1-11 クロックノックの特別講義

 ばあやの「寝かしつけ」が終わって消灯されてから、リナリアはのそりと起き上がった。手元の灯りをけて、机に向かう。クロックノックがカーテンを開けて、雪明かりも取り込んだ。

 書き取り用のノートを開いてペンを手に持つ。半分ほどまで拙い文字で練習した形跡があるが、もうこのノートを書き取りの練習に使うことはないだろう。

「今朝、概要はお聞きしましたけれど……まだわからないことがたくさんあります。今後のためにも、はっきりさせたいところがいくつかあるのですが……」

〈うむ。良いぞ。言うてみよ〉

 ノートにふっくらした小鳥の絵を描いた。

「クロックノック様は、神霊……と伺いましたが、わたくしを助けてくださったそのお力と、今の状態でできること、あのペンダントにまつわる過去のお約束を改めて教えていただけませんか」

〈ふむ、確かにその辺の理解は必要かのう。レガリアの者たちは魔法や人間の他種族についての理解が浅いからの。特別講義をしてやるとしよう〉

 クロックノックは胸を反らして、体を大きく見せようとしているらしかった。その仕草が可愛らしかったので、リナリアはノートの隅にこっそりスケッチした。


〈エルフやドワーフ、ケット・シーといった種族と同じように、精霊という種族がいるのは知っておるじゃろう。人間よりも魔力を多く持つと言う点では共通しておるが、エルフらの身体構造は人間に近いのに対して、われらの構造は植物に近い。具体的には自然界に漂う魔法素を直接体に取り込めば生命が維持できる。


 通常、魔法というのは自分に適性のある魔法素を使用して発動する。これは人間も精霊も同様じゃな。火・土・水・風・雷の五種類に対応した精霊がおるわけじゃが、そのさらに上位存在がわれのような「神霊」というやつじゃ。ちなみに自分で「神」を名乗っとるわけじゃないからの。一般精霊がそのように称していたのが通称になってしまったんじゃ。

 「神霊」は単体でこの世界のことわりに干渉できる力を持つ。だから普通は精霊界から出ることがなく、その存在を知る者も少ない。そして、「神霊」の属性は「光」「闇」「無」の三種類じゃ。

 われは光属性で、時を司る神霊というわけじゃな。われができる大きな魔法は二つ。【未来視】と【時間移動】じゃ。どっかで言うたが、魔力次第でできる範囲が決まる。特に、【時間移動】は魔力をめちゃめちゃ消費するのじゃ。神霊仲間に知れると面倒じゃし、リスクもあるから滅多に使わん。お前の場合は、魔力適性がわれと同じ光属性だったのが幸いしたな。あのペンダントに籠めておいた魔力にお前の潜在魔力が加わってなんとかここまで時を渡れた。

 で、今できることといえば、【念話テレパシー】、【隠遁いんとん】、【魔法素の探知】……蓄えた魔力次第では【未来視】もできるようになろう。【時間移動】もできんことはないが、お前に関してはもう出来ん。一人につきチャンスは一度じゃ〉


 カリカリとクロックノックが言うことをノートにまとめていく。大変な状況ながら、新しい知識が増えることに少しワクワクしていた。今まで学ぶ機会のなかった、魔法世界のことを知れば、バーミリオンに近づけるような気もして。


「……ありがとうございます。わたくしの魔法適性というのは光属性だったのですね。初めて知りました……。ええと、それで、わたくしたちのご先祖様とのお約束というのは……」

 おずおずと尋ねると、クロックノックは、フンと息を吐いた。

〈そりゃプライベートなところじゃから内緒じゃ〉

「うう……そうですか……残念ですが、個人的なことならば仕方ありません……。あ、でも一つだけ。その頃、レガリアでは魔法を忌み嫌ってはいなかったのですか?」

 クロックノックは腕組みをしたようだった。

〈そうじゃな。まあ、正確にはレガリアの歴史が始まる前の話じゃからな。当時はまだ国も別れていなかった〉

「建国前ということですか?」

〈うむ。まだアルカディールと一つだった時代の話じゃ〉

「では、聖典以前の話でしたか……それは、途方もなく前の話のように感じます」


 レガリアとアルカディールは、元は一つの国だったと言われている。魔法に関する認識の違いで二つに分かれたのだ。それは、両国の宗教は魔法についての教えが真逆なのに関わらず、リリアという共通の女神をいただいていることにも象徴されている。矛盾した二つの宗教は【リリア教アルカディール派】、【リリア教レガリア派】として互いの存在を認めず、よく対立している。


〈言うてもせいぜい1000年とかじゃろう。そう大して昔でもない〉

 実際途方もない年数で、リナリアは目をぱちぱちさせる。

「クロックノック様はおいくつなんでしょう……」

〈精霊界と人間界では時の流れが異なるからの。とはいえ、そのあたりは内緒じゃ。「妙齢」ということにしといてくれ〉

「わかりましたわ。むやみに年齢を尋ねる行為、ご無礼いたしました。後は……そうですね、わたくしの知らない未来について、どの程度まで教えていただけるのでしょう」

 クロックノックは首を傾げて唸った。

〈難しい質問じゃ。そこはお前の魔力との交換や、提示する条件次第では考えてやっても良い。それと、われの【未来視】というのは必ず起こる未来を見る魔法ではなく、「いくつかある未来の中から、その時点で最も起こり得る未来」を見る魔法じゃということを忘れないように〉

「ええと、見た未来は確定ではない、ということでしょうか」

〈その通り。今朝話した「レガリア滅亡の物語」も、こうしてお前が過去に戻ったことで歴史じゃ。「過去に戻った」と言っても今まであったことが無かったことにはならん。は、お前が死ぬはずだったあの瞬間のにあるのじゃ。お前以外はあの瞬間に、あるいは自分が死んだ時点に情報を置き去りにしてに来たということ。お前の5歳の誕生日時点の世界の情報を丸ごと写して貼りつけたとも言えるかのう〉

「……それは、本当に世界自体が変わってしまっているということ、ですか」

〈そうじゃな。われはすごいからな〉

 リナリアは、ノートの小鳥の絵にキラキラした模様を追加しておいた。

「では、新しい世界では未来はまっさらなのでしょうか」

〈いや、以前に起こったことというのは大抵起こるべくして起こっている。人の生死については特にな。「その時点で最も起こり得る未来」というのはそうそう変わるわけではない。じゃが、やはり絶対ではなく、些細なことの積み重ねが未来の行き先を変えることもある〉

 人の生死、と聞いて、ばあやや両親のことが浮かんで、どきりとする。しばらく何も言えないでいると、クロックノックが肩に飛んできてリナリアの頬をぽふっと叩いた。

〈まあそう暗い顔をするな。われは今回の世界を結構楽しみにしておるんじゃ〉

(そうだわ。もしかしたらみんな助けられるかもしれませんし、少なくとも後悔しない選択を取ることはできます。それだけでも十分恵まれていますよね)

 リナリアは決意を新たに大きく頷いてみせた。

「はい!」

〈良い返事じゃ。差し当たって、お前に一つの提案をしよう〉

「提案……?」

 クロックノックは片羽をリナリアの鼻にむけてビシッと突きつけた。


〈リナリア、お前はどうにかして【精霊師】になれ〉


「精霊師……?」

 またしても知らない単語が出て、首を傾げる。クロックノックは突きつけた羽をガックリと下ろした。

〈そうじゃ、お前は知らんのじゃった……。精霊師というのは、精霊の魔力や魔法を引き出すことに特化した魔法職じゃ。自分で魔法を使うのではなく、契約した精霊に魔力を譲渡し、発動された魔法を調整する。われの魔法を引き出したいお前と、お前の魔力を補充したいわれ、両者にとって美味しいというわけじゃ!〉

「わぁ……さすがクロックノック様です」

 ぱちぱちと手を叩く。自分が「魔法使い」になる図を全然想像はできなかったけれど、具体的に目指す目標ができるのはありがたかった。

〈問題はそれをこの魔法禁止国でどう学ぶか、というところじゃがな。まずは魔法の基礎を学べる環境を作る必要があるじゃろう〉

 リナリアは口元に手をやり、しばし思索した。

「……お父様やお母様に反対されるのは明らかですので、難しいですけれど……不可能ではないと思います」

〈ほほう〉

 カリカリとノートにペンを走らせる。

「我が国は魔法が禁止されています。それはつまり、魔法を使っていないか確認する機関があるということです。それが、このレガリアで唯一魔法を扱う場所──【魔法検閲所】。城内にも、魔法検閲官だけが閲覧を許される書庫があったはず。そこに出入りできるようになれば、わたくしの立場でも必要な情報が得られると思います」


 レガリア国内では、あらゆる試験において「魔法による不正」がないかチェックされる。例えば、騎士登用試験、王宮付きのメイド・侍従などの試験など王城に近いものほど念入りに行われる。

 一応専門職ではあるが、魔法の取り締まりをする魔法検閲官と魔法を禁止する教えを説く聖職者は相性が良いため、地方では神官が検閲官を兼任していることも多い。


「わたくしが検閲官になるのは難しいでしょうけれど……まずは社会勉強という名目で出入りできるようにしたい……ですね……神殿経由でなんとかならないか……というところでしょうか……。時間を……作るために、現在……習っている……座学・ダンス・礼法などの……レッスンもクリアしておかないと……」


 ノートの文字が歪んでくる。子どもの体の限界が来たようだった。ここで寝落ちてしまっては、朝この計画書が明るみになってしまう。ひとまず上に何冊かカモフラージュの本を積んだ上で引き出しにしまっておいたが、また隠し場所を考えるか、処分する必要があるかもしれない。

「ふぁ……。クロックノック様、わたくしはそろそろ……」

〈うむ、そりゃ、疲れとるじゃろうな。今日のところは寝るがいい。風邪をひくなよ〉

 灯りの始末をしてベッドにもぐる。クロックノックが小さなクチバシで布団を咥えて首元までかけてくれたのが気持ちよかった。お礼を言おうと思ったけれど、まぶたの重さに負けてしまった。

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