1-2 5歳の誕生日
リナリアは、気がつくとやわらかな布団の中にいた。視線の先には見慣れた真っ白の天蓋がある。
しばし呆然と天井を見上げていたが、まずは状況を把握しなくてはいけない。何らかの奇跡が起こって助かったとして、一体ここはどこなのだろう。まさか、敵国の王に踏み入られた自室じゃあるまいし──。
(──わたくしは、塔の上から落ちたはずです。これは一体どうしたことかしら)
おそるおそる布団をのけ、体を起こそうとして違和感を覚えた。身体の感覚が、あるべきはずの位置に来ないというか……。
不安になって自分の両手を見て、リナリアは「ひっ」と息を呑む。目の前の二つの手は、本来の自分の手よりずっと小さくなっていたのである。まるで子供のように。
〈おい!〉
不意にどこからか声がした。高くて可愛らしい声だった。不思議に思ってキョロキョロしていると、何かに袖を引っ張られる。そちらの方を見やれば、ふわふわした小鳥がリナリアの服を
〈助けてやったのに礼のひとつも言えんのか、お前は〉
「助け……?」
ハッとする。そういえば、自分は願いごとをした。
「もしかして、あなたがわたくしの願いを叶えてくださったのですか?」
少しの期待を込めて尋ねると、小鳥は服を放して、プイッとそっぽを向いた。
〈それが叶うかどうかはお前次第よ〉
「わたくし次第、とは、ええと……」
まずは今の状況について尋ねようとしたとき、ばたんとドアが開く。先ほどドアが破られた時のことを反射的に思い出し、ベッドから降りようとしたらシーツに足を取られてごろんと落ちてしまった。おでこを
「いたい……」
「まあ、姫さま!」
誰かが慌てて助け起こしに来てくれる。しわのある温かい手に覚えがあった。
「ばあや……?」
そろそろと見上げると、パーマがかったグレーヘアに、レンズの小さな丸眼鏡。そこにいたのは確かに6年前に亡くなった、リナリアが大好きなばあやだった。ばあやはリナリアを安心させるように優しく笑いかけてくれる。
「ばあやですよ。姫さま。怖い夢でもご覧になりましたか?」
その声も、笑顔も、あまりに懐かしく、涙がぽろぽろとこぼれてしまう。厳しい両親に対して、リナリア専属の世話係だったばあや──エンデ夫人はいつだって優しくて、リナリアを甘やかしてくれた。
「あらあら、姫さまおでこが赤くなって……落ちたときに打ってしまわれたのですね。
ばあやはリナリアを抱き上げてベッドの上におろすと、廊下へ走って出ていった。
ヒリヒリする額をさする。この痛みが、夢じゃないことの証明なのだろうか。額の様子を見ようとサイドテーブルの置き鏡を覗き込んで、目を丸くする。鏡の中にいたのは、幼い頃の自分だった。
〈驚いたか? われも驚いた。この年齢まで戻らないと、お前の願いはどう頑張っても無理じゃった。おかげで一瞬で魔力を使い果たしてこのナリだ〉
一生懸命に羽を動かしサイドテーブルまで飛んできて、小鳥は口を尖らせた。
「ええと……あなたは、どなたなのですか?」
〈ふん、これだから近年のレガリア王族は無知なのだ。良いか。われの名はクロックノック。精霊界では
リナリアは眉根を寄せる。そのような存在に心当たりがなかった。
「時の、精霊。精霊という存在は存じております。自然界に存在する魔力素を取り込んで生きる、人間と異なる種族のひとつですね。神霊……は存じ上げませんが、なぜそのような方がわたくしの元に……?」
〈お前、ペンダントを持っていただろう。美しい
小鳥はフン、とふわふわの胸を張ってみせる。その愛らしさに思わずほっこりとしてしまったが、どうにも引っかかることがあった。
この世界のほとんどの人間には「魔力」がある。ただし、普通は適切な訓練を積まねば使いこなすことはできない。
レガリア王国では、魔法は「人間を堕落させる悪魔の手段であり女神の試練」として、建国以来忌み嫌われてきた。対して隣国アルカディール王国では、魔法は「人々を助ける神の恵み」として奨励する傾向にあった。両国の価値観は全く異なるものながら、王族同士が交流を深める努力を続け、結局はお互い相手の多くに目を
そんな魔法嫌いのレガリアの先祖が、神霊と約束を交わし、その形代を代々引き継がせていたのは、どういうことだろう。
「わが国では建国以来、魔法はよくないものとされて来たと習いました。魔法を奨励している隣国ではなく、わが国のご先祖さまがクロックノック様と契約をなさったのでしょうか」
〈いや、契約などというモノではない。別にいつでも破棄できる、口約束のような……おっと〉
ばたばたと人が駆けてくる音がする。ドアの方を見れば、侍医をばあやが引きずるように引っ張って走ってくる。その傍らには、なぜか幼い兄もいた。兄は腰に両手を当て、リナリアと同じサファイア色の目で、妹を頭からつま先まで無遠慮に眺めた。
「リナ、ベッドからおちたってほんと!? ドジだなあ」
「おにい、さま」
兄の行く末を思って胸がちくりと痛む。あの時、兄は無事だったのだろうか。
立派なアゴヒゲをたくわえた侍医は、ぜえはあと息を切らしながらリナリアの額を見つめたり、撫でたり、ついでに脈を測ったりした。
「少々腫れてはいますが、大事はありませんな」
「腫れているのが大事です! 今日は姫さまの……あらいやだ、私ったら、すっかり……」
リナリアはばあやにぎゅうっと抱きしめられる。
「姫さま。5歳のお誕生日、おめでとうございます」
「ごさい」
5歳。どうりでばあやが元気でいるわけだ。
兄はベッドに上がり、怪訝そうな顔でリナリアの顔を覗き込んだ。
「アタマ打ってそれも忘れたのか? 昨日でっかいケーキが食えるってはしゃいでたじゃん」
「あらグラジオさま、そんな言葉遣いをなさってはいけませんよ」
「うっ……父上には言わないでよ、エンデ夫人」
(そうだわ。今……いえ、未来では言葉遣いも振る舞いもご立派になさっていたお兄様も、子供の頃はよく叱られていたのだった。わたくしはそんなこと、すっかり忘れていた)
自分が5歳なら、兄は8歳になる前のはず。じーっと幼い兄を見つめていると、兄はリナリアの頭をぽんぽんと撫でた。
「ホントに大丈夫か? 昼までには治せよ。今日はリナが主役なんだからな」
「やさしい……」
思わず呟くと、兄は顔をしかめて手を引っこめた。
「いつもいじめてるみたいなこと言うのやめろよな! と、とにかく俺はもう行くから。こっちも支度しないと、遅刻なんかしたら父上にセッカンされちまう。
……誕生日おめでと」
ぴょんとベッドから飛び降りて、兄はそのまま廊下へ走って行った。それを眺めている間に、侍医が水で冷やした布をリナリアの額にあてる。
「薬草を擦ったものを混ぜてありますので、多少赤みは引くと思いますがの。今日はあまり走り回らず、大人しくなさりませ。もしもご気分がすぐれないようならばすぐに誰かにお申し付けください」
「はい」
父は怒るだろうと想像して、しょんぼりした。今日は社交界に姫をお披露目する機会でもあるわけで、そんな晴れの日に主役が顔に怪我をしていたらみっともない。
リナリアの気持ちを察してか、ばあやが優しく抱きしめてくれる。
「姫さま、大丈夫ですよ。お誕生日ですもの。全てうまくいくに決まっています。グラジオ様も、姫さまに早くお祝いをおっしゃりたくて一緒にいらしたのでしょう。ごめんなさいね、ばあやがもう少し早く来ればよかったのです。もし陛下がお叱りになるようなら、ばあやが代わりに叱られますから」
「そんな……ありがとう、ばあや。でも、だいじょうぶよ」
「まあ、姫さま……なんて健気な……」
ばあやは感動したらしく、さらに力をこめてぎゅうっと抱きしめた。
「くるしい……」
「あらあら。ではもう少しお休みになってくださいな。朝ご飯をお部屋で召し上がれるように手配しますから、いつもより少し遅めにお支度しましょうね」
リナリアをまた撫でると、来るときと同じく侍医を引っ張るようにしてばあやは部屋を出て行った。
〈やれやれ……子供の部屋とはいえ、仮にも王女の部屋だというのに出入りが激しすぎぬか。まあ良い。話の続きをしよう〉
クロックノックは枕の上にぽすっと座る。リナリアは膝に手を置いてその前にかしこまった。
「は、はい。あの、聞きたくて。ええと、わたくしの願いが叶わないとおっしゃっていましたよね。それはどういうことなのですか。バーミリオン様は、必ず不幸になってしまわれるのですか」
〈そうだ〉
「神霊、であるクロックノック様のお力を持っても……?」
〈神霊とは、あくまで『神のごとき精霊』であって、神ではないからな。われができるのは、魔力量の分だけ未来を予測することと、時を渡ること。言っとくがそれでも十分すごいんじゃぞ! しかし、あれ自身に幸せになる気がないのじゃから何も変わらんよ〉
リナリアは目を伏せた。
「……我が国への侵略行為は、あの方の幸せに繋がるものではないのですね。ご自分のためで無ければ、何のために──」
〈幸せどころか、あの瞬間からあれもお前の兄弟も、多くの者を巻き込んで不幸の道を転がり落ちるよ〉
ごく、と
〈では、語ろうか。われの知る『お前の死後の話』を。それを聞いたら、当初の願いなどどうでもよくなるかもしれぬぞ〉
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