文体練習コレクション

牧野大寧

空氣を掴む

 空の下の方の層といえばいいのか、家々が立ち並んでいる地面から、五十メートルぐらい上の、何もないところの空氣というのは、実は案外固くて、触ってみるとザクザクしているのだ。たまにそのザクザクとした空氣が、地面の近くまで降りてくることがあって、いつも僕は、それを掴んで移動している。まあ十分五ぐらい待てば、一つか二つザクザクが降りてくるから、バスを待っているようなものだと思えば、申し分はない。固い空氣は掴んでも、下には落っこちない。僕の体重を預けても空氣は全然ぐらつかずに、元々進もうとしていた方向に、何もなかったかのように滑っていくだけだ。これはほんとはどうなのか分からないけれど、頭の中で考えた”きじょうのくうろん”というやつなのだけども、空氣のザクザクは、大気の中に詰まっているわけだから、それが移動するためには、他のザクザクたちが、ザクザクの移動するための場所を開けてやらないといけない。電車の中にぎゅうぎゅうに人が詰まっているのを想像してほしいのだけれど、モノが詰まっていると、モノというのは移動することができない。だから僕が使っている「空氣」というのは伸縮性が高いのだと思う。でも、ふと思うんだけど、僕がいつも空氣を掴んでいる時は、伸びたり縮んだりしたことはないな。どういうことなんだろう。


 僕以外の人が空氣を使って移動しているのは未だ見たことがない。それでも、車だとか電車だとかよりは手軽だし、お金もかからないのだから、そのうちにこの移動方法は普及するんじゃないかなあ。一度だけ、ワニが空氣を使って移動しているのをみたことがある。動物園の中にいたやつだと思う。柵の上の方が開いているワニの檻がある動物園、それがどこかにあって、そこにいたワニが逃げ出したんだと思う。ワニは手が短いので空氣を掴むことはできない。ワニがどうやっていたかというと、ザクザクとザクザクの間に挟まって移動していたのだ。体は縦になって、まるでハンターに撃たれて壁に飾られているかのような格好だった。ワニはどきどき、体がかゆいのか、左右に首をひねったりしていたけど、あのザクザクは掴めるけど触れはしないので、体をこすりつけても皮膚をかくことはできなかったと思う。


 ある雨の日、僕は皮膚科に行かなくてはならなかった。耳の後ろに粉瘤という出来物ができて、それを手術で切開して取り除かなければならなかった。それで、家を出なければ行けない時間を過ぎてしまって、なんだったか忘れたが、なにかの電池が切れたとか、そういう取るに足らない家事を解決しなくてはいけなくて、思っていたよりも時間がかかってしまったのだ。雨の日にザクザクを使って移動したことはなかったので一瞬躊躇したが、皮膚科の先生に迷惑を掛けるといけないので、急がなくてはとザクザクを使うことにした。ちょうど皮膚科が建物の合間から見えたあたりで、突然あたりに雷がおちた。それで僕は、雷がどうしてギザギザしているのかが分かった。雷はザクザクの空氣の隙間を通って落ちるから、その隙間をつなげるとああいう風にギザギザになっているから、雷はギザギザしているのだ。


 ビル。そうビルの上の方にいる人達は空氣のことは知らない。ガラスの中にいるからだと思う。ビルの上の方は窓を開けることはないし、中にいる人達にとって大事なのは、窓ガラスに映る空の景色ではなく、コンピュータのスクリーンの中だ。ビルの窓を清掃員が綺麗にしていることがある。それでも清掃員が見ているのは窓ガラスの方だし、空の方を見ることはない。飛行機はザクザクよりは遥か上を飛んでいるし、ザクザクに気付くのは、思っているよりも難しいことなのかもしれない。

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