でも、それだけだ。


 ってホント、物語のヒーローから遠い存在だよな~

 こんな情けないピンチ、そうそうないよな~


 気を取り直して。


 できるだけ、まあ、そのことを考えないようにして、天井板の隙間から、下をのぞく。真っ暗な寝室の中、大きなベッドに誰かが……ほっそりとした人物が寝ているのが、ネズミ視覚で判る。


 ん?


 何か、変だ。尿意とは別に。

 何が変なのかよく判らないが、とにかく部屋の中が、変だ。

 あって当然のものが無いような、変な感じがする。


 だけど……危険な感じ、ではない。


 それなら。

 思い切って、俺っちは床の絨毯の上に飛び降りた……





 そのとたん、部屋が明るくなった。


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