亡国の姫は敵国の王を幸せにしたい! ~過去に戻ってわがまま姫に転身いたします!~
皐月あやめ
第一章
1-1 亡国の姫と敵国の王
レガリア王国第一王女のリナリアは、賢く、控えめで、物心ついた頃からずっと『理想的なお姫様』だった。父王の言いつけは全て守り、わがまま一つ言わなかった。王女教育も完璧にこなし、王族としての
強いていうならば、影が薄いのが欠点であった。彼女の兄と妹は民から絶大な人気があったのだ。
王子ながら剣技に優れ、騎士団の団長として地方まで遠征に行く兄グラジオ、父王に「王族らしく気高く振舞え」と叱られてもめげることなく誰にでも人懐こく優しい美しい妹へレナ。二人に比べると、目立った活動をしないリナリアは民にも、城の者にも、あまり気にかけられていなかった。両親ですら、それが当然のことと何の意にも介していないようだった。リナリアは、人々にとっては絵本の中にいるお姫様のようなものだった。
それでもリナリアは自分の運命を受け入れていた。王女と生まれたからには、そうあるのが正しいと思っていた。良い子にしていれば両親に叱られない。それに、将来の婚姻に備えて、恥ずかしくないように準備をしなくてはならなかったのだ。
リナリアが17になった年、ついに婚約が決まる。
相手は、レガリアよりもずっと遠国にある砂漠の国の王子で、リナリアより10も年下であった。兄はこの婚姻に難色を示したが、リナリアは兄を
たとえ、リナリアが思いを寄せる相手がいたとしても。
──そして18歳の誕生日の前日に、それは起こってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
扉の向こうから嫌な音が聞こえる。
剣と剣がぶつかる音、攻撃魔法が弾ける音、雄叫び、悲鳴。
この部屋の前の衛兵が倒されるのも、もうすぐだろう。
(どうしてこうなってしまったのかしら)
リナリアは両開きの窓を開け、その枠に手をかけて下を見る。この部屋は城の塔の最上階にある。地面は遥か下、ここから飛び降りたら、間違いなく命は無い。ぬるい風が、リナリアの黒い髪を揺らした。
それでも、彼女は飛び降りなければならなかった。王族としてそうするべきだったから。
首から提げた先祖代々伝わるペンダントを両手で包むように握り、黒煙混じりの風の臭いにカタカタと細かく震えていた。両親や、兄と妹の無事もわからない。
なんとか動かなければと震える足を叱咤している時、大きな音と共にドアが破られる。
反射的に振り返ると、美しい金の髪、燃えるような赤い瞳の青年が、床に横たわる扉を踏みつけて部屋に入ってくるところだった。赤毛の神官と見目麗しい銀の髪のエルフの騎士を後ろに引き連れ、手には黒い陽炎のように魔力を放つ剣を持ち、服は返り血を浴びて赤く染まっている。
バーミリオン・マーリク・アルカディール。若くして隣国の王となり、一年と経たぬうちに、突如としてこの国を滅ぼしに来た。リナリアたちレガリア王族の幼馴染であり──。
(わたくしの、初恋のかた)
幼い頃から自分を押し殺すことに慣れていたリナリアだったが、バーミリオンへの思いだけは消すことができなかった。
初めて会ったその日に恋に落ちてから、リナリアは今日までずっとバーミリオンが好きだった。厳しい王女教育、理不尽なことや王族としての義務に押し潰されそうなときも、バーミリオンの姿を見るだけで、胸は高鳴り、生きる気力が湧いた。バーミリオンの美しい横顔や、王位継承者として勉学に励む姿、歳の離れた弟だけに向ける優しい眼差し、初めて会ったころより少し歪んでしまった笑みさえも、リナリアは大好きだった。もはやバーミリオンが生きていればそれでよいと思えるほどだった。
それは彼に婚約者ができても、自分に婚約者ができても──どうしても捨てられぬ気持ちだった。
こんな時なのに、憎むべき仇なのに、元より叶わぬ恋だとわかっていたのに……最期に見るのが彼の顔で嬉しい、なんて。こんな状況になっても、なお彼のことが好きだった。そんな自分は、きっと王族としてふさわしく無いのだと思う。
バーミリオンはリナリアの姿を見、歪んだ笑みを浮かべた。嘲るような、何かを諦めたような……悲しい笑みだった。
「王女リナリア。そこを動くな」
ハッとするほど冷たい彼の声が、心に突き刺さる。それでも王家の人間として、『
彼に背を向けて改めて窓枠に手をかけた時、急に今までの人生が頭の中を駆け巡った。自分の意志を殺し、父母の言いつけを守る人形のような日々。好きな人と結婚すること……いや、思いを伝えることすらできない。その上、彼の目の前で、これから国のために命を散らさなくてはいけないなんて。そんなこと、あんまりではないか。
涙が一筋頬を伝い、胸のペンダントに落ちる。淡い緑色の美しい宝石は、リナリアの涙を吸ってきらりと輝いた。
自ら死ぬ気は無くなったが、ここで死ななくても、きっと処刑か、国外追放の身になるのだろう。
(今まで良い子でいたのだから、最期に一つくらい願いごとをしてもバチは当たらないのではないかしら)
窓枠から手を離し、ペンダントを両手で握りしめ、ぎゅっと目をつぶる。
「……どうかバーミリオン様が、幸せになれますように」
すると突然、頭の中に声が響く。
『その願いは叶わぬ』
(え、わたくし、どうして……?)
身体の自由が効かない。強烈な違和感と嫌な浮遊感を伴って体は落下する。景色が流れるのが妙に遅く感じた。
あちこちから黒い煙が上がっている。近くの森は赤く燃えていた。
『しかし──』
頭に響く声は、男とも女ともわからない。手を合わせて目を閉じる。浮かんでくるのは初めて会った日、初めて恋をした日の、彼の笑顔だった。
『お前にならば、可能性はある。願い直しをしてもよいぞ』
頭の中の声も、その内容も、リナリアにとっては意味がわからない。可能性も何も、リナリアはもう、死に向かって秒読みの段階だというのに。
それでも僅かに希望を感じ、改めて必死に祈る。
(どうか、お願いいたします。わたくしに可能性があるのならば──)
──わたくしは、どうするというのかしら。
わからない。頭は回らなかったけれど、もっとわがままを言っていいのなら。
(今度はもっと意のままに生きて、わたくしが彼を幸せにしたい。それが私の幸せです)
どうしてこんなことになったのか、全然わからなかったけれど。
こんな風になる前に。彼がこんな選択をしなくて良いように。
リナリアは、強く強くそう願う。ふっ、と声の主が笑う気配がした。
『あいわかった。無欲なようでいて独りよがりの娘じゃの』
その言葉を聞き終わらぬうちに、リナリアの意識は闇に沈んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
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