邪神
yaasan
第1話 裏切り
今、邪神と呼ばれた存在はその胸を貫かれて倒れ伏していた。まだ息は辛うじてあるものの、それも長くはもたないはずだった。
邪神の胸に邪神封じの魔剣を突き刺したファブリスは、荒い息を整えるために大きく息を吐き出した。長かったとファブリスは思う。邪神封じの魔剣を操れる者として故郷を発ってから気がつけば丸三年が経過していた。
だがこれでやっと故郷に帰れる。そしてセリアとも……。
ファブリスはそう思いながらこの喜びを分かち合おうと、仲間たちがいる背後を振り返ろうとした瞬間だった。ファブリスの背中から胸にかけて、とんっといった軽い衝撃があった。
何事かとファブリスが自分の胸を見ると、血に塗れた長剣の切先がそこから姿を見せていた。この特徴がある切先は……。
そう考えた時にはファブリスの両膝は自身の意に反して既に力が入らなくなっており、ファブリスはそのままうつ伏せに倒れ伏した。
何が起こった? 新手か? だが背後には仲間たちが……。
それにあの切先は……。
ファブリスは辛うじて上半身を起こすと、背後に視線を向けようと濃い灰色の頭を背後に向けて捻った。
そこにはこの三年の間に渡って苦楽を共にしてきた仲間。その一人である勇者アズラルトが無言で立っていた。
アズラルトは黙したままで倒れているファブリスに近寄ると、ファブリスの背に刺さっている長剣を無造作に引き抜く。そして、そのまま流れるような動作でファブリスの腹部を蹴り上げた。
その衝撃で呻き声と共にファブリスは仰向けとなる。
「な……」
口を開こうとしたファブリスだったが、どろりとした血が口から出るだけで声が出ない。
そんなファブリスをアズラルトが、冷ややかな表情を浮かべて無言で見下ろしていた。
訳が分からなかった。なぜ自分がアズラルトに背後から刺し貫ぬかれなければならないのか。
しかも皆の目的であった邪神を討伐した直後に……。
「な、何で……?」
ファブリスは辛うじてそれだけを言った。
「……何でだと? 面白いことを言う」
アズラルトは薄い笑いをその端正な顔の上に貼りつけた。嫌な顔だった。三年に及ぶ旅の中で、アズラルトのこのような顔を一度もファブリスは見たことがなかった。
「最下層の魔族風情が勇者であり、このダナイ皇国第一皇子でもある俺に気安く話しかけるな」
アズラルトは忌々しげに吐き捨てると、今度はファブリスの横腹を蹴り上げた。ファブリスの口から呻き声と共に、再びどろりとした血が溢れ出る。
「まだ殺していないの? さっさと殺しなさいよ。私、魔族は臭いから嫌いなのよね」
そう言いながらアズラルトの背後から姿を見せたのは若くして大神官の地位を得ているマルヴィナだった。
金色の髪と碧眼。その美しい顔立ちとも相まって、地上に降臨した天使とも民衆の間で噂されているマルヴィナ。そのマルヴィナが醜く顔を歪めていた。
何が起こっているのか。何が始まったのか。ファブリスには状況が全く飲み込めなかった。仲間だと思っていた者たちに背後から襲われて悪態を吐かれている。
ファブリスは何か言おうとするのだが、口からはごぼごほと血が混じった泡が出てくるだけで言葉にならない。
「何か凄く汚いわね……」
血の泡を吹き出すファブリスを見ると、マルヴィナは半歩下がって心の底から嫌そうな表情を浮かべてみせた。
ファブリスには信じられなかった。いつも天使のような笑顔をファブリスに向けていたマルヴィナだった。それが今、自分に対してこんな顔をしてみせることなど。
「おら、連れてきたぞ」
しゃがれた声と共に巨漢の戦士が姿を現した。戦士の名はジャガル。彼も仲間の一人だった。
「ほらよ!」
ジャガルが連れてきた女性を大地に放り投げた。彼女は短い悲鳴を上げて倒れ伏す。彼女の長い赤毛が大地を彩るかのように広がる。
彼女の姿を見てファブリスは目を見開いた。
セリア!
ファブリスはそう叫んだつもりだったが、血の泡がこぼこぼと吐き出されるだけだった。
地面に投げ出されたのは補助魔法を操る魔道士のセリアだった。
でもどうして? ファブリスの子供を身籠っていたセリアはこの戦いには参加せず、野営地で皆の帰りを待っていたはずだった。
「ファブリス!」
血の泡を吐き出しながら倒れているファブリスに気がついてセリアが駆け寄ろうとする。すると、ジャガルがその太い腕を伸ばしてセリアを再び捕らえた。
「目を覚ました思えば、ぎゃあぎゃあとうるせえ女だな」
「あら、魔族とできちゃう売女なんてそんなもんでしょう?」
マルヴィナが冷たい声でそう言い放った。
「ファブリス、ファブリス、大丈夫? ど、どうして? 何でこんな非道いことを?」
セリアが悲痛な叫び声を上げている。
「だから、うるせえんだよ!」
ジャガルはそう言うと、片手でセリアの両手首を握って宙吊りにする。そして残る片手でセリアの頬を無造作に殴った。
セリアがくぐもった悲鳴を上げてそのまま動かなくなる。怪力無双と言われた戦士。それによる容赦のない張り手だ。セリアはそのまま意識を失ってしまったようだった。
貴様、止めろ!
ファブリスはそう叫んだつもりだったが、こぼごぼと血の泡が吐き出されるだけだけで言葉が出ない。手足を動かそうにも意思に反して少しも動かない状態だった。
「さっきから、ごぼごぼ言って面白いわね」
そんな言葉と共に、大神官のマルヴィナは狂ったような笑い声を上げていた。
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