start of student solver

 春の匂いをたっぷりと含みながらも、どこか気の早い夏の香りを感じる風に吹かれながら、つややかな黒いロングヘアを一度後ろに払う。ほぼ丸一日かけ、ようやく目的の地にたどりついた綾香はふぅと息をついた。


「私は別に都会での任務しかしたくないってわけじゃないのよ。でもねぇ、あの中世ヨーロッパのお城みたいな学校のあとに、この僻地っていうのは……」


 そう言って綾香は、改めて周りを見渡した。


 前の任務地より新幹線を二度乗り継ぎ、一時間に一本あるかないかの在来線でなんとかたどりついたこの地。

 自動改札などない小さな駅を出ると、辺りは二、三行程度でそのほとんどを描写し切れてしまう殺風景さだった。


 タクシーやバスの姿が一つもない寂れたロータリー。恐らく駅売店を兼ねているのであろう、営業しているのか怪しい小さな個人商店。随分古い円柱型のポスト。止まっていても誰も気づかないであろう地味な時計台。


 綾香の目についたものはざっとそのくらい。それ以外取り立てて描写できるものがほとんど何も無く、威圧感ある大きな山々が見える空にはさえぎる建物がなかった。


 一つだけ天をつくように高い電波塔があるが、公共事業で意味もなく作られた後すぐに廃れたのか、遠目から見ても管理が滞っているのが分かり余計に街の寂しさを増長させていた。


「……ここ、コンビニとかあるわよね?」


 綾香は隣に立つ海一の顔を恐る恐る見上げてみた。日差しを受けて海一の細い眼鏡のつるが少しだけきらりと光る。

 自分を駅まで迎えに来た彼に重い大荷物を無理矢理押し付けたせいなのか、それとも生来の顔つきのせいなのか、無表情の海一は視線を寄越さぬまま淡々と返す。


「あるように見えるか?」


 その土地で一番栄えていて然るべき駅がこの有様なのだ。海一の反語的表現を読み取り、綾香はガックリと肩を落とした。


「あぁー、こんなことならお菓子とか雑貨とかもっと買いだめてくるんだったわっ! 無○良品のクッキー食べたい! L○SHのバスボム欲しい!」


 それらを買いだめていないにしても十分重い綾香の大荷物は今、全て海一の肩にかけられている。ぎゃあぎゃあと騒ぐ綾香に海一はため息を一つだけくれてやり、冷静に説明する。


「田舎の任務は都会より難しい。コミュニティが小さく密だし、いざと言う時の本部の応援もすぐには入れない。俺たちがstudent solverとして少しは認められたということだと思うが」


  stundet solver(スチューデント ソルヴァー)。通称SS。


 全国の中学校に起こる問題を秘密裏に調査・解決する、文科省直轄の秘密組織。構成員は現役の中学生で、正体を隠して様々な学校へ転入し任務を遂行する。


 ただしその存在は組織の性質上明るみにはされておらず、大臣経験者の国会議員でさえも知らないことが稀ではない。


 先ほどから不満しか口にしていないこの少女・川崎綾香と、彼女の不満をほぼ無視して聞き流している少年・神無月海一は、SSのペアである。SSは男女ペアでの行動を基本としており、二人はこの新たなる任務地へとやってきたのだった。


「まあ、俺たちが上層部に嫌われているという可能性も無きにしもあらずだがな」


 指先で眼鏡のブリッジをくいと押し上げる海一が何のことを指しているのか、綾香はすぐに分かった。


「あの“田辺部長”ってオッサンよね? 私がちょっと突っかかったくらいでホント大人気ないわよねぇ。あの気取ったヒゲ面に除毛クリーム塗りたくって、威厳ゼロの間抜け面にしてやりたいわ」


 前回の任務期間中のこと。SSの重要な役職に就く田辺という男に呼び出され、綾香はそこで海一の制止も聞かず彼に怒鳴りつけたのだった。


 綾香が怒って然るべき理由があったのも確かではあるが、SSの末端の一構成員がプライドの高い重役に噛み付くというのは、それなりの仕打ちを受けることを覚悟しなければならなかった。


「除毛クリームでも美容クリームでも塗れるなら何でも塗ってくれて構わないが、お前の巻き添えになる俺のことも少しは考えてくれ」


「元はと言えばあんたのために言ってやったのよ! 感謝こそされても非難される覚えはないわ!」


「あんなのにはもう慣れてる。幼い頃から色んな奴らに言われ続けて、連中のボキャブラリーの乏しさに辟易しているくらいだ」


 せっかくかばってやったというのに可愛くないセリフを並べる海一に、綾香は大げさなまでの作り笑顔を浮かべて思い切り毒づく。


「あんたの眼鏡、近いうちに私が拭いてあげるわね。紙やすりでゴシゴシと。見たこともない真っ白な世界が広がるわよ」


「そのあとSSの任務の事務作業を全てお前が一人でやる覚悟があるならそうしたらいい」


 SSのペアになってようやく一年が経つ二人だが、このようにいつも言い合いが絶えず、それに綾香が勝てたためしは一度だってない。

 綾香はその笑顔をいびつに引きつらせ、この件に関しては口を閉ざすしかなかった。


 綾香のSSのパートナーである海一は、実はSS長官の息子。しかし正式な妻との間の子供ではなく長官の妾だった女との子供であったため、幼少期より風当たりの強い人生を余儀なくされてきた。その境遇のため、今も周囲から当たり前のように心無い言葉を投げられることが多い。


 綾香は田辺という男に暴言を吐かれる海一を目の前にして、後先考えずとっさに彼の前に飛び出してしまったのだった。


 自分の心に素直に従った綾香としては、それを後悔などわずかもしていないのだけれど。


 ほとんどのシャッターが下りた短い駅前通りからはるかに広がる田んぼ道を歩きながら、海一が「さて」と一呼吸置くと二人はSSの顔に切り替わった。


「今回の任務だが、ここ一帯の学生たちが通う公立中学校への潜入捜査だ」


「ここ一帯のってことは、そんなに小規模な学校でもないのね?」


 四方に田畑が広がり、近くには人影など全く無い。しかし任務中の癖で自然と声をひそめて訊いてしまう。


「ああ。クラス数や生徒人数は少なめだが、都心部の公立中学と校舎の規模自体はさほど変わらない。市立西中学校、地元の人々には『西中』と呼ばれているそうだ」


 どこにでもありそうな名前ね、とワンクッション置いてから、綾香は「で、何を調べるの?」と話の先をうながす。


「一年ほど前から、この学校の会計がおかしいんだ」


「会計がおかしいって……具体的にどういうこと?」


「SS本部は全国の中学校の毎月の支出明細を入手しているんだが、それを見るとこの学校はしばらく前からある費用だけが異様に高い」


「ある費用?」


 指先をあごにあてがい眉をひそめる綾香に、海一は言葉を続ける。


「それは『電気代』なんだ。各地方や学校の特色によって、北海道の暖房費が高いとかそういうことはあるんだが、色々なことを鑑みてもこの学校の割合は異様なんだ」


「でも、そんな明らかにおかしいんだったら、それこそどうして文科省が気づかなかったの?」


 綾香が抱いた当然の疑問に、海一はこう返す。


「学校側から提出されていた会計報告書には異常がなかったからだ」


 それって、と綾香が目を見開いた。


「SSの持つ各学校の支出明細の情報は文科省から得ているものではなく、独自のルートで秘密裏に入手されている。例えば電力会社から学校への請求書、とかな」


「じゃあ要するに、実際は物凄く高い電気代を使っているのに、上に提出する会計報告書にこのまま書いちゃまずいってことで、嘘の数字を書いて出してたってこと?」


 そんなことありえるの、と驚く綾香だったが、海一はそれを校庭する。


「その可能性が疑われている。それは学校全体でやっているのか、誰か個人がやっているのかは分からない。俺たちが今回調べるのは、その会計をごまかしているのが誰なのかということと、その高額の電気代が何に使われているのかということだ」


 海一の言葉に綾香は深くうなずいた。


「そうなるとまず、会計に多く携わる人を調べていくべきかしらね」


「上に提出する書類は監査をする人間もいるだろうし、あまり早くに対象を決め付けず広い範囲を疑っていく必要があるだろう。個人でなく複数でやっている可能性だってあるからな」


 海一は腕を組み、視線を少し下に向けて深く考えるようにして言った。


「会計がごまさかれるようになった時期、つまり電気代が増え出した時期は確か一年くらい前だって言ってたわよね? その時学校で何か変化がなかったかとかも気にした方がよさそうね」


 綾香の言葉に、そうだな、と海一もうなずいてみせる。


 そして会話がひと段落したのをきっかけに、不意に綾香が尋ねた。


「ところで、さっきから大分歩いてるんだけど……今回の私の家って一体どこにあるの?」


 先ほどから綾香は、内心ビクビクしながら歩いていた。


 戦前に作られたような古い、よく言えば味のある昔ながらの木造住宅の傍を通る度、「ここが今回のお前の住居だ」と海一が言い出したりしないかひやひやしていた。他にも、体当たりしたら玄関がぶち破れそうなくらい壁の薄そうなアパートの前でもドキドキしていた。


 幾度となく肉弾戦を経験しSSとして高い戦闘能力を誇る綾香ではあるが、一応女子中学生である。セキュリティが甘い所に住むのは怖いし気が休まらない。それに出来るなら新しくてきれいな所に住みたいと思うのが普通だ。


 綾香より少し早く現地入りし住居を整えたり土地の下調べをしたりしていた海一が、綾香の疑問に淡々と答える。


「ああ、綾香にはまだ今回の住居について言ってなかったな。まぁとりあえずこの家ではあるんだが」


 そう言って丁度足を止めた家は、地価が安い地方の家らしくかなりの広さがある、二階建てのファミリー向けサイズの大きな一軒家だった。

 落ち着いたグレーの壁はしっかりしていて、近代的な屋根の造りは築年数がさほど経っていないことを感じさせた。


 敷地には大型車を三台は余裕で置けそうな駐車スペースに加え広々とした庭があり、開けた田んぼ道からそう遠くないわずかな戸数の住宅地にどっしりと存在していた。

 閑散とした駅から車を使わなくても何とか歩ける距離。恐らく調査対象の西中学校からも近いのだろう。


「随分立派な家を用意されたものね」


「任務の際あてがわれる住宅は全て、予めSSが借り上げているものだ。面倒な契約の手間や管理の問題もないし、全国各地に体一つですぐに飛び込むことが出来る。だがこの地域はもともと住居の絶対数が少ないし、SSの所持する物件も少ない。ここしか今回の住居が無かったんだ」


 ふうん、と話半分に説明を聞いていた綾香だったが、最後の一言に「んっ?」と眉をひそめた。


「だから今回ここは“お前の”住む家ではなく“俺たちが”住む家だ。家事は交代制、決め事は破るなよ」


 そうさらりと告げて玄関へ歩き、ガチャリと我が物顔でドアの鍵を開けた海一。その場でまばたきを繰り返したまま動かない綾香に「早く入れ」とうながす。


「ずっとお前の荷物を持たされていたせいで肩が疲れてるんだ」


 そう言って片手を腰にあてがう海一に、綾香はようやく再起動して全力で食らいついた。


「ちょおおおっと待ってよ! うら若き純情な乙女が、こんな冷血眼鏡と一つ屋根の下で暮らさなきゃならないってことぉ?!」


 彼女の大声に片耳を塞ぎつつ、海一はいつも通り動じることなく口を開いた。


「誰が冷血眼鏡だ。それから、うら若き純情な乙女って一体誰のことだ」


「SS本部は一体何考えてんのよ!? これもあの田辺ってオッサンの陰湿な企みなのかしら?! 学校でも家でも気が休まらない私を任務でこき使って過労死させるつもりだわっ。あるいは……」


「うるさいから早く中に入れ。近所迷惑だ」


 自分の言葉を無視してわめく綾香の言葉をさえぎり、海一は彼女の腕を引っつかんで家に押し込んだ。

 悔しいが今の海一の言い分に間違いはない。綾香は納得いかないながらも渋々口を閉ざして言われるがまま家の中に入った。


 玄関もやはり広く、天井はそのまま二階まで吹きぬけ、奥には上へ続く階段があった。


 海一が靴を脱ぎながら説明を続ける。


「“SSのペアは原則として任務中は他人としてふるまうこと”。しかしこの田舎の小さなコミュニティでは、話し合い等で何度も会っていれば他人を貫き通すことは難しいだろう」


「だからって一緒に住むなんて……。田舎での任務ってこういう形がメジャーなわけ? っていうか中学生男女が二人だけで一緒に暮らしてるって、そっちの方が不自然じゃない?」


 前の任務地は大都会で、二人はお互い別々のマンションに住んでいた。実際は一人で生活していたが、一応両親と暮らしているというていにしていた。隣近所との付き合いが希薄な都会だったらそれで大丈夫だったかもしれないが、近所がみな顔見知り以上の関係である田舎では、一度も両親が姿を見せなければ疑いを持たれるのは時間の問題だろう。


 同じく靴を脱いだ綾香は、海一を追ってリビングへ向かう。


 先に現地入りしていた海一が形を整えてくれていたおかげで、部屋は清潔で整然としていた。綾香は掃除や整理整頓が得意な方ではないので、その点は感謝しないとな、と思った時のことだった。


 海一の口からとんでもないセリフが飛び出してきた。


「ああ。だから俺たちは今回の学校では“双子の兄弟”ということになっている。もちろん俺が兄でお前が妹だ。両親は仕事の都合で遅れてやってくるということになっていて、シワが少なめの脳みそを持つお前の為に苗字は『川崎』の方に合わせた」


 何の反応も返してこない綾香を不審に思ったのか、海一が向き直って首をかしげる。


「なんだ、感謝の言葉も出てこないくらい俺の配慮に感動したのか?」


 もちろん海一の言う通りであるわけがなく、綾香はあまりの衝撃で口が利けないだけだった。見開かれた目と中途半端に固まった表情がそれを物語っていた。

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