1-9 雪用の馬車
進み出たグラッセン子爵を一瞥して、父王は一つ頷いた。
「……グラッセン子爵か。娘の関心ごとについて何か心当たりが?」
「は。リナリア姫は私どもの領地の文化に関心をお持ちくださり、お忙しい中、愚息や私に色々とご質問などをなさいました。未知の文化をよくよくお知りになりたいという知的好奇心は、非常に素晴らしいことでございます。我が領地には雪が残っておりましたので、こちらにはちょうど雪用の馬車で参上いたしました。もしよろしければ……予備に持ってきていた蹄鉄と車輪を姫様の馬車にお付けいたしますが」
ディートリヒが一礼して進み出て、布包みを開けてリナリアに見せる。それは本当に素朴で、一見には何の変哲もないU字型の鉄塊であった。リナリアはちょこちょこと近づいて、蹄鉄を一つ、両手で持った。予想していたより大きくて、結構重い。
「ふっ、普通の蹄鉄とは、彫り方が異なります! えと、ちょっと大きめに作っているので、馬の足に合わせて、削ります! ぴったり合わないと、人間で言うところの、靴ズレ、みたいになって、馬が痛がってかわいそうだから……」
「ディートリヒ様、ありがとう!」
リナリアはニコッと笑って、蹄鉄を持って父の所へ見せに行った。
「おとうさま、わたくし、これがいいです! ここの模様、お星さまみたいできれいなんだもの。こちらは波みたい。車輪にもね、模様が彫ってあるんですって。わたくしの馬車についているところが見たいんです。おとうさま、おかあさま……」
母は、「春先に雪用の馬車……? て、テイテツ?」と、まだ理解が追いついていないようだった。父は腕組みをしている。専門の品とはいえ、子爵家の「予備のパーツ」を王女へのプレゼントとして決めるのはいかがなものか、といったところだろう。
重い沈黙の時間に、諸侯たちもまた緊張感と共に成り行きを見守った。グラッセン子爵も、また汗をかいている。
「……雪だ!!」
静寂を破ったのは、グラジオの大きな声だった。グラジオは一番近くのバルコニーにずんずんと近づいて、両手を広げる。
「父上、雪が降っています! いつの間にか、すごく寒い!」
リナリアはホッと息をつく。予想していた通りの時間に降り始めてくれた。兄の近くにバーミリオンを探す。
バーミリオンは、グラジオを追ってバルコニーの側にいた。嬉しそうにはしゃいでいるグラジオと違い、真剣な表情でじっと空を見ている。その心情までは、読み取れなかった。
「……そうか。このタイミングで雪が」
父の声にハッとして、視線を戻した。両手を合わせ、お祈りのポーズで父の裁定を待つ。
父王は、「ふう」と息をついて口角を上げた。
「この季節外れの雪。これも女神の啓示やもしれん。ここは一つ、姫のわがままを受け入れてやるとしよう。グラッセン子爵、すまぬがリナリアの希望通りにしてやってくれるか」
「喜んで、陛下」
グラッセン子爵が一礼し、バルコニーを見て呆然としたままのディートリヒを小突く。ディートリヒは、慌てて深々とお辞儀をした。
「では、これにてパーティーはお開きとさせてもらいましょう。この天候です。不都合があれば遠慮なく滞在していただいて構いません。適宜、侍従にお申し付けを。リナリアは、グラッセン子爵に付いて勉強すること。自分で決めたことならば、最初から最後まで責任を持って見届けなさい」
「……はい! おとうさま」
重い緊張感から解放され、リナリアは大きく深呼吸をした。足が少し震えている。王が去ったのを確認して、ディートリヒがおずおずとリナリアの側に来た。
「リナリアさま。エスコートをさせていただいても、よろしいですか?」
「あっ、は、はい! ありがとうございます。ディートリヒ様」
ディートリヒと、グラッセン子爵と共に、庭園の傍にある馬車止めへ向かう。
「グラッセン子爵、ディートリヒ様、改めてありがとうございました。お二人のご助力がなければ、わたくしのお願いは叶いませんでした」
「いいえ。リナリア様は、愚息を助けてくださいました。その優しさへのお礼代わりになれば……」
(元はと言えばわたくしが声をかけたから注目を浴びてしまわれたのだけれど……)
事故だったとはいえ自作自演のようで少し胸が痛んだが、今後のことを考えると、感謝されるに越したことはないので、特に否定も肯定もしないでおいた。ディートリヒは、蚊のなくような声で「ごめんなさい……」と言った。
「すごく美味しくて、きれいなお菓子がたくさんだったので……領地の弟や妹に持って帰ろうと思って……」
そういえば、北方はあまり豊かではなく、領主であっても他地域の貴族に比べると慎ましやかな生活を送っていると聞いたことがある。グラッセンの子どもたちも、色々と我慢することが多いのかもしれない。
(たとえば、グラッセン領は「魔法」が使えるようになるとかなり助かるのでしょうね。レガリア滅亡の綻びは、各領地にもあるのかもしれない。国の基盤をしっかりしておけば「民を救う」という大義名分が広く通らなくなるし、バーミリオン様も侵攻を諦めてくれないかしら……)
「招待先で出た菓子を持ち帰るなど子爵家の世継ぎとしてただでさえ恥ずかしいのに、お誕生日の王女様のために用意された菓子を包んで帰るやつがあるか!」
ディートリヒはまた小突かれた。涙目になっているのが可哀想になってきた。
「弟さんや妹さんがいらっしゃるのですね。わたくしにも、一つ下の妹がおりますの。下の子が喜ぶお顔を見ると、幸せな気持ちになりますよね」
「……失礼、リナリア様は5歳、でいらっしゃいましたよね」
グラッセン子爵に確認されて、ビクッとする。子どもらしくするのをすっかり忘れていた。
「あ、は、はい。リナは5歳です」
「さすが、王城のご教育は違う。うちには六人子供がおりますが、リナリア様はもう立派な淑女ですな。ディートリヒにも見習ってもらわなくては……」
その時、後ろから誰かが走ってくる足音がした。
「リナー」
グラジオだ。振り返ると、バーミリオンも少し後ろを走っている。魔法で身の回りのことをできてしまうアルカディール国民は、レガリア国民よりも体力が劣る傾向にあり、それはバーミリオンも例外ではなかった。成長してからは、走る姿さえ見たことがない。
(はあ……バーミリオン様、少し運動がお得意でないところも可愛らしくて魅力的だわ……この頃はまだお兄さまを追って走ることもあったのね……)
あっという間にリナリアたちに追いついたグラジオは、グラッセン子爵の前で背筋を伸ばし、一礼した。
「ご機嫌よう、子爵。自分たちも一緒に北方の文化を学ばせていただきたいのですが、よいでしょうか!」
「もちろんです、グラジオ王子。それに、隣国のバーミリオン王子、ですね。どうぞ楽になさってください」
「は…はい……すみません。急なことで……」
バーミリオンは息を切らせながらようやく追いついた。当然ながら、バーミリオンとグラジオの従者も付き従っている。グラジオが、少し屈んでリナリアに話しかけてきた。
「雪用の馬車なんておもしろそーだからな。絶対見たいと思ってさ」
バーミリオンはぱたぱたと手で顔を仰いでいる。顔を見ると、どうしても心が焦ってしまう。
「あの……グラッセン子爵。付け替えにはどのくらいのお時間がかかりますか」
「そうですね。王城の設備と人手もお借りできると伺っておりますので、さほどかからないかと。調整次第でしょうか」
リナリアが『今日がいい』と言ったことを思い出してか、グラッセン子爵は少し笑ってそう言った。
「リナ、好みが渋いなあ。人形とか、そういうのをねだるかと思ってたのに」
「リ、リナリア様は……趣味がいいです。馬に詳しくなるのは……良いことです」
遠慮がちに発言したディートリヒを、グラジオがまじまじと見る。
「ディートリヒ、馬が好きだったのかあ! じゃあ、意外と騎士に向いてるかもな。ジンバイッタイになるのって大事だって聞くし」
(お兄さま、意外は失礼ですよ……)
内心ヒヤヒヤしながら兄たちの話を聞いているうち、王族用の馬車が停めてある前に辿りついた。すでに改造作業中で、どの馬車に雪用の車輪が嵌められそうかの試行錯誤をしている状況だ。グラッセンの御者らしき人が、城の職人に質問攻めにあっている。王城の御者たちは、急なことになんとも言えない顔で作業を見ていた。力仕事なので、若い騎士たちも協力しているらしい。グラッセン親子も、打ち合わせのために合流しに向かう。グラジオはニヤニヤしながら騎士たちの方に駆け寄った。
「オルセン。リナのわがままに駆り出されてるの?」
「グラジオ様。あんまり近づくと危ないですよ」
「え〜。ソーマ、俺も一緒にやっていい?」
「ダメです。万が一手を挟まれでもしたらと思うと、こちらの身が持ちません……」
蹄鉄を外した馬の
バーミリオンは、リナリアの隣で一連の作業の様子をじっと眺めている。
「……バーミリオン、様?」
おずおずと話しかけてみると、バーミリオンはリナリアに笑いかけた。
「どうしましたか、リナリア様」
そのまぶしさに、胸が高鳴る。
「あ、ええと……やはりアルカディールでも、雪用の装備は珍しいですか」
「珍しいというか……アルカディールでは雨や雪の対策はもちろん、こういった車輪の付け替えも魔法で行うので、新鮮で……」
そこまで言って、バーミリオンは片手で口元を抑える。
「いえ、こちらでは魔法はよくないものということになっているのでしたね。忘れてください」
おそらく、幼いリナリアが魔法についての認識で混乱しないように気を遣ってくれたのだろう。実際リナリアが幼い頃は、「魔法=悪」だと思い込んでいた。クロックノックのことも……目まぐるしいスピードでここまで来てしまったから受け入れざるを得なかったが、きっと平常時ならその存在にもっと混乱したし、関わることに抵抗もあっただろう。
(でも、冷静に考えてみれば、必ずしも魔法は悪いものだとは言えないことくらい、本当はわかっていました。「伝統」の名の下に見ないようにしていただけ)
じっとバーミリオンを見つめる。この国でも魔法が使えたら、この人は今この瞬間にも、きっとすぐに帰れるのに。
時間は刻一刻と迫っている。
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