私達なら
つづり
私達なら
「りっちゃん、どうしたの……ぼぉとして」
「いや、今日の月って、すごいきれいだね」
律子が夜空を指差すと、五歳年下の恋人は、小さく笑う。
「あー、ホントだ……すごいね、写真撮っちゃう?」
「いいよ、そこまで……」
律子は苦笑する。ノリの良い男だ、裕太は……と思う。
彼は職業が役者で、今は裏方の仕事も増えている。人を楽しませたいという気持ちが強いのだろう。同棲相手の律子の言葉に逐一反応してくれる。
明日律子が仕事が休みということもあり、二人は真夜中、コンビニに行っていた。
ハイボールと、サワーと、ツマミを少々。出会ったばかりの頃は居酒屋へ一緒に行くのが好きだった。裕太も律子もお酒を飲んで話すのが好きなのだ、けれどここ二年ばかりで、宅飲み派に転向した。
季節はすっかり秋だった。涼しい風が二人の間を通り抜けている。家にすぐ帰るには惜しいほどの空気で、二人は家の近くの公園に寄っていった。ベンチに腰をかける。
「明後日からだっけ、オンライン公演……朗読劇の司会役?」
「うん、まあ、そっちも大事だけど、どっちかっていうと音の調整のほうがメイン。ちゃんと聞こえないと大変でしょ」
「たしかに……裕太、すっかり裏方さんねぇ……」
「俺の本分は役者です……っていっても、結構こっちも楽しい……相性良かったんだろうな」
「そうだね……前より収入安定してるくらいだし」
「へへっ……でも、もっとどうにかなったら、舞台で人前に立ちたいよ」
一瞬、裕太は寂しそうな顔をしたが、すぐに人の良さそうな笑みを浮かべた。舞台を見るのが好きな会社員と、バイトと掛け持ちしながらの役者。付き合った当初は、律子はとても交際を反対された。親もいい顔をしなかった。
「つきあっても、今は楽しいけど、先ないじゃん。やめときなよー」
とか。
「もっと付き合うなら、いい相手いたんじゃない?」
とか。
裕太は浮気とかお金を使い込むとか、人間的にいけないことをまったくしなかった。優しいお調子者。暗い気分で家に帰っても、裕太の声を聞くと落ち着く。けれど律子も周囲の声に、何も思わなかったわけじゃない。役者という仕事が特に重くのしかかった。
私達に結婚とか、子供ができるとか、次に進めるだけの仲になれるだろうか。
もっと安心とか安全とか言える立場の人と、付き合ったほうがいいのかな。
裕太の悪いところは、将来の話をあまりしないところだった。今を一番重要視していて、将来に興味がないようにすら見えた。律子は裕太が好きだったから、そこが寂しかった。
そんな迷いある日々が一変したのは二年前だった。世界中に感染症が大流行して、それは裕太や律子が住んでいた近辺で特に流行していた。マスクやアルコール消毒は欠かせないし、外出自粛も求められた。そんな状況になると、裕太の環境も大きく変わった。役者の仕事がなくなってしまったのだ。もともと舞台を中心に活動していて、バイトする以外はオーディションやら稽古でスケジュールが大変そうだったのに、すっかり家にいるしか出来なくなった。
律子も在宅で仕事をすることになり、同じ家にいるのに裕太を見ることが出来ない。
律子は仕事の合間にため息をつくことが多くなった。心配なのに、この状況ではどうにも出来ない……。
「りっちゃん、今大丈夫?」
ある日、仕事が終わった頃、控えめなノックが聞こえてきた。
「大丈夫だけど、どうしたの?」
裕太は部屋に入ると、意を決したように律子を見た。
「俺にパソコンのこと教えてくれない?」
そう言ってきたのだ。
律子は最初何を言っているのかよく分からなかった。
疑問を隠せないと言った顔をしていると、裕太はタブレットを見せてきた。
するとそこには、オンライン公演などの文字が書かれている。
「今、仲間内で、朗読とか一人芝居なら、ネットを使って公演できるんじゃないかって話が出てるんだ」
裕太はぐっと力のこもった声を出す。
「俺、オンライン公演をしてみたい……役者じゃなくても裏方でもなんでも、だからパソコンのことを教えてほしい」
「裕太……」
本気なのがとても伝わってきた。裕太はこの状況下でも役者として、表現者として何ができるか模索していたのだ。そして自分に助力を求めてきた。
それは律子の迷いを消すには十分だった。
先がない?
もっと付き合うならいい相手がいる?
彼の先がないよりも、今の現実のほうがよほど終わっているじゃないか。
だけど裕太は諦めずに前に進んでいる。どんなに良い立場の人が居たとしても、裕太の諦めない姿勢のほうが、律子は好きだった。私は、今、この人といたいと願った。
「びしびし教えるよ……まあ、初歩程度だけど」
律子の挑むような視線に、裕太はしっかりと頷いた。
「よろしくお願いします、りっちゃん」
二人を顔を見合わせて、笑いあった。ふたりとも久しぶりに大きく笑った気がした。
そこから裕太は猛勉強し始め、裏方として動けるようにスキルを磨き始めた。ささやかながらも律子も彼に助力し、そうして二人で手を取り合って、二年の月日が過ぎた。
律子はふわふわとした温かい気分のまま、呟いた。
「これから、どうなるのかなぁ」
「さあ、わかんないな」
裕太は月を見ながら言う。
律子は小さく頷いた。
「そうだねぇ、でも多分どうにかなりそう」
律子は小さく裕太に笑いかけた。
「私達なら」
私達なら つづり @hujiiroame
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