第2話 食事をしながら
コンビニで買ってきた唐揚げ弁当の蓋を開け、カップの味噌汁にお湯を注いで溶く。弁当はコンビニで温めてもらっていたが、先程のディープキスの間にすっかり冷めてしまっていた。自宅の電子レンジで温め直して、俺はそれを食べながらわらびの説明を聞いていた。
わらびのごはんをどうしよう、と思っていたら、獣人姿の時は人間と同じものを食べられるらしい。今も家に買い置きしてあったポテトチップスをパリパリつまんでいる。姿は自由に変えられるらしく、今は人間の女性に猫耳と猫尻尾が生えた姿で、俺のパジャマを身に付けていた。裸だとさすがに、目のやり場に困る。
「
「はい」
そんなことをしつつ話を聞いて、わらびの口から飛び出した言葉を、俺は繰り返すように言った。
高次元。今俺たちがいるこの世界が三次元だと言われるが、その上、四次元とか五次元とかそういう世界のことだろうか。わらびの話によるとつまりそういうことで、三次元世界を取り囲むように存在している異世界らしい。
指についた塩を舐め取りながら、わらびが言う。
「この地球がある世界は『三次元世界』と言われますが、その上の階層、『四次元世界』から私たちはやってきました。四次元世界を
そう言って、彼女は人間と同じ形をした指で、自分の頭の猫耳をつついた。
たち、と言う通り、わらび以外にも高次元世界から地球に降りてきているやつらはいるらしい。曰く、一次元とか二次元とかの低次元世界もあって、そこにもその世界に生きる人々や生き物がいて、地球人に接触することもあるんだそうだ。
そんな話を聞きながら食事をしていたわけだが、正直内容が突拍子もなさ過ぎて弁当の味がちっとも分からない。俺は最後の唐揚げを飲み込んで、困惑しながら言った。
「そんなものが本当にあるって言われても……それに、世界の『ひずみ』があちこちに出来ていて、放っといたら世界が崩壊するって言われても」
「まぁそうですよね、現実味が薄い話なのは否定しません」
俺の言葉に、お茶を飲みながらわらびが言う。他人事のように話すが、こうして俺の目の前には人間、獣人、猫と姿を変えてみせたわらびがいるのだ。夢や幻覚ではないことはイヤというほど分かっている。
熱いお茶をぐい、と飲んで、マグカップをテーブルに置いたわらびが俺の目をまっすぐに見た。
「ですが真実です。四次元世界は三次元世界をベースに成り立っているので、その世界に『ひずみ』が出来れば私たちの世界にも悪影響が出ますし、そのさらに上にある神のおわす世界にもよくありません。その『ひずみ』を最小限のものにするべく、私たちは地球のひずみの中心点、日本に遣わされたのです」
「うーん……」
そう言いながら、わらびは水色をした大きな目を、ぶらさずに俺へと向けてきた。
世界のひずみ。四次元世界への影響。それがもたらす問題。なんとも
味噌汁をすすって飲み込んでから、俺はわらびに問いかけた。
「その『ひずみ』の原因になっているのが、うちの会社みたいなブラック企業だ、なんて言われても、いまひとつピンと来ないんだけど」
「ふむ」
俺の問いかけに、口をへの字にしながらわらびが自分の顎に手をやる。
そのまましばし考え込んでから、わらびが俺のスマートフォンを手に取った。何でもないようにロックを解除し、ブラウザを立ち上げながら口を開く。
「ご主人様、この日本で、どれだけの人間が自ら命を絶っていると思いますか?」
「え……えーと、1万人くらい?」
唐突な問いかけに面食らいながら、俺は素直に答えた。
日本での自殺の問題は、未だに根強く残っている。うちの会社に勤めていた人間でも、何人もがホームに侵入してくる電車に飛び込んだり、ビルの屋上から飛び降りたりして命を絶った。自殺は、結構身近な問題だ。
俺の答えにわらびがうっすら目を細める。二度三度画面上をフリックしてから、わらびがスマートフォンの画面を俺に見せてきた。厚生労働省の出しているPDFファイルが表示されている。
「令和2年の一年間で、21,081人。特にここのところは、10代や20代の方の自殺が増加傾向にあります」
「えっ、そんなに」
彼女の言葉に俺は目を見開いた。思っていた以上どころか、思っていた人数の倍近い人数が、去年一年間のうちに自ら命を絶っていたのだ。
グラフを見ると、確かに若年層の自殺者が増えている。自殺の大部分を占めているのは中高年だが、割合的に見れば増加は明らかだ。
真剣な表情をしながらわらびが言う。
「自殺の原因や動機は複合的と見られていますが、健康問題を苦にした自殺が最も多いです。そしてブラック企業が強いてくる長時間労働は、健康を害する一番の理由です。ここは、お分かりですね?」
「ま、まあ、その通りだと思う……俺も体調崩してるし……」
そこまでハッキリ言われて、俺もうんとうなずくより他になかった。実際うちの会社で壊された人たちも、皆例外なく体調を崩すか、心の調子を崩して去っていった。俺も既に体調を崩しているし、いつ同じ道を辿るか分からない。
わらびによると、そうして体調を崩したり心を病んだりすると、別次元の存在が引き寄せられて接触するのだそうだ。聞こえないはずの声が聞こえたり、見えないはずのものが見えたりという症状の何割かは、そうした別次元の存在が見えたり聞こえたりしたものなのだという。
異世界の住民からの救いの手、と考えれば聞こえはいいが、そこに救いを求めれば求めるほど三次元に存在する身体は弱っていくのだそうだ。よしんばそれを乗り越えて異次元の存在と仲良くなっても、それがきっかけで周りの人間に無茶を強いては意味がない、ということらしい。
「企業のブラック体質を改善できれば、被雇用者の健康も保たれます。健康が保たれれば、世界の『ひずみ』を小さくできます。その為に私たちは、ブラック企業にお勤めの方の家にやってきて、『契約』を経て高次元の力をお渡しし、内部からの体質改善に努めていただくのです」
真剣な表情で話すわらびに、俺は開いた口が塞がらなかった。
つまり、高次元の存在で、神の遣いだというわらびも、偶然でも何でもなく、俺に拾われるためにやって来たというのだ。
そういえばわらびを拾った半年前くらいは、リリース後に障害が発生してプロジェクトがプチ炎上し、連日連夜対応に追われてヘロヘロになっていたっけ。あの時は胃潰瘍も発症して、心身ともにボロボロになっていた覚えがある。
「じゃ、じゃあ、あの日わらびがうちのアパートの駐車場でニャーニャー鳴いてたのも」
「はい、全てはご主人様に拾っていただくためです。お部屋の番号も把握していましたが、お部屋の玄関の前にいるのでは、さすがに不自然でしたので」
しれっとそう言いながら、わらびはもう一度マグカップに手を伸ばす。
あの日あれだけニャーニャー鳴いていたのに、アパートの誰もが気付いていない様子で不思議に思っていたのだが、俺にしか聞こえていなかったし、姿も見えていなかったというわけだ。
平気な顔をしてカフェインたっぷりの緑茶を飲む姿に、俺は何を言うことも出来ず弁当のごはんに箸をつけるのだった。話の最中にまたも冷めたごはんは、少しだけ硬くなっていた。
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