1-6 誕生日の贈り物
勝手に落ちる涙をあわてて止めようとするけれど上手くいかず、しゃくりあげてしまう。
「リナが泣いてるー!!」
「グラジオ、騒ぐでない」
兄が騒いで父にたしなめられた。ばあやも母も戸惑っているようだった。
バーミリオンは首を傾げて困った顔をする。
「ごめ、なさ……なんで……止まらな……うう……」
幼いバーミリオンの、なんの傷も見えない笑顔がうれしくて、胸がいっぱいになってしまった。こうしてまた自分に笑みを向けてくれる奇跡を、体全体で感じていた。
手の甲で涙を拭おうとしたら、バーミリオンがぱっとその手を掴む。
「待って」
言われなくとも、リナリアは動けなかった。バーミリオンの手に触れたのは初めてで、感情と思考の処理が追い付いていなかった。
バーミリオンは自身の胸のポケットからハンカチを取り出して、そっとリナリアの涙をぬぐってくれる。
「強くこすったら目もとが赤くなってしまいます。使ってください」
「は、はい……」
にこりと微笑むバーミリオンに、ゆっくり頷いてリナリアはハンカチを受け取った。
(おやさしい……)
父王がごほんと咳払いをする。
「バーミリオン王子、リナリアが申し訳ない。今日は朝から少々けがをしてしまって、まだ動転しているところもあるのだろう。驚かせてしまったな」
「いいえ。初めてお会いするのに、私がいきなり近づいてしまったので……こちらのほうこそ驚かせてしまったのかもしれませんね」
一国の国王とのやり取りだというのに、とても子供のものとは思えない。グラジオは面白くなさそうに、頭の後ろで手を組んでいた。
「リナリア、きちんとお礼なさい。ほら」
母に背中を押されて、リナリアは一歩バーミリオンに近づく。白い服に白い肌、金の髪。バーミリオンは、ヘレナとはまた違った種類の天使だと思った。
「ば、バーミリオン様。ありがとうございます。リナリア・フロル・レガリアです。ごめんなさい。バーミリオン様が……」
こんなこと言って、困らせないだろうかと、一度言葉を切る。バーミリオンは、少し不安そうにリナリアの方を見ていた。父母兄も、リナリアが何を言うのかと緊張しているのが伝わってくる。
(言っていいの。がんばるのよ、リナリア)
自分を励まし、深呼吸をする。
「バーミリオン様が、とってもおきれいで、胸がいっぱいになってしまいました。お会いできてうれしいです!」
リナリアの発言に、バーミリオンの目が丸くなる。こんな表情を見るのは初めてだ。
「あ、ええっと……ありがとう、ございます……?」
さっきまで流れるように大人びた会話をしていたのが、急に年相応のきょとんとした反応になった。母とばあやは「あらあら」と微笑み合い、グラジオは可笑しそうに笑っている。
「あははは! リナ、今日何かちょっと変」
「ゴホン!」
父王の強めの咳払いに、グラジオは慌てて背筋を伸ばす。
「娘は王子が来てくださったのがよほど嬉しかったらしい。今後ともよろしくお付き合いください。では、グラジオが案内致しますので、会場の方へ」
「はい! 陛下」
バーミリオンは優雅に一礼し、手招きしているグラジオのところへ小走りで向かった。グラジオと話している時は、少しくだけた表情で笑っている。
(あのお二人が、命を取り合う関係になるなんて……)
未来のことを思うと気が重くなったが、ふるふると首を振って嫌な考えを消した。バーミリオンにもらったハンカチをじっと見つめる。白地にアルカディール王家の紋が金と赤の糸で刺繍してある美しいものだった。
(弱気になってはダメ。これからが大切なのですから、ええと、この後は……)
正直言ってパーティーの記憶は全然無い。誰と話したかも覚えていない。幼い頃のことだから仕方ないとはいえ、自分の記憶の頼れなさに頭を抱えた。
「リナリアは、バーミリオンさまに憧れてしまったのかしら」
髪を撫でられながら母にそう言われて、思わずビクッとしてしまった。
「そ、あ、そ、えっと、」
「婚約にはまだ早いぞ」
父王は心なしか少し不機嫌そうで、背筋が冷たくなる。それはそうだ、王族なのだから、必要がある相手と婚約をしなくてはいけないわけで、娘が勝手に特定の誰かに恋心を抱いたなんて知れたら……。
「あら、陛下ったら。いつかは手放さなくてはいけないのですから、今のうちからお覚悟なさいませ」
「まだ早いと言っているだろう……」
(……あら?)
今度は少し元気がないような気がした。思っていたのと違う反応に首を傾げる。すると、いつの間にか近くに来ていたばあやが、こっそり耳打ちをしてきた。
「陛下は、姫さまにお嫁に行かれるとお寂しいと思っていらっしゃるのですよ」
「さ、さびしい……?」
内心、「嘘だわ」と思う。だって、リナリアの婚約が決まったと言ってきた時も、表情ひとつ変えなかった。何があっても王家の伝統と国家を優先する父にそんな気持ちがあるなんてとても……。
疑いながら父を盗み見て、「わがまま」を試してみることにした。
「……おとうさま。リナはおとうさまとご一緒に会場に行きたいです」
前のときは、リナリアはばあやと二人で会場入りした。父は母と一緒に後で入ってきたはずだが……。
遠慮がちに父を見上げると、父は整えられた顎髭を何度も撫でてから頷いた。
「なんだ。綺麗な礼ができるようになったとはいえ、リナリアもまだまだ子どもだな。まあ、今日だけならそれも構うまい。親子といえども、王自らエスコートするのは特別なことであると忘れないように」
「はっ、はい」
「まあ、良かったわねリナリア。それでは、今日私はグラジオにエスコートを頼もうかしら。後で呼んでもらわないといけないわね」
父が立ち上がり、こちらに来る。背の高い父の腕には届かないので、差し出された手を繋ぐ。ゴツゴツして固い手だった。父と一緒に廊下を歩く。使用人や家臣たちは、皆立ち止まって「おめでとうございます」と頭を深く下げた。久しく味わっていなかった家族の温もりに、なんだか足元がふわふわするような感じがした。すれちがう使用人たちにお礼を言う中で、ハッとした。
(そうだわ。これが、「幸せ」という感覚だった)
バーミリオンのことで満たされていた時とは、また少し違う安心感。「自分が大切にされている」という実感。ずっとこのあたたかいところにいられたら、どんなに良いだろう。
(「わがまま」になると、幸せになることもあるのかしら。バーミリオン様にも共通する……? いえ、でも子どもだし、たまたまということもあるわよね)
「今日は貴族諸侯の、お前と歳の近い子どももたくさん来ている。今後つきあいも多くなるだろうから、きちんと挨拶をして王女らしい振る舞いを心がけるように。朝私たちに挨拶したようにするのだぞ」
「あ、は、はい。おとうさま」
「王女らしい振る舞い」という言葉が、少し悲しく響く。でも確かに、王女として最低限のことはしておかないと、バーミリオンの側に行くこともできなくなってしまうだろう。「わがまま」と「王女らしさ」のバランスが難しそうだった。
(一応王女らしく振る舞いつつ、効果的なところで「わがまま」を発動して「わがままな王女」として世間には認識していただく……。そうすれば、多少は動きやすくなるかしら。まずは、今日会う人々の中で味方になってくださりそうな方に目星をつけておく必要もあるかもしれませんね。うまくいけば、お友達になってくださる方もいらっしゃるかも……)
リナリアは社交界で友人と言える人はほとんどいなかった。それは彼女の立場や内気な性格、そして本人は知る由もなかったが、その「王女としての完璧さ」がますます他人を近寄りがたくしていたのだった。
「それで、誕生日プレゼントは考えたか」
予想外の質問に驚いて、父の顔を見る。そういえば、リナリアたち兄妹が子供の頃は、パーティーの途中でプレゼントのリクエストを聞かれたものだった。昔から欲のないリナリアは、「新しい絵本」であるとか「新しいペン」などささやかな物ばかり頼むので、「もっと王女らしいものをリクエストしなさい」と渋い顔をされていたものだった。
「ま、まだ……です」
「パーティーの間に考えておくように。あまり用意するのが難しいものはダメだが、多少大きなものでも構わん」
「はい……」
(そうは言われても、すぐには浮かばないわね。何か、わがまま姫らしいものをお願いした方が良いのかしら……)
父と繋いでいる手と反対側の手には、まだバーミリオンのハンカチを握っていた。前の時にはもらわなかったプレゼント。ばあやに渡すのも、しまうのも勿体無くて、もう少し自分で持っていたかった。
(正直なところ、プレゼントはこれだけで十分だわ。パーティーでもう一度、バーミリオン様とお話しできたら良いのですけれど)
そう、リナリアは浮かれていた。
だから、もうひとつ忘れてはいけない出来事……なぜ、クロックノックが「お前の願いはどう頑張っても無理じゃった」と言っていた理由について、全く考えが及んでいなかったのだ。
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