1-7 重大な事件
パーティー会場についてからは、目の回るような忙しさだった。しばらく父も同伴していたため、貴族たちが次から次にお祝いの言葉を言いにくるのだ。
「国王陛下、リナリア様、この度はおめでとうございます。東のカザミ領から馳せ参じました。リナリア様、我が領には様々な国のものがたくさん集まる市場がございまして……」
「リナリア王女様、お誕生日おめでとうございます。騎士団長のガルヴィスと申します。こちらがわたくしの娘ジュリアです。ついこの間5歳になったばかりなのですよ」
「はじめまして。リナリアさま」
「リナリア様、心よりお祝い申し上げます。我が領地では未だ雪が積もっておりましたが、王城の方はもう春でございますね」
挨拶の度にリナリアは、両親の前で見せたような完璧な礼をして諸侯を驚かせたのだった。
母の方に向かうと言って父が離れた隙に、目立たない場所のバルコニーに出て外の空気を吸うことにした。自分が主役のパーティーで抜けることには罪悪感はあったが、このままでは招待客の対応に追われて、やるべきことを見失うと思ったのだ。
「はあ……」
まだ冬の匂いも残る風が、心地よかった。ようやく一人になれてホッとする。正確には、バルコニーの入り口にはばあやが立っているのだけれど。
〈一応地味ーな進歩をしておるな。以前のお前なら、パーティー会場から抜け出そうともしなかったじゃろう〉
「わっ!」
突然頭の中に響いた声に、思わず大きな声を出してしまう。ばあやが慌てて近づいてきた。
「姫さま、いかがなさいましたか!」
「あ、ご、ごめんなさい、えっと、あの、虫が……」
〈虫……〉
(ごめんなさい……
少し傷ついた風のクロックノックの声に、心の中で謝る。
ばあやは「まあ」と、何もいない空を睨んだ。
「もう春ですからね。悪い虫が姫さまをいじめに来たものです。中にお入りになりますか?」
「あ、ううん。大丈夫です。少し人に酔ってしまったので、もう少しだけここにおります」
「さようですか? そこに控えておりますから、何かありましたらすぐにおっしゃってくださいね」
一人になりたいリナリアの意を汲んで、ばあやはまた元の位置に戻った。改めてクロックノックを探すと、緑のヒヨコがいつの間にか肩の上に乗っている。
〈一人で話すとまたあの世話係が来るかもしれぬからの。
(はい。うっかり泣いてしまいましたがバーミリオン様がお優しくて、以前よりもずっと良い思いをさせていただきました)
先ほどのバーミリオンとのやりとりを反芻し、頬に手を添えてうっとりする。
〈そうか。この時代まで戻ったのは出会い直しをせねばならんのかと思ったが、それじゃあもう第一関門は突破したと思って良いんかの〉
(関門……)
はた、と固まる。確かに出会いはリナリアにとってより良いものにはなったが、バーミリオンにとってはどうだろう。あの出会いは、今後の運命に関わるほどの大きな出来事だっただろうか。
(何か、忘れているような……)
考えながらバルコニーから下の庭園を眺めていると、庭の通路を一人で歩くバーミリオンを見つけた。リナリアはぴょこんとしゃがんで柵を掴み、食い入るように見つめた。
「バーミリオン様だわ」
目を凝らして見ていると、バーミリオンの進む先に、小さなピンク色のかたまりがぽてりと転がる。
(あれは、ヘレナ?)
部屋で待機しているはずなのに、抜け出してきたのだろうか。バーミリオンが駆け寄って助け起こす。立ち上がったヘレナのドレスも軽く
(ヘレナったら、もしかして前のわたくしの誕生日の時も同じように抜け出していたのかしら……)
〈あやつ意外と幼な子の相手も臆さぬタイプなのじゃな〉
(そうですね。バーミリオン様は、ライム様のお世話もいつもなさって……)
ハッとする。
(そうだわ、ライム様がお生まれになるのは明日……そしてそれ以降、バーミリオン様の雰囲気ががらりと変わってしまわれたのです)
◆
リナリアは、必死に記憶をたぐり寄せる。
この後、レガリアに季節外れの雪が降る。それでグラジオが、「積もりそうだから遊びたい」と言って、バーミリオンを引き止めるのだ。当時、もっとバーミリオンと一緒にいたかったリナリアもそれに賛同。いつの間にかヘレナも一緒になってお願いして、バーミリオンは「雪道を行くのも御者が大変かもしれないし、一日くらいなら」と泊まることになる。
現在アルカディール王妃は、ライム王子を身籠もっている。本当なら予定日はもう少し先だったのだが、出産が早まってしまうのだ。
その後、母体の容体が急変。知らせを受けてすぐに向かうも、バーミリオンは母の臨終に間に合わなかった。アルカディール国内ならば移動魔法も使えるが、レガリア国内では魔法の使用は禁じられている。雪のために知らせを持ってきた使者の到着も遅れ、国境までは馬車で行かなければならず、通常時よりも時間がかかってしまったのが致命的だった。
◆
(王妃様は、息を引き取る直前までバーミリオン様のお名前を呼んでいらっしゃったそうです。だから、バーミリオン様はご臨終に間に合わなかったのを、おそらく一生の悔いになさったのだと思います。アルカディールの国王陛下には、「母が危篤の時に他国で遊んでいた王子」となじられたとか……。わたくしたちも、引き留めてしまったことをかなり後悔しました。特に、始めに申し出たお兄様は……)
冷や汗が出る。庭でまだ何も知らずにヘレナに微笑むバーミリオンを見て、リナリアは泣きそうになった。クロックノックはリナリアの肩から頭に移動して、ちょこんと座った。
〈なるほど。では真の関門はそちらと言うことになりそうじゃな〉
(な、なんとかならないのでしょうか。クロックノック様のお力で、王妃様をお助けする方法は……)
〈流石に時間が無いのう。しかも状況がはっきりせず、事故や事件ではなく
(ううぅ……王妃様のお命が危ないと知っていながら、お助けできないなんて……)
両方とも「まだ起こっていないこと」なので、今から説明してどうにかなるような話でもない。しゃがみ込んで頭を抱えた。
〈見失うなよ、リナリア。今のお前に可能な範囲で、何が最善かを考える必要がある〉
「はい……」
意識して見ると、だんだん空に雲が増えてきた気がする。指折り、一つ一つ状況を確認してみる
(王妃様をお助けすることはできません。天候を変えるのはできません。バーミリオン様をお引き留めしないことはできます。けれど、馬車は……お帰りの時間にはもう雪が降っています。雪道を、なんの装備もない馬車で行くのは危険もあるかもしれません……。万が一バーミリオン様に何かあったら本末転倒ですわ。『お帰りの手段を整えた上で、できるだけお早くご帰国していただく』……これが、今のわたくしに可能な範囲の最善の手、でしょうか)
必死に頭を回転させる。城にありそうな物資や、先ほど挨拶した諸侯との話の中に、何かヒントは無かっただろうか。
ばあやがこちらに来る。そろそろ会場にも戻らなくてはならない。クロックノックは小さな羽でリナリアの頬を軽くぱふぱふしてから飛び立った。
(このまま体調が悪くなったフリをして、早めにパーティーをお開きにするのはどうかしら……。いえ、でもこれだけ賓客をお招きしているのだから、わたくしが居なくなってもご歓談していただくなりして恐らくパーティー自体は続くわ。それでは解決にはならない……まずは会場に戻りましょう)
立ち上がってばあやに「大丈夫です」と笑いかけ、手をつないだ。戻ったらまた諸侯ともお話をしなくてはならない。
(そういえば先ほど話した中に北方の領地の方がいらっしゃったわ。確か、グラッセン子爵……。あまり話さなかったけれど、お兄さまと同じ年頃のご令息も一緒だったわ。お名前は……ディートリヒ様)
再び会場に入って目で探す。親子共に瘦身で、一つにまとめた銀色の髪に緑の瞳。
「いた……」
父親と別れたディートリヒが、一人でお菓子の並ぶテーブルの端にいた。なぜか目立たない場所にいるので、都合が良い。
「ばあや、わたくしディートリヒ様にお聞きしたいことがありますの。おそばに行って来てもよろしいですか?」
「それでは、ばあやは少し後ろにおりますから何かあったらおっしゃってくださいませ」
ばあやの手を離してディートリヒのもとへ向かう。みなリナリアの姿に気が付くと道を作ってくれた。ディートリヒは背を向けているので、リナリアが近づいていることにはまだ気が付いていない。
「ディートリヒさま」
声を掛けると、ディートリヒはひどく驚いたらしくビクッと体を震わせる。その拍子にいくつかのクッキーが床に落ちた。
「り、リナリア……さま、どうして、ここに」
ディートリヒの皿の上には、あらゆるお菓子が山積みになっていた。それは、とても一人では食べられない量で、当然品の良い行為ではない。
悪いことに、リナリアが声を掛けたことによって、周辺の貴族の視線がディートリヒに向いてしまう。誰かがひそかに笑いだし、それがさざ波のように広がった。リナリアも、その状況にさっと血の気が引いた。
(いけない……タイミングが悪いときにお声がけしてしまったわ)
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