石の砦と荒野の輝く月

百一 里優

一 俺の死

 西野にしの行哉ゆきやが目を覚ましたのは薄暗い建物の中だった。ロウソクの光が天井に揺らめき、線香の匂いが漂う。

〈あのまま死んだのか……ならここは、天国に行く待合所かな?〉

 彼は板張りの上の薄い布団からを起こす。

 ナイフで刺されたはずが、痛くないし、血も付いてない。

〈死ねば痛くもないか……スーツがボロ服に変わったのは地獄に行くから? 二十三年真面目に生きて、残業帰りの遅い時間に女子中学生が車で連れ去られるのを助けて死んだのに、神様もひでえな〉

「気がついたか」

 音の方を向くと、中型犬が尾を振っている。

犬も犬も話せば歩けば死後世界当たる

「俺は寺に仕える佐助サスケだ」

 犬の口は動いていない。

「住職を呼んでくる」

 佐助は廊下に爪の音を響かせて行ってしまった。

〈仏教系のの世?〉

 杖をついたヨボヨボの坊さんが来る。

〈俺より死にそうじゃん。てか、お互い死人だ〉

「私は円如えんにょ。立ち上がれるか?」

 行哉は立ち上がろうとするが力が入らない。

「一週間寝たきりだ。無理するな」

「ここは死後の世界なんだろ?」

「似たようなもんだ。でもまだ死んどらんよ」

「刺されて死んだんじゃ?」

「行き倒れだ。死にかけてたがな」

「意味がわかんないんですけど」

「まずは飯を食え」

 食堂までなんとか移動してかゆを食う。外が明るくなる。体にも少し力が戻る。

 円如と外に出る。階段の先は海だ。

「ここはどこ?」

「昔は鎌倉の鶴岡八幡宮だった」

「昔? 二〇二一年だろ?」

「西暦だと二二二一年十月だ。お前さん、名前は?」

 円如が倒れかけ、支えて建物に戻る。

 タイムリープか未来転生か、事故で死亡なら転生だろうと円如が笑う。鏡を見ると、彼のようで彼ではなかった。

 地球温暖化と太陽活動の異常による海面上昇に巨大台風。地殻変動による大地震に富士山の噴火。二百年に渡る天変地異で地球規模の大惨状。関東平野は荒野という。環境汚染の影響で圧倒的に女の数が多く、男は人口の五%程度らしい。

「佐助と話せたお前は、私が待っていた人間だ」

「は?」

「これを武蔵野の森の奥に住む熊に届けて欲しい」

 坊さんが巻物を彼に差し出す。

「熊?」

 武蔵野といえば、行哉がパワハラ川畑かわばた室長に不毛な残業を強要されたあの日、片恋かたこいの相手、二年先輩で建築マニアの姫野ひめのルナが、「今度の土曜日に角川武蔵野ミュージアムに行こう」と誘ってくれた。

流石さすがに設計のくま研吾けんごじゃないよな〉

 円如も熊の詳細は知らず、昔の所沢ところざわにある〝石のとりで〟に行けば、わかるという。直線距離は北に六〇キロちょっと。佐助が案内してくれる。

「石の砦の合言葉だ」

 円如が和紙を差し出す。


 いかでわれ清く曇らぬ身になりて心の月の影をみがかん


「覚えて燃やせ。質問なら今のうちに。私は明朝みょうちょうまでもたん。じきに追手おっても来る」

 巻物は今後の世界を左右する力のある大事なものらしい……。

 二つの集団が巻物を狙っている。

 一つは男復権党おとこふっけんとう。徒党を組んだ男たちが、巻物の力で、社会を支配する圧倒的多数の女性からの権力奪還を目論もくろむ。女集落から若い娘を掠奪し、男児だけを育てている。

 もうひとつは平原狼。外来種が繁殖して一大勢力を成し、人間の滅亡をうかがう。巻物の力は邪魔なのだ。

 道は容易たやすくない、判断に困ったら佐助に訊け、頼んだぞ、と言い残して、太陽が頂点に達した頃、早くも円如は事切れた。

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