第4話 異形のロクちゃん

 アパートを出た俺は、早速昨日に身に付いたの効果を実感する羽目になった。

 都心部、住宅密集地。朝の時間にはそこそこ人がいる。だが、明らかにヒトの形をしていない存在が、平気な顔をしてそこらをうろつき回っているのだ。

 ただ人間の形をしていない、わらびみたいな獣人とかそういうのなら、まだいい。見ていたら明らかに正気を削られそうな触手の塊だとか、ただれた肌の肉塊だとか、そういうものが道端でうごめいているのだ。

 これは、目に悪い。というかぶっちゃけ気持ちが悪い。


「うっぷ……」

「(大丈夫ですか、ご主人様)」


 自分同様、家を出て会社に出勤していく人々の中、思わずよろけて塀に手をつきながら俺は口元を押さえた。そんな俺を、俺の肩の上あたりでふよふよ浮かぶわらびが心配そうに見てくる。

 わらびの姿は他の人間には見えない。声も聞こえないが、わらびに話しかける俺の声は普通に聞こえてしまう。つまり、傍から見たら独り言をぶつぶつ呟く危ないヤツだ。それを心配して、わらびは特殊能力の一つ「念話」を使って話しかけてきていた。

 「念話」は基本的な特殊能力で、意識を向けた相手の脳内とチャネルを開き、そこを通して思念を送り込むのだという。何度か練習してみたら俺でも出来たので、本当に基礎なのだろう。


「(あんまり大丈夫じゃない……この能力、オンオフとか出来ないの?)」

「(出来ますよ、1秒間目を閉じ続けていれば無効に出来ます)」


 わらびに問いかけると、あっさりと対処法を教えてくれた。あるなら昨日のうちに説明してくれればいいのに。

 息を整えながら目を閉じて、1秒間そのままにする。再び目を開けると、そこには異形も化け物もいない、見慣れた街の姿があった。

 ほっと息を吐き出して、俺は会社への道を急ぐ。万一のことを考えて少し早めに出たから遅刻するということはないが、あまり時間をかけて出勤している余裕もない。


「(というか、こんな、声に出さないでやり取りできる方法があるなら先に言ってほしかったよ、不審者みたいになっちゃったじゃないか、俺)」

「(ご心配なく、どなたも気付いてらっしゃいませんでしたから)」


 俺が脳内でわらびに文句を言うも、わらびはちっとも気にする風を見せない。

 わらびの本名は昨日に教えてもらったけれど、今更別の名前で呼ぶのも恥ずかしい。念のためにわらびに「本名で呼んだ方がいいか」と聞いたら、「今まで通りの呼び方でお願いします」と言われたこともある。

 大通りに出ると、一気に人の流れが多くなった。今は能力をオフにしているから何も見えないが、この道にもたくさんの別次元の存在がいるんだろう。


「(というか、ブラック企業をどうにかして『ひずみ』を正すって言ったって、うちの会社をどうやって? 労基の指導が入っても改善されなかった筋金入りのブラックなんだぞ)」

「(でしょうね)」


 ぼやくように俺が思考すると、それを受け取ったわらびが他人事のように返してきた。俺がこれから関わらされるものに対して、そんなサラリと言わないでほしい。

 しかしそれは絶望のあまりに投げやりになったとか、そういうわけではないようだ。俺の肩にぽんと前脚を置きながらわらびが言う。


「(なのでご主人様の勤め先である『アビス株式会社』の担当は、私以外にも複数いらっしゃいます。皆さん、ご主人様と私との『契約』締結を心待ちにしていたと思いますよ)」

「(マジで? 誰?)」


 予想外の言葉に、思わず俺はわらびのいる方の肩に顔を向けた。俺以外にも別次元の存在と契約をして、『ひずみ』を正すことに取り組むがいるのなら心強い。そしてその仲間が誰であるかは、早いうちに知りたい。

 そうこうするうちにアビス株式会社の入居するビルは、もうすぐそこだ。改めて会社のあるビルへと顔を向けた時、急に強いビル風が塵を巻き上げて吹き付ける。


「うわっ……!」

「(あっご主人様、そうして不用意に目を閉じられると)」


 思わず目を閉じて顔を覆った俺だが、そこにわらびが声をかけてきた。そう、特殊能力のオンオフである。

 結果として、俺が目を開いた時には既に能力がオンになっており、雑居ビルにモンスターやら化け物やらがへばりつくようにくっついているのが見えた。なるほど、ここまでうちの会社が酷いとは。


「あー……まぁいいか、もうすぐ会社だし」


 そんなことを思いながら、俺はビルの中に入っていった。エレベーターで3階に上がり、エントランス裏のタイムカードで打刻する。そしてその横、居室に繋がる扉をロックするカードリーダーに社員証を通した。

 既に出勤している社員は多数……というより昨日から夜勤で入っている人とか、徹夜している人とかが多数。挨拶しながら俺は扉を開ける。


「おはようございまー……」

「ん」


 と、ちょうどトイレから出てきた社員の一人と目が合った。

 のだが。


「すぅっ、ぅっ!?」


 俺はすんでのところで、すっとんきょうな声を上げそうになるのを堪えた。

 だってそうだろう、今俺の目の前に現れたのは、キツネの頭をして全身もっふもふ、尻尾が五本くらい生えているキツネ獣人だったのだから。

 わらびが獣人姿を取った時とは違い、普通に人間同様、ワイシャツを着てネクタイを締め、スラックスを履いている。革靴の形こそなんだか違うが。

 と、俺の姿を一目見たキツネ獣人が、朗らかに笑って右手を上げた。黒い肉球が見える。


「お、トソちゃん。お疲れー。昨日の今日だってのに大変だな」

「へ」


 その声に、今度こそすっとんきょうな声を上げる俺だ。

 六反田の声だ。昨日までにもさんざん聞いてきたのと同じ声、同じ声色、同じ口調で、そのキツネ獣人は俺に呼びかける。

 小さく震えながらも、俺はその名前を呼んだ。


「ろ……ロクちゃん?」

「そうだよ、どうしたんだ、につままれたような顔しちゃってさ」


 きっと俺は、信じられないものをような目で彼を見ていたんだろう。困ったように笑いながら、六反田の声をしたキツネ獣人の手が俺に触れる。

 触られた感触は確かにある。肉球が柔らかくて、爪が固くて、他がちょっとフワフワしていて。人間の手じゃないのは感触だけですぐに分かる。

 思わず俺はわらびに思念を飛ばした。


「(わらび、わらび、今のって)」

「(そういうことです。同じ部署の方だったのは幸いですね、話が早いです)」


 俺の呼びかけに頷きながら、わらびが六反田に近づいていく。一瞬、わらびと六反田の視線が合うのが分かった。

 ふと六反田の口角が、面白そうに持ち上がる。


「ふーん」

「え、ちょっと、ロクちゃん?」


 その思わせぶりな表情、声。今から仕事で、ここが出入り口のすぐ傍だということも忘れて俺が口を開くと、六反田の手がぽんと俺の肩を叩いた。


「さ、今日も頑張ろうぜートソちゃん」


 いつものように、そう明るく言いながら、六反田が席に戻っていく。俺もその後に続いて自分の席に着こうとしたの、だが。

 数歩も歩かないうちに頭の中に声が響いた。


「(昼メシの時に話すから、それまでは我慢な)」

「へっえっ」


 当然、声の主は六反田である。俺が先程までわらびとの間で散々使った「念話」だ。唐突に頭の中に呼びかけられて、驚きで足が止まる。

 チャネルをいつの間に開かれていたのだ。ちっとも気が付かなかった。


「(念話?)」

「(ああ、さすがは、すぐさまにチャネルを合わせる腕前は見事ですね)」


 対してわらびは、感心したように六反田の大きな耳に目を向けている。そしてまた何やら、新しい名前みたいなものが飛び出した。フレーデガル。誰だ。

 何が何だか分からない俺を差し置いて、わらびが居室の中へと飛びながら入っていく。


「(さあご主人様、職場に来たのですからお仕事しましょう。追々準備は整いますから)」

「(えっ、おい、いつも通りに仕事しろっていうのかよ!?)」


 そう文句を言いながら俺が居室へと入っていくと。

 そこには、人間の姿をした社員の方が少ない、と言っても過言ではないくらいの、人外魔物化け物のオンパレードが広がっていた。

 これが、アビス株式会社の真の姿だったのか。俺はあまりの事態に目がくらむ。踵を返して帰りたい気持ちでいっぱいだった。

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